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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

基地の街を歩く 広島・呉 海自拠点に大型弾薬庫

2023-05-26 07:09:52 | 平和・憲法・歴史問題について
基地の街を歩く 広島・呉 海自拠点に大型弾薬庫
岸田文雄政権は、核兵器、化学兵器の攻撃の備えと称して自衛隊基地の強靭化を進めています。海上自衛隊の大規模な基地がある広島県呉市を歩き、その危険性を探りました。
(武田祐一)




広島駅からJR線快速で約40分。車窓には瀬戸内海と島が広がります。呉駅から港に向かうと、目の前に陸に上がった潜水艦が…。海上自衛隊(海自)呉史料館・てつのくじら館です。本物の潜水艦や機雷を取り除く活動などを紹介する自衛隊の宣伝施設。すぐ横には旧日本軍が建造した戦艦大和の模型などを展示する呉市海事歴史科学館・大和ミュージアムもあり、観光客が訪れていました。
「これらの施設は日本による戦争の加害に触れていない」。そう語るのは長年、平和運動に携わってきた呉地区平和委員会事務局長の森芳郎さん(81)です。

戦前からの軍都
「呉は戦前からの軍都だ。いまは海上自衛隊の地方総監部や護衛隊、潜水隊などがあり、48隻の艦船が配備された海自最大の軍事拠点だ」と説明します。
港には艦船の造船・修理をするドックや自衛艦の桟橋があり、潜水艦や強襲揚陸艦「おおすみ」などが係留されていました。



排ガスを出す海上自衛隊の潜水艦=5月11日、広島県呉市

進む強靱化計画
桟橋では、潜水艦が白い煙を吐き、周囲には排ガスのにおいが漂っていました。「いま敵基地攻撃能力のために、長射程ミサイルの垂直発射ができるよう潜水艦を改造している。そのミサイルの大型弾薬庫を呉に造る計画がある」と森さんは指摘します。
日本共産党の奥田和夫市議(72)は「国は市内にある自衛隊の大麗女島(おおうるめじま)弾薬庫を2年かけて調査すると伝えてきました。予算は2億円だといいます」。
夫が自衛隊員だという女性(41)は「平和のためには中国や韓国など外国の人と交流して理解を深めることが大事だと思う。基地があるから狙われ、一般市民が被害に遭うことになるので強靱化には絶対反対です」と強調しました。


基地増強に市民不安
自衛隊の弾薬庫は呉市の対岸の江田島にもあります。さらに米軍弾薬庫が呉市広(ひろ)と江田島市秋月、東広島市川上にあります。奥田和夫市議は「広弾薬庫については市議会で6回の撤去決議をあげる一方、9月に完全撤退する日本製鉄の跡地の基地化の声もあり、不安が伴います。日米一体化が進むなかで、市街地に隣接する場所に弾薬庫ができたら非常に危険だ」といいます。
「自衛隊員の命を守るため戦争法廃止のため 全力を尽くします」。呉駅前にある森田食堂には日本共産党の看板が立っています。店を営む森田鈴子さん(77)は「お客さんには自衛隊の人もいます。戦中には、呉空襲があった。今の政治家は戦争の怖さを知らないのでは?将来にかけて平和を守らなきゃ」と語ります。



呉基地に停泊する艦船。右は、おおすみ。中央奥の島は自衛隊の大麗女島(おおうるめじま)弾薬庫=5月12日、広島県呉市

計画知らされず
4月の呉市議選では、日本共産党議員が1人増え、2人になりました。議席を回復した久保東市議(63)は「政府が戦争準備を進めるなかで、自衛隊員の命を守れという訴えに共感が広がりました。市民は大型弾薬庫の計画を知りません。情報が隠されているのではないか」と指摘します。
市では、日本製鉄の撤退が地域経済に大きな影を落としています。保守系市議が日本製鉄跡地約143万平方メートルを自衛隊の基地として活用するよう自民党、日本維新の会の参院議員に要請書を出すなど、基地増強を推進する動きがあります。これに対し市民の間には不安が広がっています。自営業の男性(33)は「市民が知らないところで弾薬庫などの計画が進んでいると感じます。コロナ禍や物価高騰と続いており、軍拡よりも、生活しやすくなるようにしてほしい」といいます。この男性の父親(64)は「もし戦争になって呉が攻撃されたら1発で終わりになると思う。基地を強靱(きょうじん)化しても自衛隊の偉い人だけ助かって市民は守られん」と語ります。

空襲体験者が声
呉市では戦中、何度も空襲に遭い、4000人近くが亡くなっています。空襲体験者からも戦争準備に反対する声が出ています。
街を一望する山あいにある妙泉寺の住職、藤本日湧さん(80)は1945年7月1日の大空襲に遭っています。当時、呉の市街地にあった寺の防空壕(ごう)に近所の人が避難しましたが、藤本さん一家は入りきれず小学校の裏山の壕に逃げました。「街は焼夷弾(しょういだん)で焼け野原になり、寺の壕に逃げ込んだ人たちが亡くなりました。戦争で一番苦しむのは一般国民、とくに女性や子どもです。二度とやってはいけない」と訴えます。
小瀬利治さん(91)は45年3月19日、最初の呉空襲を鮮明に覚えています。国民学校6年のとき、軍港近くに住んでいました。米軍機接近の情報があり、父親から「先に逃げとけ」と言われ、防空壕に避難。「爆撃で家は破壊され、父は即死し、ぼうぜんとしました」。小瀬さんは訴えます。「岸田内閣がすすめる敵基地攻撃をすれば反撃される。戦争になればエスカレートしよる。起こさんようにすることが大事だ」

「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年5月25日付掲載


海上自衛隊(海自)呉史料館・てつのくじら館。本物の潜水艦や機雷を取り除く活動などを紹介する自衛隊の宣伝施設。すぐ横には旧日本軍が建造した戦艦大和の模型などを展示する呉市海事歴史科学館・大和ミュージアムも。
呉は戦前からの軍都。こうの史代さんの漫画『この世界の片隅に』の舞台です。
自衛隊の弾薬庫は呉市の対岸の江田島にも。さらに米軍弾薬庫が呉市広(ひろ)と江田島市秋月、東広島市川上に。
今年の統一地方選挙で呉市は日本共産党の議員が1人から2人へ。平和の声を広げます。

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