非核「神戸方式」脅かす安保3文書
神戸港湾関係労働組合共闘会議議長 谷口利之さん
安保3文書で民間港湾の軍事利用を打ち出しているもとで、港湾労働者が日米の軍事作戦に加担させられるのではないかという懸念が広がっています。神戸港の米軍基地撤去と非核「神戸方式」を実現させたたたかい、港湾の軍事利用を許さない運動について神戸港湾関係労働組合共闘会議の谷口利之議長に聞きました。(加來恵子)
―岸田内閣が閣議決定した安保3文書で民間港湾の軍事利用を明記しました。
神戸港では平和の港づくりをすすめてきたたたかいの歴史があり、この経験から安保3文書にもとつく港湾の軍事利用に反対する運動をすすめていきたいと思っています。
神戸港にはかつて米軍基地があり、基地撤去のたたかいである「クリスマス闘争市民集会」を通じて、非核「神戸方式」がつくられました。
神戸港は終戦の1945年から51年まで、米軍の占領下にありました。輸出入貨物の運搬、仕分けや、荷揚げ、荷降ろしなどの荷役作業を行う港湾労働者は、突堤の各出入り口で銃を構え立哨するアメリカの憲兵と日本の警備兵から人員の調査、所持品、服装の点検などの検問が行われ、パスポートがないと神戸港に出入りできませんでした。
50年に朝鮮戦争が始まると、神戸港は米軍の出撃拠点となり、戦車や2万人を超える海兵隊が戦地に向かいました。同時に8000人近い日本の民間人が巻き込まれ、米国から極秘に要請された海上輸送や掃海活動で多くの死傷者を出しました。
当時、私たちの先輩たちは、米兵に銃を突きつけられながら戦死者が入った冷凍コンテナの荷役に従事させられるという屈辱的な仕事を強制されました。
一方で同じ50年に、港湾法が制定され、神戸市が港湾管理者となりました。52年に第六突堤(六突)を除き神戸市に返還されますが、第六突堤に米軍基地があることにより、米艦船による商業船の航行妨害や艀(はしけ)への当て逃げなどの海の事故に加えて、陸では米兵がわが物顔で闊歩(かっぽ)し、売春、発砲事件、市民への暴行事件が頻繁に起こりました。荷物の検疫がなく、麻薬や銃などが神戸市内の暴力団に横流しにされるなど市民生活に不安を与えていました。
―市民の願いが米軍基地撤去・返還だったのですね。
59年に神戸港湾関係労働組合共闘会議が結成され、暴力支配がまかり通る神戸港で、反合理化闘争とも結実して港の民主化を求めるたたかいとともに「六突米軍基地返せ」の運動が広がります。「米兵のいない静かなクリスマスを」という市民の切実な願いと港湾労働者が一緒になり61年12月24日に「第1回神戸港平和のためのクリスマス闘争市民集会」が始められました。翌62年には、5000人が参加し、米艦船のいない静かなクリスマスを迎えました。これが「クリスマス闘争」で、昨年で62回目を継続しています。
神戸港で輸出入貨物の数量や損傷の可否のチェックを業務とする検数労働者は、65年の春闘から「ベトナム侵略戦争反対」を掲げて第六突堤での米軍荷役就労をいっさい拒否し、翌66年10月には「ベトナム侵略戦争反対全国統一行動」が取り組まれ、68年には第六突堤返還を全県統一のメーデースローガンに掲げました。
こうした運動を経て74年に神戸港の全面返還が実現し、翌75年に非核「神戸方式」を誕生させました。これ以降、米軍の艦船は一度も神戸港に入港していません。
その一方で、2015年に制定された、いわゆる「新ガイドライン」では、業務従事命令を受ける対象者として12業種を指定し、港湾運送事業者とその従事者も入っています。このもとで、安保3文書による港湾軍事利用がすすめば、港湾労働者は戦争に加担させられることになります。
―現にこの動きが進んでいると聞きました。
2018年、沖縄の米軍辺野古新基地建設に関わって、自衛隊が民間輸送船「はくおう」を使い事前協議の申請もなく強行荷役を行いました。これは事前協議制度を崩壊させ、民間動員の地ならしではないかと危惧しています。
また2年ほど前、毎年行っている「神戸港平和のためのクリスマス闘争市民集会」の場所申請を行ったところ、「集会の内容説明が必要」と初めて言われ、平和運動に対する圧力のようなものを感じました。
―これからのたたかいの展望を聞かせてください。
神戸港は過去の戦争で軍事利用され、戦争の出撃拠点となりました。再び戦争に加担するようなことがあってはなりません。
港湾の軍事利用を許さない取り組みでは、私たちの上部団体である全国港湾労働組合連合会の「港湾を兵たん基地にしないこと」の要求に対して、使用者側である日本港運協会は春闘交渉で、「平和を希求する思いは、業側も全く同感であり、異論の余地はありません」と答弁しています。安保法制発動は「戦争放棄」をうたった日本国憲法に違反するものであり、断固として阻止する姿勢を堅持しなければならないと思います。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年4月24日付掲載
神戸港にはかつて米軍基地があり、基地撤去のたたかいである「クリスマス闘争市民集会」を通じて、非核「神戸方式」がつくられました。
1950年、朝鮮戦争当時、私たちの先輩たちは、米兵に銃を突きつけられながら戦死者が入った冷凍コンテナの荷役に従事させられるという屈辱的な仕事を強制。
一方で同じ50年に、港湾法が制定され、政令指定都市の神戸市が港湾管理者と。
ベトナム戦争当時、検数労働者は米軍の荷役を一切拒否して闘ったとか。
こうした運動を経て74年に神戸港の全面返還、翌年の75年に非核「神戸方式」を市議会全会一致で成立。
使用者側である日本港運協会は春闘交渉で、「平和を希求する思いは、業側も全く同感であり、異論の余地はありません」と答弁。
平和の港・神戸港を守っていきたい。
神戸港湾関係労働組合共闘会議議長 谷口利之さん
安保3文書で民間港湾の軍事利用を打ち出しているもとで、港湾労働者が日米の軍事作戦に加担させられるのではないかという懸念が広がっています。神戸港の米軍基地撤去と非核「神戸方式」を実現させたたたかい、港湾の軍事利用を許さない運動について神戸港湾関係労働組合共闘会議の谷口利之議長に聞きました。(加來恵子)
―岸田内閣が閣議決定した安保3文書で民間港湾の軍事利用を明記しました。
神戸港では平和の港づくりをすすめてきたたたかいの歴史があり、この経験から安保3文書にもとつく港湾の軍事利用に反対する運動をすすめていきたいと思っています。
神戸港にはかつて米軍基地があり、基地撤去のたたかいである「クリスマス闘争市民集会」を通じて、非核「神戸方式」がつくられました。
神戸港は終戦の1945年から51年まで、米軍の占領下にありました。輸出入貨物の運搬、仕分けや、荷揚げ、荷降ろしなどの荷役作業を行う港湾労働者は、突堤の各出入り口で銃を構え立哨するアメリカの憲兵と日本の警備兵から人員の調査、所持品、服装の点検などの検問が行われ、パスポートがないと神戸港に出入りできませんでした。
50年に朝鮮戦争が始まると、神戸港は米軍の出撃拠点となり、戦車や2万人を超える海兵隊が戦地に向かいました。同時に8000人近い日本の民間人が巻き込まれ、米国から極秘に要請された海上輸送や掃海活動で多くの死傷者を出しました。
当時、私たちの先輩たちは、米兵に銃を突きつけられながら戦死者が入った冷凍コンテナの荷役に従事させられるという屈辱的な仕事を強制されました。
一方で同じ50年に、港湾法が制定され、神戸市が港湾管理者となりました。52年に第六突堤(六突)を除き神戸市に返還されますが、第六突堤に米軍基地があることにより、米艦船による商業船の航行妨害や艀(はしけ)への当て逃げなどの海の事故に加えて、陸では米兵がわが物顔で闊歩(かっぽ)し、売春、発砲事件、市民への暴行事件が頻繁に起こりました。荷物の検疫がなく、麻薬や銃などが神戸市内の暴力団に横流しにされるなど市民生活に不安を与えていました。
―市民の願いが米軍基地撤去・返還だったのですね。
59年に神戸港湾関係労働組合共闘会議が結成され、暴力支配がまかり通る神戸港で、反合理化闘争とも結実して港の民主化を求めるたたかいとともに「六突米軍基地返せ」の運動が広がります。「米兵のいない静かなクリスマスを」という市民の切実な願いと港湾労働者が一緒になり61年12月24日に「第1回神戸港平和のためのクリスマス闘争市民集会」が始められました。翌62年には、5000人が参加し、米艦船のいない静かなクリスマスを迎えました。これが「クリスマス闘争」で、昨年で62回目を継続しています。
神戸港で輸出入貨物の数量や損傷の可否のチェックを業務とする検数労働者は、65年の春闘から「ベトナム侵略戦争反対」を掲げて第六突堤での米軍荷役就労をいっさい拒否し、翌66年10月には「ベトナム侵略戦争反対全国統一行動」が取り組まれ、68年には第六突堤返還を全県統一のメーデースローガンに掲げました。
こうした運動を経て74年に神戸港の全面返還が実現し、翌75年に非核「神戸方式」を誕生させました。これ以降、米軍の艦船は一度も神戸港に入港していません。
その一方で、2015年に制定された、いわゆる「新ガイドライン」では、業務従事命令を受ける対象者として12業種を指定し、港湾運送事業者とその従事者も入っています。このもとで、安保3文書による港湾軍事利用がすすめば、港湾労働者は戦争に加担させられることになります。
―現にこの動きが進んでいると聞きました。
2018年、沖縄の米軍辺野古新基地建設に関わって、自衛隊が民間輸送船「はくおう」を使い事前協議の申請もなく強行荷役を行いました。これは事前協議制度を崩壊させ、民間動員の地ならしではないかと危惧しています。
また2年ほど前、毎年行っている「神戸港平和のためのクリスマス闘争市民集会」の場所申請を行ったところ、「集会の内容説明が必要」と初めて言われ、平和運動に対する圧力のようなものを感じました。
―これからのたたかいの展望を聞かせてください。
神戸港は過去の戦争で軍事利用され、戦争の出撃拠点となりました。再び戦争に加担するようなことがあってはなりません。
港湾の軍事利用を許さない取り組みでは、私たちの上部団体である全国港湾労働組合連合会の「港湾を兵たん基地にしないこと」の要求に対して、使用者側である日本港運協会は春闘交渉で、「平和を希求する思いは、業側も全く同感であり、異論の余地はありません」と答弁しています。安保法制発動は「戦争放棄」をうたった日本国憲法に違反するものであり、断固として阻止する姿勢を堅持しなければならないと思います。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年4月24日付掲載
神戸港にはかつて米軍基地があり、基地撤去のたたかいである「クリスマス闘争市民集会」を通じて、非核「神戸方式」がつくられました。
1950年、朝鮮戦争当時、私たちの先輩たちは、米兵に銃を突きつけられながら戦死者が入った冷凍コンテナの荷役に従事させられるという屈辱的な仕事を強制。
一方で同じ50年に、港湾法が制定され、政令指定都市の神戸市が港湾管理者と。
ベトナム戦争当時、検数労働者は米軍の荷役を一切拒否して闘ったとか。
こうした運動を経て74年に神戸港の全面返還、翌年の75年に非核「神戸方式」を市議会全会一致で成立。
使用者側である日本港運協会は春闘交渉で、「平和を希求する思いは、業側も全く同感であり、異論の余地はありません」と答弁。
平和の港・神戸港を守っていきたい。