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狂喜乱舞のオウンゴール(2005年日本対バーレーン)

2020-02-03 22:20:51 | ワールドサッカー
今日はネタがないので、昔の代表戦の記憶から、2005年ドイツW杯予選のバーレーン戦の記憶です。当時、日本代表はジーコ監督が率いており、解任寸前という状況に何度も追い込まれながらロスタイムに奇跡的なゴールが決まって難を逃れるという、波乱万丈な予選でした。当時は4チームのホームアンドアウエーの第3戦で、初戦の共和国戦は勝利したものの、2戦目のアウェイのイラン戦を敗れていた日本にとっては勝利が絶対条件の試合でした。

当時のバーレーンは強いチームでした。国土が小さく強化には限界があるバーレーンですが、その前年に行われた五輪予選でアウェイで日本を1-0で破って「埼玉の奇跡」とバーレーン国内では快挙と報じられた直後の黄金世代でした。バーレーンはフセイン・アリを1トップに置いた3-6-1で、シャドーのサルミーン、Mフバイルからサイドを崩してフセイン・アリに向けて放り込むチームでした。

実際に蓋を開けてみると、バーレーンは最初から0-0の引き分けを狙った試合運びをしてきました。サルミーンやMフバイルにも守備をさせ、最終ラインは5バック気味に引いて、日本のクロスを徹底的に跳ね返してきました。当時、MFの中村俊輔や中田英寿が何度もクロスを入れても、バーレーンのCBは堅くなかなかチャンスが作れない展開でした。

バーレーンのDFは、そういう守備的な展開には慣れている様子で、慌てることなく日本の攻めに対応していました。この試合を引き分けてしまうと、2位以内通過の最終予選通過に黄信号がともります。何とか点を取ってくれと、祈る気持ちだった宮本が蹴ったFKから試合が動くことになります。このクロスをクリアしようとした、バーレーンMFサルミーンのクリアが、まさかのオウンゴールになって日本が先制点を得ます。

サルミーンは当時のバーレーンでは英雄視されていた選手でしたが、CKに逃れようとした彼のクリアはシュートのようになってしまいました。当時、埼スタのゴール裏にいた私は「誰だか知らないけどとにかくオウンゴール」と叫んで、狂喜乱舞したような記憶です。そういう、OGの1-0で、これほど喜んだ試合は後にも先にもこの試合だけです。

これで勝ち点3を得た日本は、最終的には1試合を残して予選通過し、ドイツで行われた本大会に出場しました。ジーコ監督の采配については今では疑問の声も大きいですが、彼の持っていた運の強さだけは確かだったと振り返ります。
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