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4月4日、宮城県仙台市に入った。
東北自動車道から仙台空港方面へ。
市内は平穏を取り戻しているように見える。
2000年、わたしは東海集中豪雨で甚大な被害に遭った名古屋市西枇杷島地区を取材した。
多くの自動車が冠水し、畑の真ん中まで流された自動車を目の当たりにしてきたが、今回は規模が違う。
空港道を境に瓦礫の荒野が広がり、わたしは言葉を失った。
複数の事業者から話しを聞くものの、家や事業所を失った人からの声は聞けない。
また、声を聞くものの、それをわたしはどうすることもできない。
西枇杷島を歩いた概視感が甦る。
無力感を抱きつつ、わたしは若林区から宮城野区へと歩く。
4月3日くらいから、ガソリンの流通は通常通りになったという。
少しずつ、流通が回復してきたとのこと。
街は暗いが、落ち着きを取り戻しつつあるようだ。
居酒屋も多くが店を開けている。
だが、お客が入っているようには見えない。
ある経営者に話を聞いた。
「怖いのは流通のストップじゃない。一番恐れているのは、経済の停滞だ」。
被災地は市場の縮小は避けられない。
だが、思っているほど、経営者は快活に話をしてくれる。
「生きているから、なんとかなるだろう」
話しを聞いていて、励まされたのは、逆にわたしのほうだった。
※仙台市内のホテルはどこも満室。
やっととれた宿は仙台から60km離れた蔵王のペンション。震災支援者用にオープンした宿で一泊3,000円。まさか、こういうシチュエーションでペンションに泊まるとは全く思ってもいなかった。
東北自動車道から仙台空港方面へ。
市内は平穏を取り戻しているように見える。
2000年、わたしは東海集中豪雨で甚大な被害に遭った名古屋市西枇杷島地区を取材した。
多くの自動車が冠水し、畑の真ん中まで流された自動車を目の当たりにしてきたが、今回は規模が違う。
空港道を境に瓦礫の荒野が広がり、わたしは言葉を失った。
複数の事業者から話しを聞くものの、家や事業所を失った人からの声は聞けない。
また、声を聞くものの、それをわたしはどうすることもできない。
西枇杷島を歩いた概視感が甦る。
無力感を抱きつつ、わたしは若林区から宮城野区へと歩く。
4月3日くらいから、ガソリンの流通は通常通りになったという。
少しずつ、流通が回復してきたとのこと。
街は暗いが、落ち着きを取り戻しつつあるようだ。
居酒屋も多くが店を開けている。
だが、お客が入っているようには見えない。
ある経営者に話を聞いた。
「怖いのは流通のストップじゃない。一番恐れているのは、経済の停滞だ」。
被災地は市場の縮小は避けられない。
だが、思っているほど、経営者は快活に話をしてくれる。
「生きているから、なんとかなるだろう」
話しを聞いていて、励まされたのは、逆にわたしのほうだった。
※仙台市内のホテルはどこも満室。
やっととれた宿は仙台から60km離れた蔵王のペンション。震災支援者用にオープンした宿で一泊3,000円。まさか、こういうシチュエーションでペンションに泊まるとは全く思ってもいなかった。
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