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映画「東京オリンピック」

2013-12-30 16:45:35 | 他スポーツ
今日、NHK-BSプレミアムで昭和39年の東京オリンピック記録映画を見ました。今とは時代が違いますから、体操競技の技やマラソンのタイムなどは現在に比べればレベルが違うのは仕方ないところです。それでも、スポーツ世界一を賭けたアスリートの情熱は時代が違っても輝きを放っています。

私は1994年の浦和対横浜F戦(伸康焼香ポーズの試合)で初めて国立のスタンドに座ってから、たぶん現在に至るまで100回近くは国立のスタンドに座っています。一番の興味は東京五輪時代の国立競技場の姿でした。当時、ラバーのトラックを整備する技術はなく、国立のトラックは赤土が入れられていました。

そのため、雨が降ったときの競技は悲惨なもので、選手が泥にまみれないよう、スポンジで懸命に水溜りを除去する、涙ぐましい努力もなされています。ラバーのトラックは時代の要請だったと、私のようにラバーのトラックが当たり前の時代を生きる人にとっては昔に思いを馳せます。

ただ、今も国立競技場にある、風神雷神図や屋根、国旗掲揚ポール、照明塔などは現在と変わっていません。当時は建物に美しさを考える余裕がなかった高度成長期だったので、コンクリート打ちっぱなしの無骨な姿だったのは時代を感じますが、もうすぐ取り壊される国立競技場を記憶に刻む、いい機会になりました。

また、当時の選手村で出される食事などはこんな機会でもなければ見られません。パスタや鶏肉のソテー、グリーンサラダなどは現在と変わっておらず、アスリートだからこそおいしいものを食べさせようとした当時の東京五輪の「おもてなし」は感じます。

マラソンでは銅メダルに輝いた円谷選手の激走が見られました。当時のコースは甲州街道を調布市まで行って折り返すもので、新宿駅の今の南口のあたりにものすごい人が出ていた映像を見ました。電車も中央線101系や京王線の緑色の電車など、年代ものの懐かしい映像です。

当時のテレビ局の映像には、トップを走っていたアベベ選手のものしか中継車で映せず、2位で長く走った円谷選手の映像は残念ながらほとんど残っていないと聞いたことがあります。しかし、今回の記録映画には折り返しを3位グループで通過する円谷選手や、終盤戦で銀メダルのヒートリー選手をわずかにリードした姿も見ることができました。

その後、4年後のメキシコ五輪を前に調子が上がらなかった円谷選手は、衝撃の自殺をしてしまいました。当時、日本のために走れと、個人に必要以上にプレッシャーを掛けてしまったことは歴史の教訓として反省しなければならないと思います。ソチ五輪に出場する今の選手も、自分のために競技するつもりで大舞台に臨んで欲しいと思います。

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