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『円空』の動画
見る
おもしろいなあ
修験道というのは
今
すごく興味があって
仏教と神道が一緒になっているところを
歩いてゆくのが
修験道の面白さ
そればかりか
シャーマニズムは
山岳信仰と修行
脳の際まできて
体感する感覚
最後は62歳で洞窟に入って
滅するのだけれど
それは空海でも同じで
三重の友人に言わせると
それは自殺なんだ
と切れ味は最高
思えば
補陀落でもそうだし
千日回峰行でも
挫折したら
持参している短刀か首吊りで
自殺する
千日回峰行では葬式代で10万円を
懐にいれているらしい
チベットのお坊さんは
ガソリンをぶっかけて
焼死してゆくと友人は言っていた
死にながら何を
脳を含めた体が知るのか
究極の修行は
生きながら死にゆく
友達の
淡々とした言葉の裏側にある
大きな思想は
言葉にはできない
円空の動画の中で
驚いたのは
利他行だったか
利他道だったかの
言葉が出てきたことだ
ちょっと驚いた
そして円空は溺死したお母さんの供養のために
木彫りをしたのではないか
という仮説
その後
利他道と変化してゆく
空海も高野山から
少し離れたところに
お母さんが住む御堂をつくり
よく会いに行っていたという
これが円空でも言えるし
山頭火も母の位牌を持って
旅した
ここで想起するのが
中上健次と若松孝次の思いが重なった映画
『千年の愉楽』を考え続けた結論の
『母(ぼ)』である
あらゆるところに
『母(ぼ)』がある
今回は母親だけれど
本質的なところは
母親だけではないはずだ
あるいは母親を通じて
あらゆる根源の模索の答は
『母(ぼ)』であるように思う
そこらへんはまた
サイセイ氏と話すことになるだろう
推敲
今日もほぼ新聞読み
新聞はおもしろい
何でも書いてある
野菜ばっかの弁当で夕食
紅白の幕はなく
ボタンだらけの
機械の前に立っていた
立ち去り
道を行く