ようやく飛騨地方にも、待望の太陽が戻ってきた。
積乱雲がモクモクと湧き上がってくるが、再び雨を降らせるような兆しは無かった。
風も爽やかで、洗濯や湿っていた布団を干すには、絶好の日和となった。
夕方のテレビで、東海地方にも梅雨明け宣言が出たと報じていた。
近所のおじいさんが、町の病院に入院したので、連れ合いのおばあさんと一緒に病院へ行ってきた。
老夫婦だけの暮しで、元気で野良仕事をしている姿はいつも見かけていた。
去年の秋は、おじいさんの山の木を切らせてもらい、今年の春は丸太や焚き付け用の小枝の運搬も一緒にやった。
田んぼをやっていた頃の写真
集落の一番奥にある田畑も数年前には止めて、今は家の近くの畑で野菜を作っている。
田畑の仕事や山仕事など、ここでの暮らしに必要なことは、いろいろと教わった。
寡黙なおじいさんがぽろっと漏らす一言は、後になって、なるほどこういう事だったのかと、後で気付くことがたくさんあった。
マニュアルの無い山里の仕事は、経験しないと分からない事ばかりであるが、日ごろの付き合いの中から、ヒントはいくらでも出てくる。
92歳になるこのおじいさんも、山里の師匠の一人で、マムシの捕まえ方から焼酎に漬け込む方法まで、実技を通して教わった。
最近は家に閉じこもることが多いと、おばあさんがぼやいていたので、天気のいい日は誘って田畑の跡などを見に行っていた。
集落には医師はいないし、町の病院へ行くための公共交通機関も無いので、風邪や腹痛、歯痛程度で医師にかかることは無かったようだ。
歯は抜けたままで食べられるものだけを食べ、視力が衰えても見える範囲で済ませ、体の不調は置き薬や民間療法などでしのいできた。
つつましい自然体の暮らしや生き様は、古い時代にタイムスリップしたのかと錯覚することも多々あったが、これも一つの生き方と、羨ましさすら感じることもあった。
今回の入院は急に息が出来なくなり、苦しみ始めたので病院へ駆け込んだとの事だ。
心筋梗塞の疑いがあるとの診断で、しばらくは検査や治療が続くようだ。
80代のおばあさんが、バイクで7キロほど下って、市内循環バスの停留所から病院までバスで通うのは容易なことではない。
往復のタクシー代は10.000円も掛かるので、付き添いのために利用することは出来ないし、今後おじいさんが通院することになっても、なすすべは無い。
いつでも病院まで送るからと伝えてあるが、遠慮深いおばあさんから、声がかかる事は無いだろう。
これからは、町へ行く用事を作って一緒に行かないかと、こちらから声を掛けようと思っている。
今回の選挙でも、社会保障の充実が争点の一つになった。
その議論の埒外にあり、死ぬか生きるかの瀬戸際にならないと治療が受けられない現実が、過疎の山村には少なからずある。