曇天の空が風雲急を告げているようだった。
湿った風が夕方の下町にたたずむ我々の前途を暗示しているようでもあった。
年に1度執り行われる酒都立石ツアー。この日は「江戸っ子」に乗り込むつもりで、参集した。16時の待ち合わせがその気合ぶりを物語っているといえよう。
だが、「江戸っ子」の開店時間は16時半。そのまま、開店まで待っていてもよかったが、「とりあえずビールでも」と0次会をすることになった。
「一度行ったことがある」というY澤さんの計らいで、「串揚100円ショップ」なる立ち飲み屋に行くことになった。
赤いテントには、以前印字されていた店名を消して、素っ気ない字体で「串揚100円ショップ」と出ている。
どうやら居抜きの店のようだ。店は営業しているのかさえ、判然とせず、恐る恐るその伏魔殿のような店のドアに手をかけた。
いともたやすく開いたドアの向こうは暗がりの中、3人程度の客が奥のカウンターで飲んでいる風景が見えた。
自然光がほとんど入らない店は、一見して清潔でないことが窺い知れ、ひどくみすぼらしく感じた。
入ったときのインスピレーションでだいたい勘が働く。なんか、嫌な予感がした。カウンターの向こうにいる店のオヤジの目が怖い。その予感はほどなく、的中することになる。
3人の客がいるのみのカウンターは我々にどこに陣取るかを悩ませた。わたしは角を挟んでY澤さんと対面しようと試みると、カウンターの向こうのオヤジはそれを手で制して、言葉を一言も発さないまま、「そこに立てよ」とジェスチャーで促した。
これから店が混むような時間ならまだしも、平日の16時はまだ余裕がありそうなものである。とてつもなく感じが悪かった。その瞬間、この店のお客に対する姿勢がはっきりと見て取れた。
だが、この眼光の鋭いオヤジはこのあと、どのような客あしらいをして、どのような串揚げを食べさせてくれるのか、とても気になった。
「生ビール」を頼んだ。小ぶりのジョッキはお椀型のそれだ。オヤジは注文に対して、やはり「うん」とも「すん」とも言わない。
串揚げを「豚ヒレ」「ハムカツ」「ウインナー」で頼む。
店内の壁にはたくさんの短冊が飾られ、そのメニューの豊富さがうかがい知れる。中には、他の串揚げ屋さんではお目にかかれないようなものもあり、それはそれで楽しい。だが、そうやって目で楽しんでいても、どこか落ち着かない雰囲気がこの店にはあった。空気が和やかではないのだ。或いは、常連ではないわたしたちが入ってきたことが、何かの間違いであったようにさえ思える。
串揚げは悪くはなかった。カリッと揚げられていて、油の温度には十分に気をつけていることがそこからは分かった。
だが、心底おいしいとは思えなかった。やはり、店の雰囲気がおかしい。陽気に話しができる空気ではない。そう、まるで監視されているみたいな、そんな空気が店内を支配していた。
わたしたちは、ビール1杯で店を後にした。
最近になって、この店をwebで検索すると、ある飲食店サイトではかなりの高得点が記録されていた。なるほど、味と技術はいいようだ。
だが、やはりそこに投稿されている多くの人は、この店のオヤジの態度について一筆書いている。やはり、態度がよろしくないようである。
いくら、料理の味や技術がよくても、お店の雰囲気がよくなければ、それはおいしいことにはならないと思う。事実、わたしはそれほどおいしいとは感じなかった。むしろ、早く店を出たいとさえ思った。
それともただ相性やタイミングの問題なのか。
そういえば、もう1軒ある立石の串揚げ屋さんとも相性が悪いように思う。
湿った風が夕方の下町にたたずむ我々の前途を暗示しているようでもあった。
年に1度執り行われる酒都立石ツアー。この日は「江戸っ子」に乗り込むつもりで、参集した。16時の待ち合わせがその気合ぶりを物語っているといえよう。
だが、「江戸っ子」の開店時間は16時半。そのまま、開店まで待っていてもよかったが、「とりあえずビールでも」と0次会をすることになった。
「一度行ったことがある」というY澤さんの計らいで、「串揚100円ショップ」なる立ち飲み屋に行くことになった。
赤いテントには、以前印字されていた店名を消して、素っ気ない字体で「串揚100円ショップ」と出ている。
どうやら居抜きの店のようだ。店は営業しているのかさえ、判然とせず、恐る恐るその伏魔殿のような店のドアに手をかけた。
いともたやすく開いたドアの向こうは暗がりの中、3人程度の客が奥のカウンターで飲んでいる風景が見えた。
自然光がほとんど入らない店は、一見して清潔でないことが窺い知れ、ひどくみすぼらしく感じた。
入ったときのインスピレーションでだいたい勘が働く。なんか、嫌な予感がした。カウンターの向こうにいる店のオヤジの目が怖い。その予感はほどなく、的中することになる。
3人の客がいるのみのカウンターは我々にどこに陣取るかを悩ませた。わたしは角を挟んでY澤さんと対面しようと試みると、カウンターの向こうのオヤジはそれを手で制して、言葉を一言も発さないまま、「そこに立てよ」とジェスチャーで促した。
これから店が混むような時間ならまだしも、平日の16時はまだ余裕がありそうなものである。とてつもなく感じが悪かった。その瞬間、この店のお客に対する姿勢がはっきりと見て取れた。
だが、この眼光の鋭いオヤジはこのあと、どのような客あしらいをして、どのような串揚げを食べさせてくれるのか、とても気になった。
「生ビール」を頼んだ。小ぶりのジョッキはお椀型のそれだ。オヤジは注文に対して、やはり「うん」とも「すん」とも言わない。
串揚げを「豚ヒレ」「ハムカツ」「ウインナー」で頼む。
店内の壁にはたくさんの短冊が飾られ、そのメニューの豊富さがうかがい知れる。中には、他の串揚げ屋さんではお目にかかれないようなものもあり、それはそれで楽しい。だが、そうやって目で楽しんでいても、どこか落ち着かない雰囲気がこの店にはあった。空気が和やかではないのだ。或いは、常連ではないわたしたちが入ってきたことが、何かの間違いであったようにさえ思える。
串揚げは悪くはなかった。カリッと揚げられていて、油の温度には十分に気をつけていることがそこからは分かった。
だが、心底おいしいとは思えなかった。やはり、店の雰囲気がおかしい。陽気に話しができる空気ではない。そう、まるで監視されているみたいな、そんな空気が店内を支配していた。
わたしたちは、ビール1杯で店を後にした。
最近になって、この店をwebで検索すると、ある飲食店サイトではかなりの高得点が記録されていた。なるほど、味と技術はいいようだ。
だが、やはりそこに投稿されている多くの人は、この店のオヤジの態度について一筆書いている。やはり、態度がよろしくないようである。
いくら、料理の味や技術がよくても、お店の雰囲気がよくなければ、それはおいしいことにはならないと思う。事実、わたしはそれほどおいしいとは感じなかった。むしろ、早く店を出たいとさえ思った。
それともただ相性やタイミングの問題なのか。
そういえば、もう1軒ある立石の串揚げ屋さんとも相性が悪いように思う。
東京に住んでた時に俺が思ったのは、「日本で一番うまい食い物を食わせる所も多いけど、その一方でどうしようもなくまずい店や、客商売に向いてない奴がやってるダメな店もたくさんある。」ということだった。
沢山の人がいて、時としてダメな店であってもその店で我慢しなくてはいけないからか、それとも、基本的に我慢強い人が多いからなのか、ダメなお店は口コミで、そのほとんどがあっという間に淘汰される(潰れる)関西の人間には、とても不思議なことだったよ。
とか言いながら、関西でも偉そうな店とかで生き残ってるところも少しはあるけど。
そういうのでも生き残ってる店っていうのは、マゾヒスト御用達のお店なのかもしれないなあ・・・。
ただ、俺は味が多少良くても、商売に向いてない人がやってる店には二度と行きたくないな。その辺は師と、多分、同じ考えだよ。
気持ち良く食べたり飲んだりできないなんてありえないもんね。
腕だけ良くて客があしらえない料理人は、カウンターなんて作らないで給仕の人を雇って、己は厨房の奥でひたすら料理だけ作ってればいいのにと思うよ。
確かに一度きり行っただけでは、分からないけど、自分のフィーリングには合わなかったっていうことなんだろうね。
改めて某飲食店サイトのこの店のレビューを見てみると、あまりオヤジの態度を強く糾弾している人はいなかったね。
むしろ、オヤジのぶっきらぼうな態度に好感(面白さ)を感じたという評すらあったよ。
師は優しい態度の店が好きなようだし、また、店主・店員とコミュニケーションを取れる店も好きなようだから、このおやじとの相性が特に悪かったのかもしれないね。