熊本市内からバスで1時間あまり、山間を走る。
天候は次第に悪くなり、雨が降ったりやんだり。雲は低く垂れ込み、ときどき雲海が見え隠れする。とにかく、すごいところに来てしまった。
目指すのは、「田楽の里」。
熊本の奥阿蘇に一風変わった田楽があるとの情報を得て、我々はバスに乗り込んだ。
「田楽は 昔は目で見 今は食ひ」
江戸時代の川柳である。そもそも田楽とは農耕芸能のひとつ。田植えの際に神への祈りとして、舞などを演じたものが後に芸能に昇華した。その舞に「鷺足」というものがあり、串にさしたこんにゃくなどの料理が、その姿に似ていることから、串のこんにゃくが田楽と呼ばれるようになったらしい(「コトバンク」より)。
ともあれ、芸能だったものが、後に食べ物となり、その田楽という言葉も今や廃れつつある。きっと、若い人に「田楽」を聞いても、明確に答えられないかもしれない。
その熊本に、今も脈々と受け継がれる田楽があるという。
「田楽の里」のホームページによると「地元特産のいもを主にやまめ、山菜を織り混ぜながら、独特の山椒味噌、ゆず味噌で味付けし、昔ながらの囲炉裏を囲んで炭火で焼く素朴な郷土料理」とある。
囲炉裏を囲んでというのが、まさにミソだ。
「田楽の里」の近くには、高森田楽保存会という店もある。田楽の店舗としては、こちらの方が元祖らしい。ただ、我々が目指す「田楽の里」は、築200年ともいわれる古民家がお店になっている。それだけでも、実は必見なのではないか。我々がその店を目指した訳である。
その建物は圧巻だった。まず、その広さに驚愕した。客間だけで20畳はあるかもしれない。そこに点在する四角い囲炉裏。囲炉裏自体なかなか見ることも珍しい。そこはまるで異世界だった。
囲炉裏に案内され、そこに腰掛けると、すでに囲炉裏には、珍しい珍味がセッティングされていた。
大きな串に刺された里芋、山女魚、そして豆腐など。この里芋こそが高森田楽そのものらしい。というのも、この里芋は阿蘇の火山灰から生まれた、いわゆる固有種ともいえる品種とのこと。その名はつるの子芋。里芋の形状が鶴の首に似ていることから、そうつけられたという。里芋についている味噌は同店オリジナル秘伝の味噌。炭火でじっくりと焼かれるそれらを前にして、我々は瓶ビールで乾杯した。キンと冷えたビールのうまいことよ。
さて、早速その里芋からいただいてみる。ホクホクの里芋は何もつけないでも充分にうまい。
そして、山女魚。炭でやく塩焼きの魚がまずい訳などない。我々は、無心にかぶりついた。
田舎料理の数々。先人らは、これをことある毎に食べていたのだろう。当時も贅沢だったのか。今はもっと贅沢な食べものになっているような気がする。スローフード、自然の恵み、シンと鎮まった古民家でいただく郷土料理。どれをとっても全て贅沢すぎる。
今、地方は急速に衰退している。限界集落という言葉に象徴されるように、いずれ地方は消滅を余儀なくされるだろう。人がいなくなるだけでなく、言語も料理も、文化も消えていくのかもしれない。
熊本の山奥の郷土料理は、街から一時間かけても行く価値はある。日本人が忘れかけていたものが必ずある。
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