米国従属経済 金融② 日米の大企業が操る
日米円ドル協議には日本市場を狙う米国大企業の意図が強く働いていました。
レーガン大統領の訪日を前にした1983年9月、米国屈指の大企業、建設機械メーカー、キャタピラー社のリー・モルガン会長は「ドル・円の不整合―間題の所在と解決策」と題する文書をまとめ、政府、議会関係者に配布しました。
モルガン・リポートと呼ばれるこの文書には日米貿易不均衡の是正を求める米国製造業の見解がまとめられていました。米政府はこれを受けて日本に円安の是正、金融・資本市場の開放を迫りました。
11項目の要求
モルガン・リポートは米国の貿易赤字が拡大した原因をドルと円の為替レートに求め、円安・ドル高の是正を強調しました。日本には問題の解決をうたった日米共同声明の発表をはじめ、11項目の要求を突きつけました。預金金利の規制撤廃、短期金融商品の取引に関する規制撤廃など金融自由化や、日本非居住者が自由に取引できる金融市場の育成も盛り込みました。
日本との交渉にあたった米財務省には米国金融機関の出身者が並びました。リーガン財務長官は投資銀行メリルリンチの前会長、スプリンケル財務次官は元ハリス信託副社長、マルフォード財務次官補もメリルリンチ出身。大企業の代表が閣僚や政府の役職に就いて自ら権益を拡大するのが米国流です。
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日米円ドル協議で握手する大場智満財務官(左)とスプリンケル財務次官=1984年5月10日、大蔵省
レールを敷く
日米円ドル委員会報告書を受けて、メリルリンチなど外国証券6社は85年に東京証券取引所の会員権を取得しました。露骨な政府・大企業癒着です。
日本の大企業も米国からの外圧を利用して支配力の強化を狙いました。金融自由化は日本の大銀行や大手証券会社の要求でもありました。減量経営などで内部留保をため込んでいた大企業は有利な資産運用の場を求め、経団連を通じて金融自由化を政府に迫りました。
金融自由化は、為替先物取引の実需原則撤廃などで、大企業がため込んだカネの投機的運用を拡大しました。日米円ドル委員会報告書に盛り込まれた「円の国際化」は米国の金融機関に新たなもうけ口を提供するとともに、日本の大銀行の海外進出を促進しました。
こうした路線は中小金融機関を淘汰(とうた)し、中小企業金融を大銀行の支配下に置く結果となりました。現在日本の大銀行は中小企業への貸し出しを減らす一方、アジアをはじめ海外への融資を増やしています。90年代以降、「貯蓄から投資へ」のかけ声のもと、個人の金融資産を投機市場に動員するようになったのも、80年代に敷かれたレールがあったからです。
日米円ドル報告書で取り決めた自由化措置を実行することで投機資金の活動の場が広がり、やがてバブルの膨張へとつながっていきます。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年9月19日付掲載
80年代前半、軍事大国化と企業の海外進出による産業空洞化によるアメリカの二子の赤字。国家財政の赤字と貿易収支の赤字。
そのつけを日本に負わせようという魂胆です。金融自由化は日本の財界の要求でもあり、やがて住宅バブルを始めとした80年代後半の日本のバブル経済に突き進みました。
アメリカのリーマンショックの20年も前に日本にも住宅バブルがあったのです。
日米円ドル協議には日本市場を狙う米国大企業の意図が強く働いていました。
レーガン大統領の訪日を前にした1983年9月、米国屈指の大企業、建設機械メーカー、キャタピラー社のリー・モルガン会長は「ドル・円の不整合―間題の所在と解決策」と題する文書をまとめ、政府、議会関係者に配布しました。
モルガン・リポートと呼ばれるこの文書には日米貿易不均衡の是正を求める米国製造業の見解がまとめられていました。米政府はこれを受けて日本に円安の是正、金融・資本市場の開放を迫りました。
11項目の要求
モルガン・リポートは米国の貿易赤字が拡大した原因をドルと円の為替レートに求め、円安・ドル高の是正を強調しました。日本には問題の解決をうたった日米共同声明の発表をはじめ、11項目の要求を突きつけました。預金金利の規制撤廃、短期金融商品の取引に関する規制撤廃など金融自由化や、日本非居住者が自由に取引できる金融市場の育成も盛り込みました。
日本との交渉にあたった米財務省には米国金融機関の出身者が並びました。リーガン財務長官は投資銀行メリルリンチの前会長、スプリンケル財務次官は元ハリス信託副社長、マルフォード財務次官補もメリルリンチ出身。大企業の代表が閣僚や政府の役職に就いて自ら権益を拡大するのが米国流です。
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日米円ドル協議で握手する大場智満財務官(左)とスプリンケル財務次官=1984年5月10日、大蔵省
レールを敷く
日米円ドル委員会報告書を受けて、メリルリンチなど外国証券6社は85年に東京証券取引所の会員権を取得しました。露骨な政府・大企業癒着です。
日本の大企業も米国からの外圧を利用して支配力の強化を狙いました。金融自由化は日本の大銀行や大手証券会社の要求でもありました。減量経営などで内部留保をため込んでいた大企業は有利な資産運用の場を求め、経団連を通じて金融自由化を政府に迫りました。
金融自由化は、為替先物取引の実需原則撤廃などで、大企業がため込んだカネの投機的運用を拡大しました。日米円ドル委員会報告書に盛り込まれた「円の国際化」は米国の金融機関に新たなもうけ口を提供するとともに、日本の大銀行の海外進出を促進しました。
こうした路線は中小金融機関を淘汰(とうた)し、中小企業金融を大銀行の支配下に置く結果となりました。現在日本の大銀行は中小企業への貸し出しを減らす一方、アジアをはじめ海外への融資を増やしています。90年代以降、「貯蓄から投資へ」のかけ声のもと、個人の金融資産を投機市場に動員するようになったのも、80年代に敷かれたレールがあったからです。
日米円ドル報告書で取り決めた自由化措置を実行することで投機資金の活動の場が広がり、やがてバブルの膨張へとつながっていきます。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年9月19日付掲載
80年代前半、軍事大国化と企業の海外進出による産業空洞化によるアメリカの二子の赤字。国家財政の赤字と貿易収支の赤字。
そのつけを日本に負わせようという魂胆です。金融自由化は日本の財界の要求でもあり、やがて住宅バブルを始めとした80年代後半の日本のバブル経済に突き進みました。
アメリカのリーマンショックの20年も前に日本にも住宅バブルがあったのです。
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