Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

中村俊輔、現役引退

2022-12-18 17:24:02 | 他チーム
W杯は明日の決勝戦で終わりですが、写真の横浜FCのMF中村俊輔選手の現役引退をネタにします。中村俊輔は横浜Mのジュニアユースで育ちますが、ユースに昇格することができずに桐光学園高校でプレーした「回り道」がありました。この桐光学園を、高校選手権準優勝に導いた活躍が評価され、「敗者復活」で横浜Mのトップチームと契約した過去があります。

中村俊輔といえばFKです。鋭く曲げてゴールの枠内に飛ばすことが彼の技術で、過去にはセルティック(スコットランド)時代にアウェイのマンチェスターU戦でのゴールもあります。途中、海外にも渡っていた時期もありますが、J1での最多直接FKゴール数を持っています。本人は足が遅いと認めていますが、これだけのテクニックがあればそれをカバーできます。

もっとも、中村俊輔の時代は、海外移籍のためには日本代表で活躍しないと欧州のスカウト網に留まらない厳しい時代でした。その高い壁を、日本代表での活躍を認められてイタリア・セリエAのレッジーナからオファーを受け、自ら破ることができました。レッジーナ時代は監督が戦術オタクが多く、いつもBチームに相手の戦術でプレーさせて、その対策を練ることが日常でした。

セルティックに移籍できたのは、日本代表のコンフェデ杯での活躍がきっかけでした。セルティックでは左MFが彼のポジションで、かつては「自分に戦術を合わせてもらえるような選手になりたい」と言っていましたが、次第にチームプレーで守備もこなせるようになってきました。彼を最も重用したのは、代表ではジーコ監督で、4-4-2の攻撃的MFが彼の定位置でした。

当時、レッジーナはよく日本遠征をオフに実施しており、皆中村俊輔が目当てでした。長い距離を正確に蹴れる技術と、時折見せてくれる直接FKが、彼の試合を見るモチベーションでした。もっとも、のちに代表監督になった岡田武史氏は、予選では中村俊輔のゲームメイクを頼ったものの、本大会になると守備の安定性を重視して中村俊輔を外して阿部勇樹を起用したという過去があります。

そんな阿部勇樹の引退試合に出るのは、ちょっと複雑な気持ちもあったかもしれませんが、その後中村俊輔は磐田、横浜FCとチームを移りながら44歳までプレーできました。サッカー選手にとって、悔しさがあると長くプレーできる原動力になるという証言もあり、きっと彼なりに幸せなサッカー人生だったのではと、今では思いたいです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 3位決定戦クロアチア対モロッコ | トップ | 誕生日&ブログ開設6000日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

他チーム」カテゴリの最新記事