Kobby loves 埼玉&レッズ

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通らないラストパス(8/9札幌対浦和)

2021-08-09 19:14:27 | 浦和レッズ
今日は五輪明けのJ1リーグ初戦で、浦和はアウェイのコンサドーレ札幌戦でした。酒井宏樹、江坂、新外国人DFショルツなど積極的な補強に出た浦和でしたが、この試合で起用したのは江坂だけでした。もちろんコンディション的なところはあり、酒井宏樹は五輪の激戦を終えて中3日なので、起用することは事実上不可能でした。

その江坂をトップ下に置いた4-2-3-1で入った浦和でしたが、試合の流れをつかむ前の前半8分に福森のCKを深井の頭に合わされて失点したことでゲームプランが狂うことになります。無理して追うことで焦りも生んだようで、特に関根のところに入るとミスや味方が反応できていない場面を多く作られます。コンディション的な理由なのか、最も頼りになるFWユンカーのベンチスタートも苦戦の要因でした。

この試合は、真夏でも涼しい北海道の気候ゆえに、午後3時キックオフと異例の時間が組まれていました。これはアウェイの浦和にとってはこの時間に合わせて練習をすると暑くて動けないというデメリットも出ます。最もボールを持てていた江坂も、そこから出すパスがなかなか最前線の興梠に通らず、消化不良の内容で前半を0-1で折り返すことになります。

後半もその内容は改善しませんでした。この内容の悪さを見て、ハーフタイムに動かなかったロドリゲス監督の判断もどうかと思われ、興梠はループシュートを狙った当たりがミスキックになって相手GKに難なく処理されるなど、皆が少しずつミスをすることでかみ合わない攻撃が続くことになります。そのリズムの悪さは最悪の結果につながり、ボランチの柴戸が持ちすぎたミスをカウンターで攻められて0-2と絶望的な差をつけられます。

FWユンカーは62分にようやく出てきました。おそらく、出場時間を30分ほどに制限する意図があったのでしょうが、0-2にされてからなので遅すぎた交代でした。それでも、追い込まれた浦和はようやくパスが回り始め、関根のクロスを明本がダイレクトボレーで蹴り込んで、1-2として最後の攻撃に賭けることはできました。

それでも、この日はユンカーにいいボールを入れることができず、攻めたい最後の時間も札幌に前でキープされ、どうすることもできずにそのまま1-2で敗れることになりました。昔、私が出かけた2000年のアウェイゲームも、そんなコンディション的な差が出た負け方でした。真夏に涼しい北海道で試合ができるのは、必ずしもいいことではないのですね。
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岡野雅行の記憶

2021-08-09 13:59:39 | 浦和レッズ
浦和のオールドファンには印象深い、「野人」岡野雅行さんの記憶です。このニックネームの野人は、ボロボロのジーンズを履いていた岡野に向かって、当時GKだった土田尚史さんが「お前野人みたいだな」と呼んだことがきっかけです。最初は嫌だったこの愛称ですが、次第に「走り回るスタイルだからこれもいいかな」と受け入れるようになってきました。

岡野は1994年、日大を中退して浦和に入団してきます。当時の岡野は技術的には完成されておらず、駒場での初ゴールは本人曰く「トラップミスがそのままゴールに入ってしまった」という偶然のものでしたが、彼の持つ爆発的なスピードは、当時低迷していた浦和では賭けてみたい才能でした。また、単に速いだけでなく、当時は何度も繰り返し走れる運動量がありました。

翌1995年は、チームメイトの福田正博さんが得点王になった年でしたが、福田と2トップを組んでいた岡野にとっても輝いた年でした。当時、トップ下に元ドイツ代表のバインがいて、彼のスルーパスを岡野が追いかけて相手DFに倒されてPKというのが浦和の勝ちパターンでした。5月の国立競技場でのV川崎戦で、水内のクロスをダイレクトボレーで合わせたゴールは今でも印象的です。

岡野といえば、忘れられないのは1997年の「ジョホールバルの歓喜」です。当時、イランとの3位決定戦で、延長戦から出場した岡野は、何度かあった決定機を外して日本中をやきもきさせました。しかし、イランDFは完全に消耗し切っており、スペースに走れる岡野を追い切れず、最後は中田英寿のシュートのこぼれ球に反応して、「ゴールデンゴール」で勝利し日本をW杯初出場に導きます。

しかし、岡野が40歳までプレーできたのは、2001年に神戸に移籍した当時の経験が生きたからでした。当時、岡野のポジションは右MFに移され、そこからのスピードとクロスでアシストする選手にモデルチェンジしていました。そのため、2004年に浦和に戻ってからは、右のアウトサイドでもプレーできたので、プレーの幅を広げることができていました。

先日の平川引退試合では、さすがにレジェンドチームでも最年長だったこともあって、2度ほど小野伸二のパスを追ったら動けなくなっていました。それでも、岡野がボールを持ったら「走れ」と叫びたくなるのは昔と同じでした。今はJ3鳥取で社長です。鳥取では「野人塾」という、子供に走り方を教えるなど、多方面で活躍しています。また、こういうレジェンドマッチでは見てみたい、懐かしい選手です。
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