資本主義の現在と未来 日本の金融化③ 売国的なビックバン
日本共産党元衆院議員 佐々木憲昭さんに聞く
―財政投融資が解体された前後に、米国の要求に従って「日本版金融ビッグバン」が実行に移されました。
米国は1980年代以降、金融機関や金融市場の規制を取り除く金融自由化を日本に執拗(しつよう)に迫り、日米円・ドル委員会など協議の場を制度化しました。
90年代に入ると米国は、日本版金融ビッグバンを断行して金融の自由化・国際化を完成させるよう求めました。銀行と証券の垣根を取り払い、国境をまたぐ資本取引(株式の売買など)を自由化し、米国の金融資本が日本で自由に活動できる条件を整えようとしたのです。
従来の日本の金融システムは、大企業が主力取引銀行(メインバンク)から融資を受ける間接金融(資金供給者と資金需要者の間に金融機関が介在する金融)が中心でした。資金の貸し手であると同時に大株主でもあったメインバンクは、企業経営にも深くかかわっていました。
米国が、日本に金融市場の自由化・国際化を迫った最大の目的は、このような日本型金融システムを改変して、金融市場から直接、資金を調達する米国型金融システムを主軸にすえることでした。
東京証券取引所=東京都中央区
搾取・収奪狙う
さらに米国資本は、大企業の株式を大量に保有して日本企業と株式市場を支配し、そのことを通じて日本国民を搾取・収奪する体制づくりを狙いました。
売国的な金融ビッグバンを忠実に実行したのが橋本竜太郎政権でした。98年には外国為替法を改定し、国境をまたぐ資本取引に関する事前許可・届け出制を廃止して自由化しました。これはビッグバンの「フロントランナー」といわれました。さらにその年の6月に24本の法律を一括改定する金融システム改革法を強行成立させ、一部を除いて同じ年の12月に施行しました。このような異常なスピードでビッグバンを進めた背景には、95年の「日米金融サービス合意」の実行を迫る米国の圧力がありました。
―どのような結果が生じましたか。
開放された日本の株式市場に外国資本がなだれ込みました。90年代以降、上場企業の株主に占める外資の割合が上昇していきました。90年代前半は約10%でしたが、2022年度には30・1%となりました。
経団連役員企業の発行済み株式に占める外資の保有割合は90年の6・34%から23年の成34.56%へ上昇しました。経団連は、米国資本の意向も反映する団体へと変貌しました。
財政投融資の解体により、大蔵省資金運用部を通じて回っていた公的資金も大規模に金融市場に向かうようになりました。
―その結果、日本の金融シスデムはどう変化したでしようか。
20年ごとの日本の金融資産(ストック)の推移を調べました(表)。1983年に126・9兆円(構成比6・55%)もあった「財政投融資資金預託金」は2023年には35・4兆円(0・35%)に激減しました。
日本の金融資産(ストック)の推移
日銀「資金循環統計」から作成
株式と債券増加
増加したのは株式と債券です。とりわけ「株式等・投資信託受益証券」が1983年の181・8兆円(9・38%)から2023年の1658兆円(16・33%)へ9倍に伸びました。
また「対外直接投資」は、1983年の2・6兆円から2023年の260・2兆円へ100倍になっています。「対外証券投資」も8・5兆円から702・6兆円へと83倍です。この間の、日本企業の生産拠点の海外移転・多国籍企業化を反映しています。
国内総生産(GDP)は40年で1・95倍ですが、金融資産は5・24倍にも膨れあがりました。金融自由化と財政投融資解体の後、日本経済の金融化・証券化が飛躍的に進んだのです。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2024年5月8日付掲載
従来の日本の金融システムは、大企業が主力取引銀行(メインバンク)から融資を受ける間接金融(資金供給者と資金需要者の間に金融機関が介在する金融)が中心でした。資金の貸し手であると同時に大株主でもあったメインバンクは、企業経営にも深くかかわっていました。
米国が、日本に金融市場の自由化・国際化を迫った最大の目的は、このような日本型金融システムを改変して、金融市場から直接、資金を調達する米国型金融システムを主軸にすえること。
開放された日本の株式市場に外国資本がなだれ込みました。90年代以降、上場企業の株主に占める外資の割合が上昇していきました。90年代前半は約10%でしたが、2022年度には30・1%。
増加したのは株式と債券です。とりわけ「株式等・投資信託受益証券」が1983年の181・8兆円(9・38%)から2023年の1658兆円(16・33%)へ9倍に。
日本共産党元衆院議員 佐々木憲昭さんに聞く
―財政投融資が解体された前後に、米国の要求に従って「日本版金融ビッグバン」が実行に移されました。
米国は1980年代以降、金融機関や金融市場の規制を取り除く金融自由化を日本に執拗(しつよう)に迫り、日米円・ドル委員会など協議の場を制度化しました。
90年代に入ると米国は、日本版金融ビッグバンを断行して金融の自由化・国際化を完成させるよう求めました。銀行と証券の垣根を取り払い、国境をまたぐ資本取引(株式の売買など)を自由化し、米国の金融資本が日本で自由に活動できる条件を整えようとしたのです。
従来の日本の金融システムは、大企業が主力取引銀行(メインバンク)から融資を受ける間接金融(資金供給者と資金需要者の間に金融機関が介在する金融)が中心でした。資金の貸し手であると同時に大株主でもあったメインバンクは、企業経営にも深くかかわっていました。
米国が、日本に金融市場の自由化・国際化を迫った最大の目的は、このような日本型金融システムを改変して、金融市場から直接、資金を調達する米国型金融システムを主軸にすえることでした。
東京証券取引所=東京都中央区
搾取・収奪狙う
さらに米国資本は、大企業の株式を大量に保有して日本企業と株式市場を支配し、そのことを通じて日本国民を搾取・収奪する体制づくりを狙いました。
売国的な金融ビッグバンを忠実に実行したのが橋本竜太郎政権でした。98年には外国為替法を改定し、国境をまたぐ資本取引に関する事前許可・届け出制を廃止して自由化しました。これはビッグバンの「フロントランナー」といわれました。さらにその年の6月に24本の法律を一括改定する金融システム改革法を強行成立させ、一部を除いて同じ年の12月に施行しました。このような異常なスピードでビッグバンを進めた背景には、95年の「日米金融サービス合意」の実行を迫る米国の圧力がありました。
―どのような結果が生じましたか。
開放された日本の株式市場に外国資本がなだれ込みました。90年代以降、上場企業の株主に占める外資の割合が上昇していきました。90年代前半は約10%でしたが、2022年度には30・1%となりました。
経団連役員企業の発行済み株式に占める外資の保有割合は90年の6・34%から23年の成34.56%へ上昇しました。経団連は、米国資本の意向も反映する団体へと変貌しました。
財政投融資の解体により、大蔵省資金運用部を通じて回っていた公的資金も大規模に金融市場に向かうようになりました。
―その結果、日本の金融シスデムはどう変化したでしようか。
20年ごとの日本の金融資産(ストック)の推移を調べました(表)。1983年に126・9兆円(構成比6・55%)もあった「財政投融資資金預託金」は2023年には35・4兆円(0・35%)に激減しました。
日本の金融資産(ストック)の推移
1983年 | 2003年 | 2023年 | ||||
兆円 | 構成比 | 兆円 | 構成比 | 兆円 | 構成比 | |
現金・預金 | 437.5 | 22.57% | 1223.3 | 21,13% | 2427.6 | 23.91% |
財政投融資資金預託金 | 126.9 | 6.55% | 320.5 | 5.54% | 35.4 | 0.35% |
貸出 | 610.0 | 31.47% | 1623.1 | 28.04% | 2085.5 | 20.54% |
債務証券(国債など) | 243.5 | 12.57% | 913.1 | 15.77% | 1618.4 | 15.94% |
株式等・投資儲託受益証券 | 181.8 | 9.38% | 469.6 | 8.11% | 1658.0 | 16.33% |
対外直接投資 | 2.6 | 0.13% | 30.9 | 0.53% | 260.2 | 2.56% |
対外証券投資 | 8.5 | 0.44% | 220.5 | 3.81% | 702.6 | 6.92% |
その他 | 327.3 | 988.0 | 1365.1 | |||
合計 | 1938.1 | 5789.0 | 10152.8 |
株式と債券増加
増加したのは株式と債券です。とりわけ「株式等・投資信託受益証券」が1983年の181・8兆円(9・38%)から2023年の1658兆円(16・33%)へ9倍に伸びました。
また「対外直接投資」は、1983年の2・6兆円から2023年の260・2兆円へ100倍になっています。「対外証券投資」も8・5兆円から702・6兆円へと83倍です。この間の、日本企業の生産拠点の海外移転・多国籍企業化を反映しています。
国内総生産(GDP)は40年で1・95倍ですが、金融資産は5・24倍にも膨れあがりました。金融自由化と財政投融資解体の後、日本経済の金融化・証券化が飛躍的に進んだのです。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2024年5月8日付掲載
従来の日本の金融システムは、大企業が主力取引銀行(メインバンク)から融資を受ける間接金融(資金供給者と資金需要者の間に金融機関が介在する金融)が中心でした。資金の貸し手であると同時に大株主でもあったメインバンクは、企業経営にも深くかかわっていました。
米国が、日本に金融市場の自由化・国際化を迫った最大の目的は、このような日本型金融システムを改変して、金融市場から直接、資金を調達する米国型金融システムを主軸にすえること。
開放された日本の株式市場に外国資本がなだれ込みました。90年代以降、上場企業の株主に占める外資の割合が上昇していきました。90年代前半は約10%でしたが、2022年度には30・1%。
増加したのは株式と債券です。とりわけ「株式等・投資信託受益証券」が1983年の181・8兆円(9・38%)から2023年の1658兆円(16・33%)へ9倍に。
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