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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

安保改定60年 第一部③ 第6条 基地国家の根源

2020-01-16 07:29:27 | 平和・憲法・歴史問題について
安保改定60年 第一部③ 第6条 基地国家の根源
日米安保条約の条文は、わずか10条しかありません。しかし、条約の下に、日本の国内法を上回る米軍の特権を定めた日米地位協定や合意議事録、米軍「思いやり予算」特別協定、さらに地位協定に基づく膨大な国内法、加えて「核密約」などの密約が連なり、「安保法体系」を形成。日本国憲法を頂点とした法体系との深刻な矛盾を生み出しています。
その中でも中核部分といえるのが、国内に米軍基地を置く根拠になっている第6条(表)です。


安保条約第6条の構造
日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため(①)、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される(②)。
前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、1952年2月28日に東京で署名された日本国とアメリ力合衆国との間の安全保障条約第3条に基く行政協定(改正を含む。)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される(③)。
①極東条項1960年当時、国会では「極東」の範囲をめぐって紛糾。その範囲はあいまいで、在日米軍の海外派兵を可能に。
②全土基地方式米軍の施設・区域(基地)を置く地域を明示していない。米軍は「日本国」=日本全土に基地を置く権利を有する。
③日米地位協定米軍の特権を定めた地位協定は6条に基づく。膨大な安保関連国内法も6条に基づく。


地理的制約なし
1951年9月に署名された旧安保条約は、日本の「独立」後も占領軍=米軍の駐留を維持する「権利」を定めたものです。その内容を直接、引き継いだのが第6条です。
旧安保条約と共通するのは「全土基地方式」です。.第6条は、米軍が「日本国において施設及び区域を使用することを許される」と定め、地理的な制約を設けていません。外務省が1973年4月に作成した機密文書「日米地位協定の考え方」には、「米側は、わが国の施政下であればどこにでも施設・区域の提供を求める権利が認められている」と明記されています。
こうした「全土基地方式」は世界でも例のない異常なもので、米国の多くの同盟国では、条約に基づく協定などで基地を置く区域を定めています。
また、日米安保条約のモデルにもなった欧州の北大西洋条約や米フィリピン相互防衛条約には、そもそも米国への基地提供に関する条項がありません。この点をとっても、日米安保が「基地条約」という特異な条約であることが分かります。



住宅地に囲まれた横田基地(東京都福生市など多摩地区)

米軍関係10万人
第6条の下で、日本には78の米軍専用基地、自衛隊が管理する日米共同使用基地を含めれば131の米軍施設が存在します(2019年3月31日時点)。全国各地で米軍機の墜落や部品落下、騒音被害、米兵犯罪などが相次いでおり、住民の安全や権利が脅かされています。
米国防総省資料によると、海外に駐留する米兵約17・4万人のうち、最も多いのが日本の5万5245人で、在外兵力の3割以上を占めています(19年9月30日現在)。在日米軍のマルティネス前司令官は「軍人5万4000人、軍属8000人、扶養家族4万2000人で、総計10万4000人」と説明しています(19年1月の記者会見)。このうち5割以上が沖縄に集中しているとみられます。
また、米国防総省の「基地構造報告」18年版によると、米国の海外基地514のうち、121基地が日本に存在します。陸海空軍・海兵隊の米4軍すべての基地がそろっているのは日本だけ。基地の「資産評価額」は日本が約982億ドルで、2位ドイツの約449億ドルの2倍以上です。
この上、日本政府は2兆5500億円とも言われる巨額を投じて、沖縄県名護市辺野古への米軍新基地建設を強行しようとしています。まさに、世界に例のない異常な米軍基地国家です。




地球規模で自由出撃
「極東条項」継ぐ
旧安保と異なっているのは、米軍が「日本国の安全に寄与する」点が加わったことですが、同時に、60年の安保改定に関する国会議論では、旧安保条約から引き継がれた「極東条項」が大問題になりました。
米側が極東条項を求めたのは、朝鮮半島や台湾など「西太平洋地域」に在日米軍や自衛隊を出撃させ、東アジア地域における米国防衛の前線とするためでした。
国内では、米軍が引き起こす戦争に日本が巻き込まれるのではないかとの世論が高まりました。後に首相となる中曽根康弘衆院議員でさえ、「(極東条項で)むこうの紛争が渡り廊下を通って日本へ入ってくる危険性がないとはいえない」と危惧しました。
当時の岸政権は「極東」の範囲を「フィリピン以北並びに日本及びその周辺の地域」(衆院予算委員会、60年2月)と説明し、事態収拾を図ろうとしました。しかし、政府は「地理的に正確に確定されたものではない」として、あいまいさは最後まで消えませんでした。
60年代半ば以降、米軍はベトナム・イラク・アフガニスタンなど地球規模に派兵。「極東」の枠組みすら逸脱し、米軍は自国の戦争のために基地を自由に使用しています。

異常な特権ぶり
第6条に基づく日米地位協定は、米軍基地や米軍関係者に日本の法律を逸脱した権利を認めています。例えば、国内で米兵や軍属が犯罪を起こしても、米側が「公務中」とみなせば第一次裁判権は米側が有し、日本側は裁けません。
日米地位協定に基づいて膨大な国内法も整備されています。例えば、航空法特例法によって「最低安全高度」を定めた航空法81条の適用を米軍は免除されています。こうした特権ぶりを変えようと、日本全国で地位協定改定を求める自治体決議が相次いでいます。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年1月14日付掲載


もともと日本に駐留しているアメリカ軍は、日本を守るためでなく、東アジア全域に出ていくため。今は中東まで範囲に置いている。
「極東」などと言っても、実際は地理的な限定がない。

安保改定60年 第一部② 偽りの「日米対等」

2020-01-15 07:47:41 | 平和・憲法・歴史問題について
安保改定60年 第一部② 偽りの「日米対等」
1951年9月に結ばれた旧安保条約の下、日本全国に2000を超える米軍基地がおかれ、さらに拡張されようとしていました。
これに対して、内灘闘争(石川県)や砂川闘争(東京都)など、住民の基地闘争が全国に広がります。
さらに、群馬県・相馬が原演習場で米兵が主婦を射殺した「ジラード事件」(57年1月)では、加害米兵が懲役3年・執行猶予4年の判決で帰国。日米関係の不平等性に国民の怒りが爆発しました。

安保改定の真意
米政府は危機感を募らせます。ナッシュ米大統領補佐官が57年12月にまとめた「米国の海外基地に関する報告書」(ナッシュ・リポート)は、「われわれの海外基地システムは、あるところでは摩擦と反発を呼び起こしている」と指摘。「不平等感を緩和するための…最も重要な措置は、安保条約の改定である」と提言しました。
一方、57年2月に就任した岸信介首相も「対等な日米関係」を喧伝(けんでん)し、「安保改定」を主張。60年1月19日、改定安保条約と日米地位協定が締結され、今日に至ります。
しかし、日米両政府が手掛けた安保改定は欺瞞(ぎまん)に満ちたものでした。



ホワイトハウスで安全保障新条約に調印する日米全権代表。左から藤山愛一郎外相、岸信介首相、立ち会いのアイゼンハワー米大統領、バーター米国務長官=1960年1月19日、ワシントン(時事)

核持ち込む密議
安保改定の最重要課題は、米軍による核兵器の持ち込みでした。53年10月、核兵器を搭載した米空母オリスカニが横須賀基地(神奈川県)に寄港して以来、核持ち込みが始まりましたが、54年3月のマグロ漁船被ばく=ビキニ事件を契機に反核平和運動が高揚し、米軍にとって容易ならざる状況に。前出の「ナッシュ・リポート」は、日本の反核世論を「精神病的」と罵倒するほど、いら立ちを募らせていました。
岸氏は国会で「自衛隊を核兵器で武装しない、日本にこれを持ち込むことは認めない」(58年6月17日、衆院本会議)と表明していました。ところが、米国防総省の「歴史書」56~60年版によれば、58年7月、マッカーサー駐日米大使との密議で、「法的には、米国はいかなる兵器も日本に持ち込むことができる」と述べ、そのための方策を探りあっていたのです。まさに二枚舌です。


虚構の「事前協議」
岸氏が「日米対等」の担保として言及していたのが、「事前協議」制度でした。これにより、日本の意図に反した核持ち込みや、米軍の海外での戦闘に巻き込まれることを防ぐというものです。
1960年1月19日、改定安保条約とともに交わされた「岸・ハーター交換公文」で、在日米軍が①「装備の重要な変更」②日本の施政権外で「戦闘作戦行動」を行う場合、日米が「事前協議」を行うことが確認されました。しかし、そこには二重の欺瞞(ぎまん)が存在します。



1973年8月、米海軍横須賀基地(神奈川県)に配備された米空母ミッドウェー。当時、米戦闘艦は常時、核兵器を搭載していた

一度も開かれず
そもそも、「岸・ハーター交換公文」には、「装備の重要な変更」の具体的な内容が記されていません。
その裏で、日米両政府は①核兵器を搭載した艦船・航空機の寄港・飛来(エントリー)②米軍の日本からの移動―は「事前協議」の対象外にするとの密約(討論記録)を交わしていました。米軍はこれまで通り、核搭載艦船の寄港や、「移動」と称すれば日本から出動した米軍部隊が海外のどこでも戦闘作戦行動が可能になったのです。
もう一つは、「事前協議」そのものの虚構性です。外務省は、①核弾頭および中・長距離ミサイル②陸上部隊・空軍の1個師団、海軍の1機動部隊―が「装備の重要な変更」にあたるとしています。これに従えば、日本への空母の配備などは「事前協議」の対象になるはずです。しかし、日本政府はこれまで事前協議を一度も提起していません。
前出の米国防総省歴史書は、事前協議で「日本の事前『承認』は求められていない」「米国は、米軍の行動に関するいかなる拒否権も日本側に与えることを避けた」と総括しています。
結局、安保改定でも米軍は行動の自由を全面的に確保しました。「事前協議」は「対等な日米関係」を装うための虚構にすぎなかったのです。

「議事録」検証を
安保改定に伴い、核密約以外にも、「朝鮮半島への出撃」「基地の排他的管理権」など数多くの密約が結ばれ、旧安保条約下の軍事特権はほぼ維持されました。さらに、52年に締結された日米行政協定に基づく米軍の特権も、ほとんどが日米地位協定に引き継がれました。
加えて重大なのが、日米地位協定に関する「合意議事録」です。ここでは、条文ごとに詳細な解釈を示しています。例えば、刑事裁判権に関する地位協定17条について、米軍機の事故が発生した場合、米側が同意しない限り、日本の当局は米軍財産の捜索、差し押さえ、検証ができないことを定めるなどが盛り込まれています。この合意議事録は比較的最近まで非公表とされ、事実上の密約扱いでした。地位協定改定とともに、合意議事録の不当性を検証する必要があります。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年1月11日付掲載


安保条約の改定で表向きは「日米対等」を言いました。その一つが核兵器持ち込みの「事前協議」。
しかし、寄港・飛来(エントリー)や移動は対象にならない。
たまたま立ち寄ったのだから、核兵器持ち込みではないという欺瞞です。

安保改定60年 第一部① 目的は占領軍の駐留継続 闇の交渉 日本側一人だけ

2020-01-14 09:07:44 | 平和・憲法・歴史問題について
安保改定60年 第一部① 目的は占領軍の駐留継続 闇の交渉 日本側一人だけ
対米従属国家・日本。その大本にある日米安保条約の源流は1952年4月28日、日本の「独立」が承認された対日平和条約(サンフランシスコ講和条約)と同時に発効した旧安保条約です。なぜ、安保条約がつくられたのか。その目的は、日本の「独立」後も占領軍=米軍の駐留を継続させるためでした。条約の作成や交渉過程でも、米軍の意見が最優先されてきました。



日本全土を基地に
45年8月、日本は第2次世界大戦での無条件降伏を勧告したポツダム宣言を受諾し、米軍を中心とした占領軍の支配下に置かれます。同宣言では、日本に「責任ある政府」が樹立されたら、占領軍は「直ちに撤退する」と明記されています。
しかし、米軍を統括する米統合参謀本部(JCS)は49年6月9日付の報告書で、ソ連を念頭に、西太平洋における「島嶼(とうしょ)チェーン」を維持するため日本における基地の継続使用を主張。ジョンソン国防長官は「対日講和は時期尚早」だとして、占領の継続を訴えていました。
最終的に、米政府は50年9月8日、対日平和条約と一体で、日本との2国間協定(安保条約)を結び、米軍を維持する方針を決定。ポツダム宣言を公然と踏みにじるものでした。
しかも、「必要な限り、(日本の)いかなる場所でも米軍を維持する」=いわゆる「全土基地方式」を採用。これが、日本が今なお、世界でも類を見ない「米軍基地国家」にされている元凶です。



1951年9月、サンフランシスコ講和条約に署名する吉田茂首相(共同)

また、沖縄を日本本土から切り離し、軍事支配を継続する方針も確認されています。
安保条約の草案は同年10月末、米陸軍省のマグルーダー少将を代表とする作業班が作成。前文で「日本全土が防衛作戦のための潜在区域とみなされる」と明記し、「全土基地方式」を定式化します。
最終的には、安保条約第1条に「アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与」すると明記されました。条文はわずか5条。第1条以外は形式的な条項にすぎず、米軍の駐留継続以外の内容は一切ありません。
51年1月、ダレス・米大統領特別顧問が来日。条約を吉田茂首相ただ一人に通知し、合意させました。条約が署名された同年9月8日まで、ほかの日本人は一切、内容を知らされず、講和会議が行われていたサンフランシスコで署名したのも吉田氏ただ一人でした。事実上、日本の占領を継続する安保条約が、闇の交渉で押し付けられたのです。



安保条約を調印したサンフランシスコの下士官クラブ=2001年、新原昭治氏撮影

“植民地化”の協定
安保条約以上に屈辱的なのが、日米地位協定の源流である日米行政協定です。同協定は旧安保条約3条に基づくもので、米軍や軍属、その家族に、日本の国内法を上回る特権を与えています。これについてもJCSが、米軍関係者の犯罪で、米側が全面的な裁判権を有するなど、いっそうの権限拡大を要求。
これが米側の案として採用され、52年1月29日から日本側との正式な交渉が始まりました。
刑事裁判権をめぐっては、NATO(北大西洋条約機構)では「公務中」「公務外」で裁判権を分割することになっていたことから、日本側も「せめてNATO並みにしてほしい」と要請しました。これに対してJCSは、NATO協定がまだ批准されていないことから、「日本は米軍に対して、欧州各国より強い力を得る」として反対。日本側の要望は却下されました。
結局、行政協定はわずか1カ月後の2月28日に締結され、4月28日に発効しました。
超短期間の交渉はほぼ、刑事裁判権や「有事」における米軍の指揮権をめぐる問題に終始。
米軍による基地の治外法権的な管理権や空域の独占使用などの問題は議論された形跡がなく、これらは現在の日米地位協定にそのまま引き継がれ、米軍機の騒音や事故、環境汚染など、深刻な被害をもたらす元凶になっています。
当時のラヴェット国防長官は、「極東軍(現在の在日米軍)司令官は、緊急事態の作戦任務を遂行するために十分な権限を持つべきだ」と述べ、米軍司令官が占領軍さながらの権限を持つことを当然視しました。当時、若手代議士だった中曽根康弘氏(のちの首相)も、「要するに、この協定は日本を植民地化するものですナ」ともらしたことが、日本外交文書に記されています。
各国の地位協定に詳しい東京外国語大学大学院の伊勢崎賢治教授は、「日米地位協定がひどいのは、元をたどれば占領下でつくられたから。日本はいまだ米国の占領下にある」と指摘。
「かつては不利な地位協定を受け入れていた他の同盟国も、冷戦崩壊後、米国との対等な関係を求めるようになり、相次いで地位協定が改定されました。流れが変わった以上、日米地位協定の改定は当然です」と訴えます。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年1月9日付掲載


ポツダム宣言では、「日本に「責任ある政府」が樹立されたら、占領軍は「直ちに撤退する」と明記」
しかしアメリカは、平和条約と一体に、日本との2国間協定(安保条約)を結び、米軍を維持する方針を決定。しかも「全土基地方式」。

守ろう地球の未来 襲いかかる気候危機⑥ 温暖化と猛暑(下) “異常”が当たり前に

2020-01-12 11:47:49 | 環境問題・気候変動・地球温暖化について
守ろう地球の未来 襲いかかる気候危機⑥ 温暖化と猛暑(下) “異常”が当たり前に
地球温暖化がなければ猛暑は起きなかったという結果について、気象庁気象研究所の今田由紀子主任研究官は「地球温暖化の新しいステージにさし掛かっているかもしれません」と語ります。「温暖化がなければ異常気象の発生確率はほぼ0%」という数字をはじいた例はこれまで数少ないからだといいます。
「温暖化がなかった世界ではほとんど見ることができなかった気象現象が、温暖化によって現れるようになった。これは明らかに人為起源の影響が生み出した異常な状態といっても過言ではないと考えています」と付け加えます。

突出した18年
今田さんたちの研究グループはさらに、猛暑の発生回数の将来予測も行いました。
注目したのは2018年の1年間で全国のアメダス(地域気象観測システム)地点で猛暑(35度以上)地点数が特別に多く、のべ6000地点以上あったこと。地球温暖化が進むと、この猛暑地点数がどれだけのスピードで増えるかを見積もりました。
温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」は産業革命前と比べての気温上昇を2度未満に抑える目標を掲げています。結果は2度が達成できても、猛暑地点数は4000地点以上と推定されました。西日本を中心に猛暑が増えるとしています。
「18年と比べて少ないと思われるかもしれませんが、4000地点を超えたのは過去3回しかありません。振れ幅を考えれば、それが当たり前になってしまうということは大変なことです」と今田さん。



温暖化とともに延べ猛暑地点数が右肩上がりに増加していく関係が得られています(灰色は気候データベースから見積もられる理論曲線の幅、白線はその平均値)。
※Imada et al.2019(SOLA)をもとに今田氏が作成したものから

怖さ伝えたい
猛暑に関し地球温暖化の影響が確実に出ているとして、今田さんはこう話します。
「18年の猛暑で亡くなった方は厚生労働省の統計によると7月の1カ月間で1000人を超えています。この数字は後からでしか公表されないので、猛暑の怖さが、みなさんに伝わっていないと実感しています。猛暑の予報が出ていても、『暑さぐらい』とついつい外出してしまう。命にかかわる、身近にある危険なんですよと、うまく伝わるようにしたいというのが私たちの課題です」
(連載④~⑥は三木利博が担当しました)
(おわり)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年1月10日付掲載


1年間の猛暑日。「2度以内」の目標が達成されたとしても、4000地点をこえるという予測。
過去の観測値からすれば3回しかないという。
猛暑日を甘く見ないで、無用な外出は控えることも必要。

守ろう地球の未来 襲いかかる気候危機⑤ 温暖化と猛暑(上) 発生確率 違いで証明

2020-01-11 08:02:34 | 環境問題・気候変動・地球温暖化について
守ろう地球の未来 襲いかかる気候危機⑤ 温暖化と猛暑(上) 発生確率 違いで証明
気象庁気象研究所気候・環境研究部の今田由紀子主任研究官たちの研究グループは、最先端の気候モデルとスーパーコンピューターを使って、地球温暖化が異常気象の発生確率をどのように変化させているかを推定する「イベント・アトリビューション」という新しい型の研究をしています。同様の研究は世界でも数少ないといいます。
気象庁は、「(ある場所や時期で)30年に1回以下で発生する現象」を異常気象と定義しています。従来、異常気象について地球温暖化の影響を科学的に証明することは容易ではなかったと、今田さんは話します。
「『異常気象は地球温暖化のせいですか?』と聞かれますが、『正確なことは言えません』と答えるしかない。異常気象は、たまたまその時その場所で起きた、大気が持つ『揺らぎ』が重なって発生するからです。もちろん温暖化が底上げしている可能性はありますが、30年に1度しか起こらない一つの現象だけを見て、そういうのは難しい」
今田さんたちの研究手法は、気象研究所が開発した気候モデルを用いたシミュレーション(模擬実験)です。人間活動によって温暖化した世界と、人間活動による気候への影響を取り除いて温暖化していない世界の2種類を仮想的に作り出し、それぞれ100通りの実験を行って比較。温暖化の影響による異常気象の発生確率の変化を取り出すというものです




結果の一つが、2018年夏の記録的な猛暑についての研究です。
この時は、上空のチベット高気圧と下層の太平洋高気圧という二段重ねの高気圧が例年以上に日本付近まで発達して猛暑になりまた。
今田さんたちが過去30年の平年値で見積もると、18年に起きた気温の発生確率は2・1%で、50年に1度くらいしか起きない、異常気象よりまれな極端な現象だったことがわかりました。加えて18年の海面水温などの条件を与えると約20%(5年に1回の頻度)にまで確率は跳ね上がり、二段重ねの高気圧が猛暑を起こりやすくしていました。
では地球温暖化の影響はどう見積もられたのか。温暖化が起こらなかった気象条件では、発生確率は0・00003%、ほぼ0%と推定されました。
今田さんは「温暖化がなければ高気圧の重なりがあっても、2018年夏の異常な高温はまず起こり得なかったという結論になりました」といいます。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年1月9日付掲載


「異常気象は、たまたまその時その場所で起きた、大気が持つ『揺らぎ』が重なって発生」「地球温暖化のせいとはすぐには言えない」という。
そこでシミュレーション実験。温暖化がなければ高気圧の重なりがあっても、2018年夏の異常な高温はまず起こり得なかったという結論。