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八角理事長の現役時代

2019-02-07 22:32:45 | 他スポーツ
穴埋めネタの昔の力士で、今は八角理事長になっている元横綱北勝海(ほくとうみ)の記憶です。四股名の通り、北海道の十勝地方の出身で、同じ十勝地方にいた、のちのライバルの元横綱大乃国は柔道の大会で互いに名を知る存在でした。関脇までは本名の保志で取っており、上位相手に果敢に突っ張って出る相撲で場内を沸かせる力士でした。

北勝海といえば、やはり同部屋の先輩千代の富士のことが印象的です。この両者の稽古は激しく、当時の二人を師匠として見ていた解説者の北の富士氏は「あの稽古ができる現役力士はいないな」と当時を振り返るほどです。北勝海自身も「千代の富士さんがいなかったら、私は横綱になれたかどうかわかりませんね」とテレビの解説で話していました。

四股名の北勝海は大関昇進のときにつけた名前です。当初は「十勝海」の予定でしたが、大関は10勝しかできなくては困るという理由で、北勝海に変更しました。姓名判断では「短命で横綱になれない」と言われたそうですが、そんなジンクスは自分で振り払うと意欲的でした。横綱に昇進した北勝海は、優勝8回と横綱としては合格点の結果を残します。

北勝海は千代の富士の休場時に強かったイメージが強いです。当時、千代の富士と北勝海で、九重部屋9連覇という記録も作っており、千代の富士の休場時は誰もが優勝のチャンスと意気込みましたが、その挑戦を跳ね返したのが北勝海でした。その姿は、エースがリタイヤしたレースをものにする、F1の「No.2ドライバー」のようでした。

千代の富士と同部屋で決定戦をやる夢は叶いました。しかし、千代の富士が娘を亡くして弔い合戦で上がっていた土俵なのは不運で、両者ともやりにくそうにしていた姿を思い出します。しかし、その猛稽古故に腰を痛め、晩年は常に腰痛との戦いでした。冷凍療法という、わざと冷やして腹筋運動をするという逆療法に挑んだこともありました。

最後は、28歳という、早すぎる引退ということになりました。しかし、親方としては北勝力、隠岐の海を関脇まで育て、ある程度成功しています。現役時代はインタビューを苦手にしていましたが、解説などでも誠実な姿を見せています。激しい現役時代でしたが、昭和の末から平成の始めを彩った、一人の功労者でした。

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