「石の女王」の時代④ 石造物の謎
松本清張『火の路』の続編といえる『清張古代史をゆくペルセポリスから飛鳥へ』(NHK出版、1979年)のなかで要旨、以下のように自説を訂正しています。
「拙作『火の路』でこれらの石造物は斉明天皇の両槻宮の附属物用に造られたが、両槻宮の建造が中止になったので遺棄したとしたが、いまは蘇我馬子の嶋宮邸用だったと推測したほうが理にあって自然と思うのでこの新考に訂正する」
一方で、森浩一・同志社大学名誉教授は新装版『火の路』(文春文庫、2009年)の巻末で要旨、次のように付言しています。
「酒船石は2000年にその北側の谷(奈良県明日香村岡)から階段状の石段と水を貯える二つの大きな石槽が発掘され、そのひとつが亀形に加工されていたことから、酒船石から流される水をうけて何らかの重要な儀式を行ったことが確実になった(写真)ので、従来からあれこれ推測された用途は霧消した」
なぞの石造物は蘇我馬子用か、斉明天皇用か。益田岩船と酒船石以外の石造物はどうなのでしょうか。
(福島明博通信員)(おわり)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年10月13日付掲載
松本清張は、「拙作『火の路』でこれらの石造物は斉明天皇の両槻宮の附属物用に造られたが、両槻宮の建造が中止になったので遺棄したとしたが、いまは蘇我馬子の嶋宮邸用だったと推測したほうが理にあって自然と思うのでこの新考に訂正する」と。
では、実際は、なぞの石造物は蘇我馬子用か、斉明天皇用か。益田岩船と酒船石以外の石造物はどうなのか。
松本清張『火の路』の続編といえる『清張古代史をゆくペルセポリスから飛鳥へ』(NHK出版、1979年)のなかで要旨、以下のように自説を訂正しています。
「拙作『火の路』でこれらの石造物は斉明天皇の両槻宮の附属物用に造られたが、両槻宮の建造が中止になったので遺棄したとしたが、いまは蘇我馬子の嶋宮邸用だったと推測したほうが理にあって自然と思うのでこの新考に訂正する」
一方で、森浩一・同志社大学名誉教授は新装版『火の路』(文春文庫、2009年)の巻末で要旨、次のように付言しています。
「酒船石は2000年にその北側の谷(奈良県明日香村岡)から階段状の石段と水を貯える二つの大きな石槽が発掘され、そのひとつが亀形に加工されていたことから、酒船石から流される水をうけて何らかの重要な儀式を行ったことが確実になった(写真)ので、従来からあれこれ推測された用途は霧消した」
なぞの石造物は蘇我馬子用か、斉明天皇用か。益田岩船と酒船石以外の石造物はどうなのでしょうか。
(福島明博通信員)(おわり)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年10月13日付掲載
松本清張は、「拙作『火の路』でこれらの石造物は斉明天皇の両槻宮の附属物用に造られたが、両槻宮の建造が中止になったので遺棄したとしたが、いまは蘇我馬子の嶋宮邸用だったと推測したほうが理にあって自然と思うのでこの新考に訂正する」と。
では、実際は、なぞの石造物は蘇我馬子用か、斉明天皇用か。益田岩船と酒船石以外の石造物はどうなのか。
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