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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

日韓の歴史をたどる⑯ 関東大震災 虐殺招いた朝鮮蔑視と敵視

2019-12-20 08:15:07 | 日韓の歴史をたどる
日韓の歴史をたどる⑯ 関東大震災 虐殺招いた朝鮮蔑視と敵視
加藤 直樹
かとう・なおき 1967年生まれ。ジャーナリスト。『九月、東京の路上で』『トリック「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』『謀叛の児』ほか

「自然災害がこれほどの規模で人為的な殺傷行為を誘発した例は日本の災害史上、他に確認できず、大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある」
内閣府中央防災会議の災害教訓の継承に関する専門調査会報告『1923関東大震災【第2編】』(2008年)は、関東大震災時の朝鮮人虐殺について、そう強調している。
関東大震災は1923(大正12)年9月1日午前11時58分に発生した。最大震度7。昼前で、強風であったこともあり、東京と横浜の両市では都市火災が拡大し、死者・行方不明者10万5000人という大惨事となった。
混乱と不安、怒りの中で、「朝鮮人が放火をした」「井戸に毒を入れた」「暴動を起こした」という流言が発生する。それはすぐに朝鮮人への迫害・殺害に発展した。避難民が押し寄せた河川敷や公園で、自警団が検問を敷くつじつじで、避難民を満載して東北に向かう列車の中や駅前で、人々は朝鮮人を見つけては暴行を加え、殺害した。虐殺事件は東京や横浜だけでなく、埼玉、千葉、群馬でも起きた。



惨殺された朝鮮人の遺体。本所の隅田川畔に引き上げられた遺体は手を後ろで縛られていた(『画報日本近代の歴史9』から)

「殺してもいい」警察署長が公言
事態をここまで悪化させたのは、警察と軍であった。警察は流言を信じて拡散した。警官たちはメガホンを手に朝鮮人の襲来を警告した。「殺しても差し支えない」と公言した警察署長もいた。治安行政のトップである内務省警保局は9月3日、「朝鮮人は各地に放火し、不逞(ふてい)の目的を遂行せんと」していると全国に打電している。
戒厳令によって東京市内に進駐した軍部隊は、自ら朝鮮人を虐殺した。軍が殺害した朝鮮人、日本人、中国人の数は、戒厳司令部がまとめた記録だけでも281人に上る。目撃証言も多く、実際にははるかに多いだろう。
警察や軍は9月3日には流言が事実ではないことに気づき、徐々に朝鮮人を「保護」する方針に転じた。しかし虐殺は9月6日、戒厳司令部が朝鮮人への迫害を「絶対に慎め」とする注意を発表し、明確に流言を否定する頃まで続いた。
便乗するような事件も起きている。川合義虎ら日本人労働活動家10人が軍に殺害された亀戸事件や、憲兵隊によるアナキストの大杉栄・伊藤野枝・橘宗一殺害事件。中国人労働者200人以上が労働ブローカーと軍によって虐殺された大島町事件。中国人労働者を指導していた活動家・王希天も軍人に殺害された。
殺された人数は不明だが、先述の『1923関東大震災【第2編】』は、朝鮮人、朝鮮人に間違えられた日本人、中国人の被殺者推計を、1000人~数千人とまとめている。



竹やりで武装した自警団(『画報日本近代の歴史9』から)

捕虜を虐殺した義兵戦での体験
流言と虐殺の背景には、「韓国併合」を通じて育った朝鮮人蔑視と、1919年の三・一独立運動を頂点とする朝鮮人の抵抗への恐怖が、日本社会に浸透していたことがあった。加えて、つねに独立思想・独立運動に目を光らせていた警察の朝鮮人敵視や、朝鮮・満州・シベリアで住民や捕虜を銃殺し村を焼くような対ゲリラ(義兵)戦を重ねてきた軍部隊の行動が事態を悪化させた。戦争経験者が地域社会に多かったことも大きい。
『1923関東大震災【第2編】』は、この事件から学ぶべき教訓として、「民族差別の解消の努力」や災害をテロと混同する流言の発生への警戒を挙げているが、民族差別的な流言は、今なお災害のたびに発生している。そして流言から実際の暴力までは決して遠くない。実際、東日本大震災時には、石巻で外国人窃盗団が横行しているという流言が広がり、それを信じた東京の右翼団体が武装して現地に乗り込むといった事態も起きている。
関東大震災時の朝鮮人虐殺では、警察や軍が果たした役割が大きかった。民族差別を許さない社会をつくることはもちろんとして、行政当局が災害時に差別的流言をきちんと否定するあり方をつくることが必要だろう。政治家が民族差別や歴史歪曲をあおるといったことは論外である。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年12月19日付掲載


大災害が起こった時、多民族へ矛先が向くって悲しいことですね。
10月末、沖縄の首里城が消失した時も、一時期ネット上で「外国人が放火」などのデマが流れたことがありました。
戦前の政府ですら、1週間もたたないうちに「朝鮮人が放火をした」などの流言を否定したことは大事なことです。


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2 コメント

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はじめまして (みちこ)
2020-01-15 14:01:10
初めまして。みちこと申します。
「日韓の歴史をたどる」の記事を探してググってまいりました。
殆ど読めていなくて、日本共産党に問い合わせたところコピーを送って下さるとのことで、送ってもらったのですが縮小してあり画像がつぶれてしまっていて残念。
ブログに載せようと思っていたので、がっくりしてしまいました。
こちらを見つけて感激して、私のブログでリンク紹介させて頂きました。
それが私は脳の機能障害を患っている精神障害者で、今は文章を読むのが大変な状態で殆ど休んでおり交流出来ず、ブログは友達に話す時に見せる保存用になっています。
きっと私以外に読まない気がするのですが、ブログに載せました。
私意外誰も見に来なかったらごめんなさい。
私が何度も読みに参ります◎^∇^◎あはは☀
本当にありがとうございました。
画像を頂いて行ってもよろしいでしょうか?
もしきんちゃんのブログ記事が読めなくなった場合に保存しておきたいので。
画像が潰れたコピーの4番目を持っています。
私のブログに掲載します。もって行って下さい。
あ!目が痛いので、数日後にUPします。
載せたらまたお礼に参ります。
よろしくお願い致します。
返信する
Re)日韓の歴史をたどる⑯ (きんちゃん)
2020-01-16 07:28:36
紹介していただきありがとうございます。
画像もっていっていただいてOKです。
日本の過去の侵略戦争の歴史はシッカリ伝えて、過ちを二度と繰り返さないようにしないといけませんね。
返信する

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