きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

日本共産党第28回党大会のおみやげ いただきました

2020-01-22 15:47:54 | いろんな取組み
日本共産党第28回党大会のおみやげ いただきました

共産党第28回大会みやげ_01
共産党第28回大会みやげ_01 posted by (C)きんちゃん
恒例のノートとボールペンです。

共産党第28回大会みやげ_02
共産党第28回大会みやげ_02 posted by (C)きんちゃん
ノートの裏には、2019年参院選のキャッチフレーズ。「HOPE 暮らしに希望を」が印刷されています。

ありがとうございました! 大切に使います!

安保改定60年 第一部④ 第5条 日本防衛義務なし

2020-01-21 08:05:27 | 平和・憲法・歴史問題について
安保改定60年 第一部④ 第5条 日本防衛義務なし
「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」に対して、「自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動する」。こう規定した日米安保条約第5条は、日本が攻撃を受けた場合、米軍が自衛隊とともに反撃するという定説の根拠になっています。
外務省は第5条について、「米国の対日防衛義務を定めており、安保条約の中核的な規定である」と解説していますが、本当に日本を「防衛」するのか。
村田良平元外務事務次官は、「米国の日本防衛義務は、条約の主眼ではない」(『村田良平回想録』)と述べ、外務省の解釈と真っ向から反する見解を示しています。

否定する当事者
さらに、▼「『日本の防衛は日米安保により米国が担っている』と考える日本人が今なお存在する」が、「在日米軍基地は日本防衛のためにあるのではなく、米国中心の世界秩序(平和)の維持存続のためにある」(冨澤暉・陸自元幕僚長安全保障懇話会会誌、2009年7月)▼「誤解を恐れずに言うと、在日米軍はもう日本を守っていない」(久間章生元防衛相、『安保戦略改造論』)―といった見解が公然と出されています。
そもそも、第5条には文言上、米軍の「義務」は何ら明示されていません。米軍は安保条約・日米地位協定に基づいて作戦行動の自由を全面的に確保されており、日本を足掛かりに、地球規模の出撃を繰り返していることを、外交・軍事の当事者は熟知しているのです。日本が米軍に作戦上の「義務」を課すことは不可能です。
海兵隊など米軍に深い人脈を持つ軍事社会学者の北村淳氏は、こう解説します。
まず、「『自国の憲法上の規定及び手続に従って』という文言には、合衆国憲法に規定されることがうたわれています。対日軍事支援は政府や軍の意向だけで決定されず、最終的には連邦議会が決定するのです」。実際、合衆国憲法1条8節11項に、連邦議会の「宣戦布告権」が規定されています。
その上で、「中国による尖閣諸島や宮古島占領といった事態での本格的な軍事介入は米中戦争勃発につながるもので、議会がゴーサインを出す可能性は限りなくゼロに近い」と言います。



演習場内に投入され、展開する米海兵隊員=2017年3月10日、群馬・相馬原演習場

戦闘以外の支援
さらに、北村氏はこう指摘します。「『自衛隊は盾(後方支援)、米軍は矛(打撃力)』という役割分担が定着しており、多くの国民は『万が一の場合は世界最強の米軍が守ってくれる』と考えているが、軍事常識からいえば、第5条にある『日米共通の危険に対処する行動』には、偵察情報の提供、武器弾薬燃料の補給、軍事顧問団による作戦指導、その他多くの『戦闘以外の軍事的支援活動』が含まれています。かりに米国が日本に援軍を派遣して外敵と交戦することを『防衛義務』というならば、安保条約は米国に『義務』を課しているとはいえない」
安保条約第5条は、「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」が発生した場合、日米が共同行動をとるとしています。他方、北大西洋条約など、米国の他の条約では、当事国および米国のいずれも「共同行動」の適用範囲に含んでいます。他の軍事同盟は国連憲章第51条に基づく集団的自衛権の行使を前提としていますが、日本は憲法の制約上、集団的自衛権の全面的な行使ができないため、こうした規定になっています。
このため、日米安保は「片務的」「ただ乗り」との批判が米側から繰り返されてきました。その代表例が、トランプ米大統領です。


米国に“不公平”なのか
発言の真意は
「(日米安保は)不公平だ」「日本が攻められたときに米国はたたかわなければならない。しかし、米国が攻められたときに日本はたたかわなくてもいい。だから変えなくてはいけない」(2019年6月29日、大阪市での記者会見)
トランプ氏はそれ以前にも同様の発言を繰り返しており、「日米安保条約の破棄」まで言及しました。もちろん、同氏の真意は別のところにあります。「安保破棄、米軍撤退」で日本をどう喝し、米軍駐留経費のさらなる増額や米国製武器の大量購入、憲法9条改悪による自衛隊の役割分担の拡大などをのませることです。
実際、一連の発言を前後して、米メディアでは「米軍駐留経費総額の1・5倍」「思いやり予算の4~5倍化」といった、とてつもない負担要求が椙次いで報じられました。
そもそも、日米安保体制は米国にとって「不公平」どころか、①資産評価額で世界一の高価な米軍基地②他の同盟国と比べて突出した駐留経費負担③米植民地的な特権が付与された日米地位協定―など、世界で最も米軍に有利なものです。また、朝鮮戦争やベトナム戦争、対ソ「冷戦」などは、いずれも日本なしには実行できませんでした。在日米軍基地は、米国の軍事戦略上、身銭を切ってでも手放したくない最重要拠点なのです。
在日米軍は「日本防衛」とは無縁の、地球規模の遠征部隊です。しかし、日本政府は安保条約5条で米国の「対日防衛義務」が発生していると信じ、しかも、「米本土防衛」ができないという“負い目”があります。トランプ政権はまさに、そこを突いて日本政府をゆすり、たかろうとしているのです。



写真は上から順に、トランプ米大統領、航空自衛隊のステルス戦闘機F35A、安倍首相

共同作戦態勢
安保条約5条の本質は、米国の「対日防衛義務」ではありません。米軍と自衛隊の従属関係を深める日米共同作戦態勢=米軍とともに「戦争する国」づくりの深化にあります。
1960年の安保改定以降、日本の軍事費は急増し、自衛隊の強化と日米共同訓練の深化が進みます。78年、初めて策定された日米軍事協力の指針(ガイドライン)で、日本への武力攻撃が発生した際の役割分担に、朝鮮半島や台湾といった「極東有事」での共同作戦の研究が盛り込まれました。97年の改定では、地理的な限定のない「周辺事態」で自衛隊が米軍の支援を行う仕組みがつくられ、実質的な安保条約の大改定となりました。
この間、日本は米国のベトナム戦争やアフガニスタン、イラク戦争の出撃基地となり、自衛隊もインド洋やイラク派兵で米国の戦争に加担。「地球規模の同盟」となりました。
さらに、2015年の新ガイドライン策定と安保法制の成立で、集団的自衛権の“限定的”行使など、あらゆる事態で「切れ目なく」米軍を支援し、世界中で米国の起こす戦争に自衛隊が参戦する道がつくられました。地球全体から、宇宙・サイバー・電磁波といった新領域にまで“戦場”を拡大しています。
1970年代から90年代まで現場で安保の現場にいた林吉永・元航空自衛隊空将補は、憲法と自衛隊との両立に腐心してきたものの、ことごとく踏みにじられ、「まさになし崩しの連続だった」と振り返っています。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年1月20日付掲載


「日本が攻撃された時にアメリカは闘う義務があるが、アメリカが攻撃された時に日本は闘う義務がない」と言います。
でも実態は、アメリカが起こす戦争(アフガン、イラク戦争など)に程度の差はあれ自衛隊が協力するところにあります。


改定60年素顔の安保① 岸首相も「憲法・国連の枠内」と言っていたのに 変質した条約続けるのか

2020-01-19 08:19:35 | 平和・憲法・歴史問題について
改定60年素顔の安保① 岸首相も「憲法・国連の枠内」と言っていたのに 変質した条約続けるのか
軍事ジャーナリスト 前田哲男さん
まえだ・てつお=1938年福岡県生まれ。長崎放送記者を経て、フリージャーナリスト。元東京国際大学教授。近著に『イージス・アショアの争点』(緑風出版、共著)



1月19日で現行の日米安保条約が調印されてから60年です。同条約のもと日本はどうなっているのか。軍事ジャーナリストの前田哲男さんに聞きました。田中一郎記者

【安保条約とは】
旧条約は1951年に結ばれました。米国が占領中につくりあげた基地をまるごと米軍に提供するものでした。60年に現行の条約に改定されました。米軍と共同してたたかう共同作戦条項などを新たに盛り込み、日本を米国の戦争に巻き込む対米従属の軍事同盟に改悪・強化するものでした。

【安保条約の関連年表】
1945年 アジア・太平洋戦争が終わり、米軍占領始まる
1947年 日本国憲法施行
1951年 サンフランシスコ平和条約、日米安保条約調印
1952年 両条約発効。沖縄では米軍占領続く
1960年 改定安保条約、地位協定調印
1972年 沖縄が粗国復帰
2001年 インド洋に自衛隊派兵
2003年 イラクに自衛隊派兵
2014年 集団的自衛権行使容認を閣議決定
2015年 安保法制(戦争法)の国会成立
2019年 自衛隊の中東派兵を閣議決定


米いいなり 閣議決定だけで中東派兵
世論調査でみると、安保条約を肯定的に評価する人は約8割です(内閣府調査、2018年)。しかし、オスプレイの配備や米軍機の低空飛行、辺野古の米軍新基地建設などへの国民の批判は強いものがあります。
米軍機による低空飛行が野放しなのは、日米地位協定に基づく特例法により日本の航空法の米軍適用が除外されているからです。こうした米軍の特権を定めた地位協定は、日米安保の「素顔」ともいうべきものです。全国知事会は、その改定を求めています。安保条約の素顔に国民の支持があるわけではありません。

米軍と自衛隊の一体化進む
作戦体制は地球規模

60年前に現行安保条約を調印した岸信介首相は当時、この条約には「二つの大きな前提がある」として①「日本国憲法の枠内ですべてのことが律せられる」②「国連憲章の枠内において結ばれておる」―などと説明していました。(60年2月26日の衆院安保特別委員会)
「憲法の枠内」という点でいえば、このとき岸首相は「(自衛隊は)いかなる場合においても、領土外に出て実力を行使することはあり得ないという建前を厳守すべきことは、日本の憲法の特質だ」と述べました。
しかし、2001年の同時多発テロ後、「ショー・ザ・フラッグ」(日本の国旗を見せろ)、「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」(地上部隊派兵)という米国の要求を受け、小泉政権は自衛隊をインド洋・イラクに派兵(01~10年)。安倍政権になってからは14年の閣議決定で集団的自衛権行使を容認、15年の安保法制成立で、米軍と自衛隊の一体化が進み、地球規模で作戦できる体制がつくられました。
そして今度は海上自衛隊の中東派兵です。
インド洋・イラク派兵のとき政府は特措法をつくって対応しました。今回はそれすらなく、閣議決定だけです。その無法ぶりはきわめて危険です。米国の要求に応えるため、ここまで締まりのない、けじめのない姿勢をとるにいたっています。
中東派兵で想起するのは1937年の盧溝橋事件です。当時、北京近郊に駐屯していた日本軍は偶発的な発砲を契機に中国軍と衝突し、それが日中全面戦争、太平洋戦争へと拡大しました。
今回の中東派兵でも、偶発的事件がきっかけに戦乱が拡大する危険はないのか。実力部隊を送り込むにもかかわらず、そうした検討が政府内で真剣になされているように見えない。安保改定60年を経て、ここまで政治が退廃しています。

イラク戦争で在日米軍出撃
国連憲章違反問わず

「国連憲章の枠内」という点でも、日本政府は国連憲章違反のイラク戦争(2003年開戦)を支持し、在日米軍によるイラク出撃も問題視しませんでした。安保条約は5条で、日本防衛の際に日米両軍が共同対処することを定めています。6条では、米軍の駐留目的を「極東における国際の平和及び安全の維持」としています。
しかし在日米軍は、日本防衛も極東の範囲も超え、イラク戦争にも出撃する。安保条約の運用実態は、当初の政府説明とは似ても似つかぬものになっています。かくも変質した条約を維持し続ける意味は、もはや見いだしがたい。

米兵器爆買い、経費負担増
歴代日本政治の失策

トランプ政権が最近、在日米軍駐留経費の日本側負担を現状の約4倍にするよう求めたと報じられています。
安保条約と同時に結ばれた地位協定は“基地の提供をのぞき、費用は米側負担”と定めています。しかし協定に反して78年度から「思いやり予算」が始まりました。本来なら協定改定がスジでしょう。それをしないのは、改定論議が始まれば、協定が定める米軍の特権も問題になることを米側が恐れているからでしょう。
日本側も米国の要求に従うだけです。独立国として毅然(きぜん)と対応せず、改定を持ち出さなかった。「憲法の枠内」「国連憲章の枠内」といった約束から逸脱し、地位協定も守らない。そうしたことを許している日本政府の歴史の積み重ねが、米側をつけあがらせているのです。
トランプ政権は超高額な米国製兵器の購入も迫っています。陸上配備型迎撃システム「イージス・アショア」導入は、その一つです。日本政府は、秋田と山ロへの配備を決めると、辺野古での米軍新基地建設の手法と同様、強硬に地元に受け入れを迫ってきました。
しかし政府の思惑通りに進んでいません。秋田では参院選でイージス・アショア配備反対を掲げる野党統一候補が勝利しました。政府内には「秋田配備見直し」論が浮上していると報じられています。
野党統一候補が勝利したのは、秋田県民が「イージス・アショアは安全ではなく危険を押し付けるものだ」と見破ったからです。沖縄県民も新基地の危険を共有しています。こうした安保条約の素顔、実態を今後も引き継いでいくのか。「安保の素顔」が伝われば、国民の意識は大きく変化していくかもしれません。

安保条約改定から60年。同条約は日本国民にどんな害悪をもたらしてきたのか。「改定60年素顔の安保」と題し、シリーズで考えていきます。

「しんぶん赤旗」日曜版 2020年1月19日付掲載


世論調査では「安保条約」の肯定が8割。圧倒的世論です。
しかし、実際の弊害で見てみると、オスプレイの配備や米軍機の低空飛行、辺野古の米軍新基地建設などへの国民の批判は強い。
2001年の同時多発テロ後、「ショー・ザ・フラッグ」(日本の国旗を見せろ)、「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」(地上部隊派兵)で自衛隊に課せられた役割は質的に変化しています。

私と資本論② 明治大学教授 野中郁恵さん&京都大学名誉教授 間宮陽介さん

2020-01-18 07:43:13 | 経済・産業・中小企業対策など
私と資本論② 明治大学教授 野中郁恵さん&京都大学名誉教授 間宮陽介さん

“ぶれない目”獲得できる
明治大学教授 野中郁恵さん



『資本論』を手にしたのは大学入学直後の春でした。学生の間には、読み終えた人はすごい人なんだという雰囲気がありました。
「理解度は読んだ人の水準によって決まる」という声もあったので、1行1行緊張しながら読みました。搾取の仕組みや、価値を増殖させる特殊な商品=労働力という概念が分かると、やはり前が開けたようでうれしかったです。
正直難しい本です。学生時代は、特別剰余価値で挫折しました。
2度目に『資本論』を真剣に勉強したのは大学院受験を控えた時期でした。私は試験科目にマルクス経済学を選択しました。このときはマルクス経済学の体系を理解するために読み込みました。大学院受験時の勉強は現在の研究者生活にも大いに役立っています。
私は会計学者です。世の中を変えるには企業を変えなければならない、そのためには企業を客観的に評価できる会計学を学ぼうと考えました。
会計学を研究していると、人件費はついついコストの一部になってしまい、削減すればするほど利益が出る、企業は利益を生まなければ存在価値がないという観念にとらわれてしまいがちです。
最近、企業内や社会的規模での富の配分を示す付加価値の論文を書きながら、価値は労働によって生み出されるというマルクスの労働価値説について考えさせられました。
市場で商品が売れなければ労働力の価値は実現しません。商品やサービスを売るために企業は流通、広告、宣伝にもお金をかけます。それらはすべて労働者によって担われています。労働が価値を生みだしています。
やはり『資本論』が示した「価値法則」が貫徹しているのです。『資本論』から企業活動や社会を見ることで、ぶれない目を獲得できると思います。
近頃は、3度目の挑戦で、大学院生たちと、わいわい言い合いながら、読んでいます。


近代経済学以上に近代的
京都大学名誉教授 間宮陽介さん



冷戦終結から数年を経た年の暮れ、何気なく入った古本屋で「マルクス・エンゲルス全集」全巻(大月書店)が目にとまり、買い求めた。涙が出るくらいの安値である。その後、補巻も順次買いそろえ、マル・エン全集は研究室の一隅を占めることになった。定年で大学を辞めるとき、蔵書の半数以上を処分したが、東京に送った本の中にはこの全集も入っていた。
マルクスを研究しているわけではない。それにもかかわらず全集を買いそろえたのは時代への反逆のつもりだったのだろう。彼の著作は1世紀以上にわたって世界の労働運動、革命運動を鼓舞しつづけた。そこには、人間、社会、歴史への深い洞察があった。彼の思索は社会主義の崩壊とともに無に帰すようなものではないはずだ。
しかし『資本論』は19世紀に書かれた本である。資本主義といっても初期の産業資本主義段階。いくら何でも現代を理解する指針とはなり得ないのではないかと思う人もいるだろう。
逆説めくが、私は『資本論』はその後の近代経済学以上に近代的だと思っている。調和的な市場理論ではなく、資本の運動を不均衡の相の下に考察したもの、それが『資本論』である。資本は貨幣や商品などさまざまに姿を変えながら、その循環過程で証券その他の金融商品をスピンオフさせる。『資本論』は第3巻「資本主義的生産の総過程」を媒介として、現代の金融経済に直結しているのである。
マルクスの著作は自分の思考を映し出す鏡である。何を考えているかによって、それまで見えなかったものが見えてくる。ゲルマン共同体の本質は集会に存すという「資本制生産に先行する諸形態」の一節は、私のコモンズ論に大きな示唆を与えた。労働は外的自然を変えるとともに人間の自然も変えるという『資本論』の一節は、活動は人間の内外世界の境界だという私の持論を後押ししてくれた。マル・エン全集を手元に残したのは幸運な選択だったといわなければならない。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年1月15日付掲載


市場で商品が売れなければ労働力の価値は実現しない。労働が価値を生みだす。やはり『資本論』が示した「価値法則」が貫徹。
労働は外的自然を変えるとともに人間の自然も変えるという『資本論』の一節は、活動は人間の内外世界の境界だという私の持論を後押し。


私と資本論① 読売新聞特別編集委員 橋本五郎さん&経済評論家 森永卓郎さん

2020-01-17 09:18:58 | 経済・産業・中小企業対策など
私と資本論① 読売新聞特別編集委員 橋本五郎さん&経済評論家 森永卓郎さん
マルクス自身の研究の発展史を反映した『新版資本論』の第1分冊、第2分冊(全12分冊、新日本出版社)が昨年発売され、今年も隔月で刊行されます。「私と資本論」をテーマに10人の識者に『資論』についての思い出をつづってもらいました。1週間に1度、5回にわたって紹介します。


『新版資本論』を販売する都内の書店

新版 資本論
新版 資本論 posted by (C)きんちゃん
新版『資本論』
第1巻の第1分冊~第3分冊。


新版 資本論 目次
新版 資本論 目次 posted by (C)きんちゃん
その目次
第1部 資本の生産過程
[第1分冊]
第1篇 商品と貨幣
[第2分冊]
第2編 貨幣の資本への転化
第3編 絶対的剰余価値の生産
[第3分冊]
第4編 相対的剰余価値の生産
第5編 絶対的および相対的剰余価値の生産
第6編 労賃


経済だけでなく社会変革実践書
読売新聞特別編集委員 橋本五郎さん



大学1年生のとき、「最初にそろえるべき書物」として『資本論』を買いました。大学を卒業するとき、ゼミの教授から「社会人1年目は、通勤途中で、学生時代に読み残した本を読みなさい」といわれ、『資本論』に挑みました。私にはなかなか難解で、解説書を読みながら悪戦苦闘しました。
最近発売された『新版資本論1』も買いました。フランス語版への序言には、「学問の険しい小道をよじ登る苦労を恐れない人々だけが、その輝く頂上にたどりつく幸運にめぐまれるのです」と書かれています。その通りです。
ソ連、東欧の崩壊で、マルクスはもう死んだかのようないわれ方をしました。私は疑問でした。私の立場は資本主義ですが、現在の暴力的な資本主義、つまり投機が横行するカジノ資本主義、貧富の格差拡大をもたらす「行き過ぎたグローバリゼーション」は制御する必要があります。
マルクスが『資本論』を書いた動機は、格差のある社会を変えたいだったはずです。あらゆる人間の価値が「交換価値」に置き換えられる社会を正したいと考えたはずです。
円を描くコンパスは、一本の軸は固定されていてぶれません。もう一つは自由に動かせます。マルクスの「ぶれない軸」は格差のない社会の実現です。そのために商品や労働などを分析して資本主義を乗り越えようとしました。
自由に動かせるもう一つの軸は、時代や各国の実情に応じて、その時々の人が使いこなせばいいと思います。ソ連のスターリンは「共産主義」の名を借りて独裁体制を作りました。「ぶれない軸」=変わらず大切なものから逸脱した時は、反対の声をあげなければ.いけません。いまの中国を見ていると、そう感じます。
マルクスのすごいところは、『資本論』を狭い意味での経済学書にとどめず、思想の書、社会変革の実践の書にしているところです。現在も『資本論』は生命力を発揮していると思います。


空前の格差拡大 今こそマルクス
経済評論家 森永卓郎さん



私の学生時代、教養課程の経済学は、近代経済学とマルクス経済学の2本立てだった。だから資本論は必須の教科書だったのだが、難解であるだけでなく、分量も膨大で、私は七転八倒した。数回読んだのだが、おそらく半分も理解していなかったと思う。
いま日本の大学では、マルクス経済学の講義がほとんど姿を消している。ベルリンの壁の崩壊以降、社会主義が勢いを失うなかで、マルクス経済学ははやらなくなってしまったのだ。
しかし、マルクスがみていた世界は、産業革命後に資本が暴走して、庶民の暮らしを破壊する経済の姿だった。グローバル資本が搾取を繰り返し、所得や資産の格差が空前のレベルまで拡大している今こそ、マルクス経済学の意義はむしろ大いに高まっている。
ところが、資本論は難しい。そこでお勧めしたいのが、解説本から入るという方法だ。極端な場合、漫画でもいいと思う。例えば、門井文雄『マルクス資本論』(かもがわ出版)は、資本論第1巻のエッセンスだけを劇画にしている。しかも、この本は、かなり原作に忠実に作られている。
ただ、この本でも難しい場合は、講談社まんが学術文庫の『資本論』を読んだらよいと思う。この本は原作をかなり逸脱して、恋愛ストーリーとして資本論を描いている。貴族の男女と庶民出身の男性の間で揺れ動く三角関係を織り交ぜながら、庶民出身の男性が、貴族の男性と手を組みながら、資本主義のなかで成り上がっていく物語になっているのだ。
こうした取りつきやすいところから入って、資本論に慣れてきたら、ぜひお勧めしたいのが、デヴィッド・ハーヴェイ『経済的理性の狂気』(作品社)だ。この本は、現代に起きている経済現象をマルクス経済学で問い直すというスタンスで書かれている。なかなか難解な本ではあるが、資本論に比べればずっとましだ。近代経済学がなぜ人類を幸せにしないのか。きっと理解できると思う。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年1月8日付掲載


自分の立場は資本主義という読売新聞特別編集委員・橋本五郎さんも、『資本論』は「思想の書、社会変革の実践の書」と評価。テレビにもよく登場する経済評論家・森永卓郎さんは、入門書から入り『資本論』に挑むことを推奨。近代経済学がなぜ人類を幸せにしないのか。きっと理解できると思うと。