Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

F1ドイツGP(1994年)の記憶

2021-07-24 17:02:12 | 他スポーツ
ウスラー5日間大会を3日間で切り上げた私は、当時流行っていたF1のドイツGPを見に、ホッケンハイムサーキットに行きました。このホッケンハイムは長い直線コースがあるので「エンジンサーキット」と呼ばれており、フェラーリやウイリアムズのような強力なエンジンを持つチームの優位が予想されていました。地元凱旋のシューマッハは予選4位からのスタートでした。

当時、言葉がわからない予選に行った私は、何が起こったかわかっておらず、予選の順位は日本にいる弟に国際電話で確認しました。ここで片山右京の5位を知り、アナウンスが「Ukyo Katayama, Good race!」を何回も繰り返していた理由がようやくわかりました。しかし、熱戦を期待したレースはスタートのアクシデントで狂うことになります。

マクラーレンのハッキネンがスタートで突然暴走して、何台も巻き込む多重クラッシュを起こし、有力候補だったウイリアムズのヒルはピットインを強いられ脱落します。これで一躍本命に躍り出た、ベネトンのシューマッハですが、まだ当時は本当のトップレベルのチーム所属ではなく、世界トップレベルにのし上がっていく過程の途中でした。

そのシューマッハは、レース中に突然マシンが煙を出してしまい、無念のリタイヤに追い込まれます。ホテルに帰ってあとで見た、ユーロスポーツの映像で「シューマッハが失速しました!」と実況が悲鳴を上げている様子で、ここで地元優勝を期待していた多くのファンが落胆することになります。予選5位と見せ場を作った片山右京も、レース中にスピンしてリタイヤとなります。

あとは、サーキットは静まり返り、フェラーリのゲルハルト・ベルガーが淡々とトップを走って優勝をつかむことになります。オーストリア人で準地元になるベルガーですが、あまりドイツ人に応援する様子はなかった印象です。それでも、フェラーリのマシンが独特の甲高いエンジン音を立てるなど、現地に行かなければわからないこともありました。

それでも、この旅はほぼ計画通りに、日本で考えていた通りの旅ができました。ヨーロッパのスウェーデン、ドイツを巡ったダイナミックな旅が本当にできたことで、自分に自信がついた旅でした。今思えば、若いからできた、貴重な経験でした。








コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 平川引退試合マニアック分析 | トップ | 杉本健勇、横浜Fマリノスへレ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

他スポーツ」カテゴリの最新記事