「石の女王」の時代② 4体の猿石
斉明天皇は石にこだわり3万人を動員して運河を掘り、舟200隻を使って天理市の石上山から石を運び、7万人の人を使って石垣を建設しました。当時の人は「狂心の渠」(たぶれこころのみぞ)とうわさしたとか。
斉明の時代に多くの「謎の石」が造られました。有名な酒船石、益田岩船、須弥山石、二面石、猿石、亀石…。
吉備姫王墓の中に移設している猿石は周辺の植栽を整備したのか、以前には不可能だったアングルから全4体が撮れるようになりました。(写真)
(福島明博通信員)(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年10月6日付掲載
斉明の時代に多くの「謎の石」が造られました。有名な酒船石、益田岩船、須弥山石、二面石、猿石、亀石…。
飛鳥を訪れると、必ず行きますよね。
以前は同時に撮れなかった猿石。植栽を伐採して4体同時に撮れるようになった。
斉明天皇は石にこだわり3万人を動員して運河を掘り、舟200隻を使って天理市の石上山から石を運び、7万人の人を使って石垣を建設しました。当時の人は「狂心の渠」(たぶれこころのみぞ)とうわさしたとか。
斉明の時代に多くの「謎の石」が造られました。有名な酒船石、益田岩船、須弥山石、二面石、猿石、亀石…。
吉備姫王墓の中に移設している猿石は周辺の植栽を整備したのか、以前には不可能だったアングルから全4体が撮れるようになりました。(写真)
(福島明博通信員)(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年10月6日付掲載
斉明の時代に多くの「謎の石」が造られました。有名な酒船石、益田岩船、須弥山石、二面石、猿石、亀石…。
飛鳥を訪れると、必ず行きますよね。
以前は同時に撮れなかった猿石。植栽を伐採して4体同時に撮れるようになった。
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