飛騨の山里から炭焼きの煙が消えて久しい。
観光施設「飛騨の里」や田舎体験のイベントなどで炭焼きが行われるが、養蚕と同じで産業遺産的に細々と伝承されているだけである。
かつて私の住んでいる集落は、どこの家も炭焼きと関わって暮らしてきたが、一人のお年寄りが数年前に止めて以降は、後を継ぐ人もなく炭焼き小屋は朽ちていった。
生活様式が炭から化石燃料へと変わって、山里の冬の主要な仕事がなくなり、炭焼きによって再生産される広葉樹の森は、利用されない植林地に変わって荒廃してしまった。
先日、高山市丹生川町を走っていて、山すそから炭を焼く煙が立ち昇っていた。
ちょうど窯の中の火がまわり、通気孔だけを開けて窯口を閉じたところであった。
これから火加減を見ながら、頃合いを見て通気孔も窯口も完全に閉じて、4日間ほど冷ましてから炭出しをするとのことだ。
その後訪れた時は、ちょうど出来上がった炭が棚に積まれて、おばあさんが決まった長さに切り、おじいさんが袋に詰めていた。
窯には新しい炭材の楢が詰められ、窯口で薪を焚いて窯を暖める次の作業に入っていた。
一般家庭で炭を使うことは無くなってしまったが、郷土料理を食べさせる旅館や料理店などが主な販売先とのことだ。
朴葉味噌や飛騨牛の料理も、固形燃料やカセットコンロでは情緒もないし、うま味も損なわれるような気がする。
炭火でじっくり炙った岩魚は、頭から尻尾まで食べられてとても美味しい。
むかしは火のまわりに家族全員が集まって、囲炉裏の炭火で暖を取り、鍋を囲んで食事をしていた。
ヨコザやカカザなど座る位置も決まっていて、子供たちは長幼の序も作法や家の慣わしを覚え、一家団欒や家族の和が保たれた。
慣れ親しんできた火や炎から、化石燃料や原子の火に変わって、山里の生活文化は大きく変わってしまった。
50年の時を戻すことは出来ないが、炭焼きの風景を見ていると、少々不便でもスローライフを楽しむゆとりが欲しいとしみじみ思った。