Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

平川忠亮の記憶

2021-08-01 19:56:39 | 浦和レッズ
せっかくレジェンドたちの写真を撮ることができたので、ネタがないときに少しずつ昔の記憶を思い出して書きます。今回は、引退試合の主役、平川忠亮さんの記憶です。平川は2002年、オランダに移籍した小野伸二の移籍金を使って、将来のレッズを担う才能を集めていた時期に、筑波大から浦和入りします。小野伸二とは清水商業の同級生で、ちょうどすれ違いでしたが、平川本人は「高卒でプロになったらとっくに駄目になっていただろう。」と割り切っていました。

平川はユニバーシアード金メダルという実績を持っていましたが、大卒はプロで通用するには即戦力になることが必要という条件をクリアします。当時、右アウトサイドの控えに予定されていましたが、オフト監督からやったことのない左アウトサイドへのコンバートを指示されます。平川なりに適応のやり方を考えて、右足のアウトサイドですらすようにクロスを上げるなどして、当時左アウトサイドだった路木からポジションを奪ってスタメンに定着します。

このコンバートは、平川が39歳までプロでプレーできる要因の一つになりました。これで、左右のアウトサイド、右ストッパー、左右のSBなど様々なポジションで起用できる便利屋として歴代監督に重宝されたからです。特に、平川の場合は4バックの監督が就任してもサイドのポジションをこなせるのが大きく、フィンケ監督やゼリコ・ペトロヴィッチ監督ら4バックの監督でも当たり前のように試合に出ていました。

平川自身は、思い出の試合として、2007年ACL準決勝の城南一和戦のPK戦を挙げていました。当時、リーグ戦とACLを並行する未知の強行日程に、レッズの選手たちは限界状態で、「勝つとすればPK戦に持ち込むしかない」と選手たちがまとまり、本当に持ち込んだPK戦で、最もプレッシャーのかかる5人目のキッカーに指名された平川が成功させてこの試合を勝ち、ACLの優勝につながります。

私の記憶では、平川の記憶といえば2011年の残留争いの裏天王山のアウェイ福岡戦が大きいです。当時の試合は勝てば99%残留決定でしたが、引き分け以下なら翌日にゲームを控える甲府に残留の望みが出る崖っぷちでした。この試合で、緊張状態の中、ベテランの坪井と平川が落ち着いてプレーしていたのが大きく、このゲームを2-1で勝ち切った浦和はぎりぎりながらJ1に残留することができました。

先日の引退試合、こんな機会でなければ集まらないレジェンドたちが一堂に会しました。PKを2度も蹴らせてもらえたのは主役の平川への配慮としても、コーチとして連日若い選手たちと一緒に練習しているところを見せました。体力的にも準備してきており、さすが35歳近くまでスピードも持っていた、長持ちでいい選手だったと振り返ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女子ソフトボール、金メダル

2021-08-01 14:52:31 | 他スポーツ
ちょっと古いネタですが、オリンピックで女子ソフトボールが金メダルを取りました。野球はよく見る私ですが、ソフトボールを見るのは北京五輪以来というにわかファンなので、野球とどこが似ていてどこが違うかを中心に見ていました。まず、投手の球筋ですが、決勝戦で先発した上野投手は最速121kmのストレート以外にも、チェンジアップ、シュート、ライズボール(上に変化する球)を投げます。

もっとも、ライズボールはその変化の特性的に、ストライクゾーンに投げるのは難しく、ボール球にして空振りを取るための球です。上野投手の場合、外へ逃げていく変化球で空振り三振が取れるのが強みで、四球やワイルドピッチなども時折ありますが、肝心なところで空振り三振が取れます。7回で終わりのソフトボールで、二桁の奪三振を取れる(メキシコ戦)ほどです。

また、ソフトボールでは送りバントが非常に重要です。4番打者でもなければ、無死一塁では大抵バントのサインが出るほどで、それだけ外野に抜ける安打があれば二塁から生還できる可能性が高いということです。日本でも、送りバントのサインは多用され、たとえ失敗してもその後内野ゴロを打って結果的に送りバントと同じ状況を作れていました。

決勝戦のアメリカ戦は好勝負でした。最終スコアは2-0という接戦で、得点は渥美のタイムリー内野安打と、藤田のライト前ヒットです。藤田は予選リーグでは本塁打を3本打っていましたが、この場面では確実にタイムリーを放っていました。アメリカの投手陣は、五輪でソフトボールが復活することになって現役復帰した、オスターマンやアボットというレジェンドたちでしたが、彼女たちの継投で球威に押される場面もありました。

そんな試合を勝利に持って行けたのは、先発の上野、リリーフの後藤の継投がうまくはまったことと、守備の安定でした。6回で1死1,2塁のピンチがありましたが、三塁ライナーが山本の腕に当たった跳ね返りに渥美が反応して直接キャッチして、二塁に投げて併殺を取れました。アメリカも、レフトのリードが藤田のホームラン性の当たりをフェンスから乗り出してキャッチするスーパープレーも出ました。

最後に金メダルに持ち込んだことは、次回のパリ五輪ではソフトボールが開催されないとはいえ、日本のソフトボール界の将来につながります。20歳の後藤ら若い才能も出てきました。日本のソフトボールが世界でリスペクトされていることは、アメリカや豪州の代表選手が日本リーグでプレーしていることにも感じますが、素晴らしいことだと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする