Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

ペンタス

2021-08-16 19:13:11 | 埼玉
公園では定番の夏の花「ペンタス」です。長年、よく見る花ですが名前がわからないでいましたが、今のインターネット文化は便利で、有名な花は写真つきで検索できます。強い花のようで、植木鉢やプランターなどでも育つので、東浦和駅の駅前広場でも見たことを思い出しました。
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田中達也(現新潟)の記憶

2021-08-16 16:00:45 | 浦和レッズ
レジェンドたちの記憶では、以前浦和に在籍し現在J2新潟に所属する、FW田中達也選手の記憶です。今浦和にいる、同姓同名の田中達也選手が、この田中達也を長年目標にしてきたと入団会見で言っていました。全盛期は日本代表にも呼ばれ、スピード型FWとして浦和の一時代を築いた、当時のスーパースターでした。

田中達也は山口県周南市の出身ですが、高校は越境して東京の帝京高校でプレーしていました。1年生からレギュラーだったので天才のようなイメージを持っていましたが、当時のテレビCMによれば「100人中80番目の選手」から這い上がったと聞きます。2001年、高卒でプロ入りして浦和入りした田中達也は、当時のゲームメーカーの小野伸二と感覚が合っていたという強みがありました。

田中達也はスペースを使えるFWで、小野伸二がパスを出しやすいような体の向きをしていたので、小野伸二も喜んでパスを出していた印象です。小野伸二がオランダに移籍する直前の広島戦で、2得点を挙げて最高のはなむけをすると、その後は浦和のFWを永井雄一郎と激しく争います。田中達也が最も輝いた印象が強いのは、2003年のナビスコ杯決勝でのプレーです。

当時、エメルソンと2トップを組んでいた田中達也ですが、このときにエメルソンのいいところをうまく盗んだようです。それ以前はドリブルを見せることにこだわりのあった田中達也ですが、枠が見えたら打つなどはエメルソンから得たところと言っていました。ナビスコ杯の雨の鹿島戦で、4-0と完勝を挙げた浦和は、史上初のタイトルを得ることができました。

もっとも、その後の田中達也は、2005年の柏戦で相手DFの危険なタックルを受けて足首を脱臼骨折した重傷で、苦しむことになります。復帰して、岡田監督が率いた日本代表でもプレーしますが、その後はゴール数が少しずつ減ってきました。また、田中達也は1トップに不向きで、キープとパスを期待されると得意ではないことで、1トップを基本にするミシャ監督の構想に合わず新潟に移籍することになります。

しかし、それから9年過ぎた今でも、新潟でプレーしているのは驚異的です。新潟では試合に出るためにMFでもプレーしたと聞きます。プロ意識が高い選手なので新潟の若手に与える影響も大きかったようで、そういう人には、指導者などで長くサッカーに関わって欲しいと期待しています。
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