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渡辺久信監督代行の現役時代

2024-06-16 15:03:46 | 他スポーツ
昨日の西武ライオンズは打線が無得点と、いいところのなかった敗戦でした。そのため、この写真を撮ることができた渡辺久信監督代行の現役時代を振り返ります。今回の監督就任は、チームがあまりにも打てないこともあって、この状況では外部から呼んでも引き受けてくれる人がいないだろうと判断して、GMである彼が自ら監督になることを決断したのでしょう。

渡辺久信は、群馬県の前橋工業からドラフト1位でライオンズに入団してきました。本格派右腕で先発投手として期待され、同世代の工藤と二人でエースの座を争う関係でした。当時は147km出れば速球投手と言われた時代ではあるのですが、森監督の時代に確実にローテーション投手の座を守り、防御率はあまり良くなかった(通算3.67)ものの最多勝を争っていました。

渡辺久信の時代は、ライオンズが9年間で8回優勝と、黄金時代を迎えていました。そのため、打線が打てなくて勝てないことが少なかったことも、彼が通算125勝を挙げられた要因です。彼の投球で思い出すのは、1988年の東京ドームでの日本ハム戦です。「安打はよく打たれるので無安打ということは3回で気付いていた」彼は無安打のまま、9回まで投げ切ります。

しかし、相手先発柴田が、ノーヒットノーランをやらせないと西武打線を無得点に抑え、試合は延長戦になります。結局、渡辺久信は延長11回で安打を打たれてノーヒットノーランはならなかったものの、12回表にようやく西武打線が点を入れて、勝利投手になることはできました。このリベンジを、1996年に果たし、ノーヒットノーランを達成しています。

体力レベルが高く、安定して一年間先発で投げられて、200イニングを気にしなかったことが彼の強みでした。DCブランドを着こなして派手なイメージもあった彼ですが、「決して道は踏み外していない」と、若手時代に指導を受けた厳しかった広岡監督時代に感謝しています。もっとも、それと同じことは決してしなかったのが、彼の2008年からの監督時代の采配でした。

広岡監督、森監督と続いた管理野球で選手たちが不満を抱えていたことで、FAで選手が大量に流出した西武なので、渡辺久信監督時代の采配は比較的自由な野球でした。2008年にリーグ優勝と日本一と結果も出しています。今回の監督就任は11年ぶりで、おそらくこれが最後の監督でしょうが、どうやって今の西武の混乱状態を収拾していくか、可能な範囲で見て行ければと思います。

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