検証金融政策① 低成長の中での緩和
東京工業大学名誉教授 工藤昌宏さん
日銀は4月末に公表した「展望リポート」で2023年度の物価上昇率について1%との見通しを発表しました。黒田東彦総裁の任期中に2%の物価上昇目標が達成できないことを認めたものです。東京工科大学名誉教授の工藤昌宏さんに、日銀の金融政策を検証する文章を寄せてもらいました。
2012年12月、日本経済と財政の再建を掲げて安倍晋三政権が発足しました。安倍政権は翌13年4月以降、「機動的財政支出」、「大規模な金融緩和」、「長期的な成長戦略」を「三本の矢」とする経済政策、アベノミクスを開始。中でも、日本銀行による「異次元金融緩和策」はその軸をなしていました。
日銀は、経済が停滞しているのは世の中にお金が足りないからだとして、お金を大量に世の中に投入することにしました。投入期間は消費者物価が継続的に2%程度上昇するまでとしました。それから8年、物価上昇率は0%前後と2%に遠く及びません。達成期限も毎年先延ばしされてきました。それでも成果は着実に上がっているとして緩和策を続けています。
所信表明演説でアベノミクスを説明する安倍晋三首相(当時)=2013年1月28日、衆院本会議(首相官邸ホームページから)
財政から金融へ
先進国経済は1980年代に入るとほぼ6%前後の成長率を維持する一方で、貿易摩擦の激化や世界的な規制緩和の波にもまれて混乱の様相を強め、90年代には減速。各国は一斉に財政支出と金融緩和に踏み切りました。2000年代には中国など新興国経済の拡大などにより世界全体としては5%台の高成長を遂げますが、先進国経済は2~3%台と勢いはなく、特に日本は1~2%程度の低成長に陥りました。
経済の停滞で行き場を失い始めたお金は、金融緩和策を追い風に市場に流れ込み、投機が横行する不安定な世界に変えていきました。08年の米大手証券リーマン・ブラザーズの破綻とそれを契機にした世界的な金融危機(リーマン・ショック)はそれを物語ります。
以後、各国は国民負担につながりかねず、手続きに時間がかかる財政支出ではなく、「非伝統的な金融政策」に軸足を移していきました。これは、ゼロ金利やマイナス金利、量的金融緩和など、従来の金利操作とは異なる政策です。特に10年代には中国など新興国経済の減速、15年のギリシャ債務危機などを背景に、金融緩和は世界の潮流となっていきました。
18年後半以降、各国経済は軒並み停滞状態に陥り、いったんは停止した金融緩和策を復活させるとともに、それだけでは不十分だと景気対策の軸足を財政支出に移しています。
ゼロ金利政策 銀行間短期金融取引金利をゼロ%水準に低下させるまで中央銀行がお金を供給する政策
マイナス金利 政策金融機関が中央銀行に預けるお金に利子を課し、それによって金融機関から世の中にお金を流し込む政策
量的金融緩和 中央銀行が金融機関の保有する国債などを買い上げ世の中にお金を流し込む政策
インフレ目標
先進国の金融政策を見渡すと、まず1990年にニュージーランド準備銀行がインフレ目標政策を開始したのを皮切りに、2000年代にかけて各国は相次いでインフレ目標を設定。これは一定の物価上昇率を設定し、その範囲内で金融緩和を行うというもの。いわば金融政策の規律を定めたものです。
しかしリーマン・ショックを契機にこれでは不十分として、各国は新たな緩和策に踏み切ります。FRB(米国連邦準備制度理事会)は08年にゼロ金利政策を、09年には初の量的緩和策を導入。しかし、14年10月には量的緩和を部分的に終了し、15年12月にはゼロ金利政策を終了させるとともに利上げに転じました。
以後、18年まで9回連続で利上げを行ったほか、17年9月には量的緩和を完全に終結させています。こうして、FRBはいち早く緩和策から抜け出していきました。
その後、19年には中国や欧州経済の減速、さらには新型コロナウイルスの感染拡大を背景に利上げを停止し、再びゼロ金利政策、量的緩和策に転じます。
欧州では09年スウェーデン中央銀行がマイナス金利政策を導入し、以後12年にデンマーク、ドイツ、14年にECB(欧州中央銀行)などが相次いでマイナス金利政策を導入。また、15年以降、ECBは量的金融緩和策を導入したほか、マイナス金利策も加速化させています。しかし、16年12月にECBは量的緩和の縮小を決定、18年12月には量的緩和を終了させています。その後、19年にはFRB同様に量的緩和を再開させています。
(つづく)(5回連載です)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年6月8日付掲載
ゼロ金利政策、マイナス金利、量的金融緩和などの金融政策。政府が財政出動することなく市場介入することで景気回復をめざしますが…。
企業の設備投資や賃金アップなどの実体経済には回らず、株投資や金融投資に。
アメリカの中央銀行の最高意思決定機関FRBはいち早く緩和策から抜け出しますが、コロナ禍のもと各国はまた金融緩和に。
東京工業大学名誉教授 工藤昌宏さん
日銀は4月末に公表した「展望リポート」で2023年度の物価上昇率について1%との見通しを発表しました。黒田東彦総裁の任期中に2%の物価上昇目標が達成できないことを認めたものです。東京工科大学名誉教授の工藤昌宏さんに、日銀の金融政策を検証する文章を寄せてもらいました。
2012年12月、日本経済と財政の再建を掲げて安倍晋三政権が発足しました。安倍政権は翌13年4月以降、「機動的財政支出」、「大規模な金融緩和」、「長期的な成長戦略」を「三本の矢」とする経済政策、アベノミクスを開始。中でも、日本銀行による「異次元金融緩和策」はその軸をなしていました。
日銀は、経済が停滞しているのは世の中にお金が足りないからだとして、お金を大量に世の中に投入することにしました。投入期間は消費者物価が継続的に2%程度上昇するまでとしました。それから8年、物価上昇率は0%前後と2%に遠く及びません。達成期限も毎年先延ばしされてきました。それでも成果は着実に上がっているとして緩和策を続けています。
所信表明演説でアベノミクスを説明する安倍晋三首相(当時)=2013年1月28日、衆院本会議(首相官邸ホームページから)
財政から金融へ
先進国経済は1980年代に入るとほぼ6%前後の成長率を維持する一方で、貿易摩擦の激化や世界的な規制緩和の波にもまれて混乱の様相を強め、90年代には減速。各国は一斉に財政支出と金融緩和に踏み切りました。2000年代には中国など新興国経済の拡大などにより世界全体としては5%台の高成長を遂げますが、先進国経済は2~3%台と勢いはなく、特に日本は1~2%程度の低成長に陥りました。
経済の停滞で行き場を失い始めたお金は、金融緩和策を追い風に市場に流れ込み、投機が横行する不安定な世界に変えていきました。08年の米大手証券リーマン・ブラザーズの破綻とそれを契機にした世界的な金融危機(リーマン・ショック)はそれを物語ります。
以後、各国は国民負担につながりかねず、手続きに時間がかかる財政支出ではなく、「非伝統的な金融政策」に軸足を移していきました。これは、ゼロ金利やマイナス金利、量的金融緩和など、従来の金利操作とは異なる政策です。特に10年代には中国など新興国経済の減速、15年のギリシャ債務危機などを背景に、金融緩和は世界の潮流となっていきました。
18年後半以降、各国経済は軒並み停滞状態に陥り、いったんは停止した金融緩和策を復活させるとともに、それだけでは不十分だと景気対策の軸足を財政支出に移しています。
ゼロ金利政策 銀行間短期金融取引金利をゼロ%水準に低下させるまで中央銀行がお金を供給する政策
マイナス金利 政策金融機関が中央銀行に預けるお金に利子を課し、それによって金融機関から世の中にお金を流し込む政策
量的金融緩和 中央銀行が金融機関の保有する国債などを買い上げ世の中にお金を流し込む政策
インフレ目標
先進国の金融政策を見渡すと、まず1990年にニュージーランド準備銀行がインフレ目標政策を開始したのを皮切りに、2000年代にかけて各国は相次いでインフレ目標を設定。これは一定の物価上昇率を設定し、その範囲内で金融緩和を行うというもの。いわば金融政策の規律を定めたものです。
しかしリーマン・ショックを契機にこれでは不十分として、各国は新たな緩和策に踏み切ります。FRB(米国連邦準備制度理事会)は08年にゼロ金利政策を、09年には初の量的緩和策を導入。しかし、14年10月には量的緩和を部分的に終了し、15年12月にはゼロ金利政策を終了させるとともに利上げに転じました。
以後、18年まで9回連続で利上げを行ったほか、17年9月には量的緩和を完全に終結させています。こうして、FRBはいち早く緩和策から抜け出していきました。
その後、19年には中国や欧州経済の減速、さらには新型コロナウイルスの感染拡大を背景に利上げを停止し、再びゼロ金利政策、量的緩和策に転じます。
欧州では09年スウェーデン中央銀行がマイナス金利政策を導入し、以後12年にデンマーク、ドイツ、14年にECB(欧州中央銀行)などが相次いでマイナス金利政策を導入。また、15年以降、ECBは量的金融緩和策を導入したほか、マイナス金利策も加速化させています。しかし、16年12月にECBは量的緩和の縮小を決定、18年12月には量的緩和を終了させています。その後、19年にはFRB同様に量的緩和を再開させています。
(つづく)(5回連載です)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年6月8日付掲載
ゼロ金利政策、マイナス金利、量的金融緩和などの金融政策。政府が財政出動することなく市場介入することで景気回復をめざしますが…。
企業の設備投資や賃金アップなどの実体経済には回らず、株投資や金融投資に。
アメリカの中央銀行の最高意思決定機関FRBはいち早く緩和策から抜け出しますが、コロナ禍のもと各国はまた金融緩和に。
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