2024年11月07日
リポート 北海道機船漁業協同組合連合会 原口聖二
[国際指名手配 極東のカニ王アレッグ・カン 組織的殺人有罪判決 上訴が棄却される]
国際指名手配を受けている極東のカニ王と称されたアレッグ・カンに対し、被告人欠席の中、組織的殺人罪で懲役17年を科すロシア沿海地方裁判所の2024年4月の判決を不服とし、当該弁護士団が上訴をしたが、今般、ロシア第5控訴裁判所は、これを棄却した。
アレッグ・カンは、2010年にウラヂオストクにおいて同業他者ワレリイ・プヒデンコの嘱託殺人(刑法第33条3項および第105条2項)を組織したとして有罪判決を受けた。
アレッグ・カン側はこれを不服として、上訴をすると当該側弁護士が明らかにした。
2024年3月、アレッグ・カンの弁護士は、本人が死亡しており、刑事事件を終了するよう求めていた。
ロシア連邦公証人役場の電子データベースには、フルネームと生年月日がアレッグ・カンと一致する人物の死亡に関する相続事案が実際に存在しており、2023年2月14日に死亡したことが記載されている。
これに関連し、先の2023年2月、膵臓癌によってロンドンで死亡、韓国で荼毘に付されたとの情報をミディアが一斉に伝えた経緯がある。
これに対し当局は、サンクトペテルブルグとサハリンの登記所による死亡が確認されていない旨の証明書を提出し、虚偽の主張だと反論していた。
ロシア沿海地方裁判所は、アレッグ・カンが2010年に同業他者ワレリイ・プヒデンコの殺害計画を立て、報酬を支払って、共犯者を用意、殺害を組織したと認めた。
ワレリイ・プヒデンコは、商談の名目でアレッグ・カンからウラヂオストクに招待され、同市郊外のレストラン“トリ・ボガトィリヤ” (Три Богатыря:「三人の英雄」サウナ併設ロシア料理レストラン)周辺で射殺された。
アレッグ・カンは、1967年ネヴェリスク生まれで、日本との合弁企業を振出に、カニ漁業にかかわり、極東の“カニ王”と呼ばれるまでになった。
さらに、ウラヂオストクの大型商業施設を所有する実業家になったものの、かかる状況下、自身は海外に滞在しているとされている。