きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

シリーズ 原発の深層  第三部・差別と抑圧超えて⑤ 「ガラスの檻」幽閉17年

2011-11-06 23:22:50 | 原子力発電・放射能汚染・自然エネルギー
シリーズ 原発の深層  第三部・差別と抑圧超えて⑤ 「ガラスの檻」幽閉17年

 放射能の専門家としてテレビでもよく知られている安斎育郎・立命館大学名誉教授(71)。国の原子力政策を批判し、東京大学医学部の放射線健康管理学教室に勤めていた1969年から86年まで助手にとどめられたことがあります。後に週刊誌が「東大助手『ガラスの濫(おり)』に幽閉17年」と報じたほどです。
 「出勤しても誰も口を利かない。教育業務からも外される。主任教授から、研究発表も許可なしにしてはいけないと言われました」

災害防止研究
 安斎さんは62年、東大工学部に全国に先駆けて設立された原子力工学科の第1期生となりました。国が原発推進の技術者を養成するための学科でした。同期には、石田寛人元科学技術庁事務次官らがいます。
 安斎さんは「原子力がモノになるかは、放射能を管理できるかにかかっている」と、放射線防護学を専攻。卒業論文は「原子炉施設の災害防止に関する研究」でした。しかし、次第に国の原発政策が住民の安全を守るものになっていないと感じるようになります。
 66年には、科学の自主的・民主的・総合的発展を目指す日本科学者会議に入会し、国の原子力政策への批判を展開しました。
 72年の日本学術会議の第1回原発シンポでは基調講演。国の原発政策について▽経済優先の開発か安全確保優先の開発か▽軍事利用への歯止めが保障されているかーなど「6項目の点検基準」を提起し、国に落第点を与えたのです。
 翌73年には国会で意見を陳述。9月には福島第2原発の設置をめぐる公聴会で、原発の安全性に疑問をもつ住民の声を代弁し、建設反対を主張しました。



福島第2原発の設置をめぐる公聴会で意見陳述する安斎育郎東大助手(当時)=73年9月、福島市

“安斎番”尾行
 大学での人権侵害はそうした活動を抑え込むための攻撃でした。
 「講演に行けば電力会社の“安斎番”が尾行につく。内容は録音して届けられ、翌日には主任教授から『昨日、こんな話をしただろう』となじられる」
 東電から派遣された隣席の産業医は、辞めるとき、「僕の役割は安斎さんが次に何をやろうとしているかを偵察する係でした」と打ち明けました。東電が「費用は全部保証するから3年ばかりアメリカに留学してくれないか」と懐柔しようとしたこともありました。
 安斎さんは、「研究費がなくても研究はできる」と励み、専門学会では70年代半ばに三役の一人も務めるなど活発に活動しました。
 「日常的に不快な体験をさせて『改心』や『屈服』を迫るやり方は、自由な批判精神の上に安全性を一歩一歩培っていく技術開発の思想とは対極のもの。自由にモノを言わせないこの国の原発開発が安全なはずがないと肌で感じました」(つづく)


「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年11月4日付掲載



「ガラスの檻」って聞いて、僕が若い時、「民間のある企業で職場の労働条件を改善しようと頑張っている民主青年同盟の活動家を隔離部屋に閉じ込めた」って話しを思い出しました。
その後の闘いによってその活動家は元の職場に戻ることができたのですが・・・

安斎さんのような人でもそんな扱いをされたことがあるんですね・・・

シリーズ 原発の深層  第三部・差別と抑圧超えて④ 東電を断罪した裁判

2011-11-05 20:41:13 | 原子力発電・放射能汚染・自然エネルギー
シリーズ 原発の深層  第三部・差別と抑圧超えて④ 東電を断罪した裁判

 19年2カ月にも及んだ東電思想差別争議の全面解決が実現したのは1995年12月25日、クリスマスの日でした。東電は陳謝するとともに再発防止を約束。①賃金の是正や管理職などへの昇格②解決金の支払いーなど画期的な内容で和解が成立したのです。

原発推進批判
 大きな力となったのが93年の前橋から94年の横浜まで5地裁での連続勝訴判決です。判決は、憲法などに照らし「共産党員等であること自体を理由とする差別は、原則として違法である」(甲府地裁)と述べるなど、東電の反共労務政策と原告らに対する思想差別を断罪しました。
 原告・支援者は、労働者への差別と結びついた安全無視の原発推進路線を批判し、世論にも訴えてきました。
 82年2月には福島県相馬郡小高町(現南椙馬市)で、住民らと「原発の安全性を考えるシンポジウム」を開催しています。当日は、参加者が現地調査で福島第1原発を訪れると、機動隊が待機し、右翼の宣伝カーが「シンポ粉砕」を叫ぶというものものしさ。しかし、シンポジウム自体は150人の超満員となり、新聞各紙に報じられました。
 90年には福島第2原発3号機の再循環ポンプ損壊事故(89年1月)後の運転再開への抗議行動に取り組むなど、住民とともにたたかい、原発推進などのために行われてきた差別と抑圧を打ち破ったのです。
 元東京原告団の鈴木章治さん(72)は、「私たちは、利益優先ではなく、公益事業としての責任を果たせと訴えてきました。今回の原発事故は、東電が反省しきってはいなかったことを示しました。根本からただしていく必要があります」と話します。
 福島第1原発事故の後、東電の社員からは、「本当に迷惑をかけてしまっているのでただただ謝るばかりです」との悲痛な声や、「社員が希望を持てるような経営層のメッセージが必要だ」との意見も聞こえてきます。



原発の安全を考える調査団=1982年2月28日(東電訴訟原告団・支援共闘中央連絡会議の『きりひらこう あしたを』から)

経営陣の責任
 元神奈川原告団の原信夫さん(65)は、「社員からは、仕事が増えるのに賃金が減り不安でいっぱいだが、必死で頑張っているという話も聞いています。経営陣は、モノの言えない会社にして原発事故を招いた責任を労働者に転嫁すべきではない」と話します。
 鈴木さんは言います。「東電は事故の収束と被害者の賠償に全力をあげるとともに、原発ゼロに転換してこそ国民の信頼を回復し、公益事業としての責任を果たすことができます。そのカギは、世論と職場の労働者にかかっています」(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年11月3日付掲載



東電の思想差別裁判の勝利は衝撃的でしたね。その後、関西電力などで闘われてきた思想差別・賃金差別裁判は次々と勝利を勝ち取って行ったことが鮮やかに甦ってきました。
その後、1999年のいっせい地方選挙で、関西電力在職中の北岡ひろしさんが日本共産党公認で立候補。定数2の神戸市中央区から兵庫県会議員に当選しています。
闘いは波及効果をもたらしました。

文科省は不安に答えている? 放射線副読本を読む

2011-11-04 22:19:25 | 原子力発電・放射能汚染・自然エネルギー
文科省は不安に答えている? 放射線副読本を読む
 福島の大事故 言及なし 被爆の危険性を覆い隠す


 10月14日、文部科学省から放射線に関する教材用の副読本が公表されました。子どもや教師の不安に答えるものとなっているのか。今学ぶべきことは何なのか。埼玉県立小鹿野高校教員の関根一昭さん(平和・国際教育研究会会員)に書いてもらいました。

埼玉県立小鹿野高校教員 関根 一昭さん

 副読本は小学校用、中学校用、高校用に分けられ、それぞれに教師用の解説書がついています。福島第1原発事故後、原発や放射線に関するあらたな教材が求められていました。しかし、今回の副読本は、現場の教師や、子ども、生徒に対する期待にこたえるものにはなっていません。
 問題点をいくつかあげてみます。



放射線副読本(小学校)の表紙とその中身


汚染の現実は
 原発や原発事故については、冒頭のはしがきに数行ふれられているのみです。レベル7の大事故を起こした原因、実態、地震と津波の影響など、まったく記述されていません。半年経過して、ますます深刻さを増している放射能汚染の現実についてもふれられていません。
 学校で教材としてあつかうときに、福島第1原発事故に言及しないで展開することができるのでしょうか?文部科学省が作成したスピーディ(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の放射能汚染図(図参照)などを掲載する手立てもあったでしょう。少なくとも福島の学校では使用できない副読本といわざるをえません。
 放射線が人体にあたえる影響についての記述にも問題があります。100ミリシーベルト以下の被ばくには、「明確な証拠がない」ので、「被ばくのリスク」もないかのような表現になっています。
 最近の低線量被ばくに関する研究や、内部被ばくに関する研究の進展を無視しています。がんの原因を他の原因と並列させて、放射線被ばくの危険性を覆い隠しているところもあります。



スピーディ(SPEEDIによる1歳児の甲状腺の内部被ばく量の試算(3月12日午前6時~3月24日午前0時までの積算値)


危険性述べず
 福島第1原発事故で大量に放出され、子どもたちが気にかけている放射性ヨウ素や、放射性セシウムにもふれられていません。子どもたちの毎日の生活に欠かすことができない食の安全にもふれられていません。放射線の利用や、「安全性」はくり返し書かれていても、その危険性はほとんど述べられていません。
 福島県をはじめ、隣接する都県の子どもたちが、放射線の脅威にさらされているとき、この副読本は実態に即したものとはいえません。
 また、アメリカのスリーマイル島原発事故やウクライナ共和国のチェルノブイリ原発事故もとりあげられていません。過去の大事故の教訓から学ぶべきことはたくさんあります。少なくとも中学生、高校生には十分に教える必要があります。原発だけではなく、青森県六ケ所村の核燃料サイクル基地の問題、さらには使用済み核燃料の処理の問題もないがしろにすることはできません。

意見を聞かず
 副読本とその解説書は、今月上旬から各学校に配布され、その数は合計8万部になります。副読本が作成された過程も問題です。福島第1原発事故を受けて、原発や放射線の問題は大きな課題になっています。いきなり「決定版」を学校に配布するのではなく、国民の意見、とりわけ現場の教師の意見を集約し、それを反映させた副読本でなければなりません。
 児童生徒の疑問にこたえ、教師の要求に的確にこたえられる内容の副読本に改訂される必要があると考えます。


【副読本発行の背景】
 文科省と経済産業省は2009年度から、原発は安全と書かれた小中学生向けの副読本『わくわく原子力ランド』等を発行。授業等で使われ始めていました。日本共産党の宮本岳志衆院議員は4月の文部科学委員会で「“安全神話”にたった副読本は使わせてはならない」と追及。高木義明前文科相は「見直していきたい」と答え、当該ホームページからも削除されました。今回の副読本はこの「見直し」の結果作られました。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年11月2日付掲載


福島原発事故をうけて、さすがに『わくわく原子力ランド』などのバラ色一色の副読本はひっこめざるをえなかったのでしょう。当然です。
でも、福島第一原発事故の事とか、放射性ヨウ素や放射性セシウムの危険性、その対処方法についても触れられていないといいます。

原子力を美化することを改めたことは認めたいと思いますが、実際の教育現場のニーズには合っていないのではないでしょうか・・・

シリーズ 原発の深層  第三部・差別と抑圧超えて③ 労組をパートナーに

2011-11-03 22:33:25 | 原子力発電・放射能汚染・自然エネルギー
シリーズ 原発の深層  第三部・差別と抑圧超えて③ 労組をパートナーに


 東京電力の専制的な職場支配と、無謀な原発推進に労働組合はどうしていたのか―。
 東京電力労働組合(1951年発足)の前身となったのは、全国単一組織の日本電気産業労働組合(電産)から分裂し結成された関東配電労働組合です。
 電産は、戦後のインフレ時に生活給に基づく賃金体系を勝ちとるなど、当時の労働運動の先頭に立っていました。しかし、レッドパージ(50年)、9電力体制への分断(51年)を受けて後退を余儀なくされます。



原発推進を訴える東電労組の機関紙「同志の礎」(1988年)


たたかい排除
 当初、経営合理化に反対していた東電労組は、60年に「経営対策活動を充実」するとして協力方針へ転換。「電源開発の促進」「コスト削減」を掲げる労資協調路線へ踏み出しました。
 「運命共同体としての労使」「人間尊重の経営」を掲げたのは、第4代社長の木川田一隆氏。労務部長として電産と対決した人物です。
 実態は「よきパートナー」を育成するための、労組への介入でした。役員選挙では、特定候補者への投票工作などあらゆる手段を使って、日本共産党員をはじめ、たたかう労働者を排除しました。
 66年に労組は、旧民社党支持を決定。国政に電力業界の利益を代弁する議員を、一党締めつけと「ぐるみ選挙」で連綿と送り出してきました。
 「スリーマイル島のこの事故が、日本の原子力の安全にして正しい開発に支障があってはならぬ」―。
 スリーマイル島原発事故(79年)直後にこう発言し、安全性を問うどころか、政府に原発推進をあおったのは東電労組出身の中村利次議員(旧民社党)でした(参院科学技術振興対策特別委員会)。
 労組は、組合員に旧民社党(現在は民主党)支持を押しつける一方で、会社の思想差別を提訴してたたかう組合員のビラ配布を「特定政党の組織介入による反組織行為」とし、抑圧を一層強めました。

事故のたびに
 労組は、過酷事故のたびに原発推進の会社を後押ししてきました。
 スリーマイル島事故後には関係業界の労組とともに「見解」を発表。「日本の原子炉には、(略)起こり得ないという実感を持たざるを得ない。不幸な出来事の中での満足感がある」とし、会社を逆に叱咤激励しました。
 チェルノブイリ原発事故(86年)後も「自信をもって!原子力/反対運動恐れるな」と機関紙で訴えました。
 福島原発事故後の、今年5月の大会で掲げられた運動方針では「東電労組として原子力発電の必要性や推進していく考えに変わりはありません」と、原発推進の一翼を担ってきたとの反省はみられません。(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年11月1日付掲載



シリーズ 原発の深層  第三部・差別と抑圧を超えて② 警察・公安と一体

2011-11-01 23:58:15 | 原子力発電・放射能汚染・自然エネルギー
シリーズ 原発の深層  第三部・差別と抑圧を超えて② 警察・公安と一体

 東京電力による差別と抑圧は、日本共産党員と支持者らの私生活にまでおよび、結婚式さえ舞台になりました。
 東電に思想差別撤廃を求めた裁判の元群馬原告である飯田至弘さん(71)は、1970年、結婚式の案内状を21人の社員に発送。会社は出席に圧力をかけ、返事が届いたのはわずか5人でした。
 出席の返事がきた同期の友人も、式前日に「やはり出られない。会費はお祝いにして」と申し訳なさそうに電話してきました。
 職場の友情を引き裂く会社を「今でも許せない。彼は裁判のときも会社側のあら探し陳述書を断りつづけてくれた」と飯田さんは振り返ります。



9電力労務担当者会議で東電が報告した労務対策の内容


リストアップ
 こうした監視と抑圧は、警察・公安と一体となって行われました。66年の9電力労務担当者会議で東電の担当者は「公安調査庁、警察関係と連絡を密にし」党員をリストアップしていると報告。実際、治安当局からの情報と日頃のスパイ活動をもとに、全社的に「ブラックリスト」が作成されました。
 68年に群馬支店で行われた管理者研修会では、群馬地方公安調査局長が講師となり、民青同盟員の割り出し方法などについて説明しています。
 監視と差別は地域住民にもおよびました。
 東電は70年代以降、石油危機後の電気料金値上げと、電源立地の行き詰まりに直面。顧客への相談活動や地域ボランティアヘの参加など、「サービス活動」を推進します。
 しかし、その裏では、原発や料金値上げに反対する住民の動向を、個人名まで挙げて会議で報告させていました。末端の営業窓口や料金係が吸い上げた顧客情報が本店にあがる仕組みです。

各原発に1人
 「住民にまでこんなことをやっていたのか」。元東京原告の稲富勉さん(67)が地域の原発学習会で事実を語ると、参加者からは驚きの声があがるといいます。
 「原発反対の人たちは見学ツアーに連れて行かなかった」。こう証言するのは元群馬原告で、営業課勤務だった兼松進さん(71)。
 80年代後半以降、東電は「安全神話」宣伝のために、福島と柏崎刈羽原発への見学バスツアーを実施しました。
 町内会や婦人会などを対象としていたものの「原発反対の住民は“予算の都合で調整がつかない”などと断っていた」といいます。
 公安・警察との癒着は今も変わりません。
 警察から東電への天下りは、今年8月現在で31人。3月末までは各原発に1人の警察OBが勤務していました。東電は「渉外・警備・料金徴収に関する助言を得ている」としています。(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年10月31日付掲載



今でこそ、「脱原発」の団体が「原発見学ツアー」などで原発を訪れても見学させてくれるのですが。当時はシャットアウトしていたのですね。
「日共・民青のやつらの結婚式ににはでるな!」と圧力がかかったことはよく聞かされましたが、それはひどいものだったんですね・・・