「一柳」を出て、ボクとY澤さんは晴海通りを西へ向かった。
銀座をすっ飛ばし、数寄屋橋を超え、ボクらは有楽町にたたずんだ。
たぶん、頭の隅にあったのだろう。
あのアーチの余韻が。
それとも、古い昭和の温もりが。
「一柳」を出て、ボクとY澤さんは晴海通りを西へ向かった。
銀座をすっ飛ばし、数寄屋橋を超え、ボクらは有楽町にたたずんだ。
たぶん、頭の隅にあったのだろう。
あのアーチの余韻が。
それとも、古い昭和の温もりが。
イトシアより南。
強烈な光に照らされて、その影はさらにくっきりと浮き彫りにした。
ガード下のたたずまい。
夜光虫のように、ボクらは吸いよせられていく。
ボクらがたどり着いたのは、かまぼこ型のアーチに、居酒屋がまるでパラサイトする一角。
戦後の風景を今に伝えるガード下の店、「登運とん」である。
1年10か月ぶり3回目の訪問。あ意外なことにY澤さんは初めてらしい。
夜も8時を過ぎたが、席は満席。ボクらは、かろうじて空いていた一番奥の席に通された。アーチ型のアールの部分である。
この席に座る人は、は、身をかがめて飲まなければいけない。
そんな店の端っこでチューハイと煮込みをを頼み、ボクらは変わりゆく東京を思ってた。
歌舞伎座隣のビルを仕事場にしていたY澤さんと神田の仕事場からそこに通っていたボク。お互い、今はもう仕事場はそこにはない。
歌舞伎座も建て替えられ、三原橋もなくなろうとしている。
街は次々に新しい顔を見せ、生まれ変わっているいる。ボクらは、果たして成長しているのだろうか。
ボクらはチューハイをおかわりし続けた。
やきとんを食べ、おおいに語り合った。最後はもうぐだぐだになったけれど。
今、御徒町のJR高架が耐震工事を行っている。先ごろ、御徒町食堂が耐震工事のために64年の歴史を閉じた。
近いうち、その耐震工事が有楽町に及び、あの昭和の酒場風景も変わることを余儀なくされるのだろうか。
変わり続けていくのか。このあとも。
東京とボクらは。
■「登運とん」の過去記事
本年もよろしくお願いいたします m( _ _ )m
先月(12月)初旬に所用で銀座まで出向いたとき、
三原橋の地下に行きました。
閉鎖された一柳の店頭には、長年の愛顧への謝辞と新店舗物件を探しており、開店のおりはインターネット知らせる旨の張り紙が以前のままありました。
ネットで検索しても開店の情報はヒットしません・・・
正月休みはだらだらと過ぎてしまいました。
幾日かは少し飲み過ぎ。週1回のみの飲酒の習慣を取り戻さねば!
お忙しいでしょうがたまには呑みに行きましょう!!
それでは、また!!
本年もよろしくお願いいたします。
お元気そうでなによりです。
三原橋はまだ中に入れるのですね。
閉鎖される前に、もう1度散歩してみたいです。
髪型を変えたのは、ご存じないですね。
12月から変えております。記者仲間を中心に賛否両論を沸き起こしました。いえ、30人中、27人が否でした。中には大笑いする者、全否定する者、手厳しいご意見も頂戴しました。
今はだいぶ落ち着きましたが、名残のあるうちに是非ご笑覧いただければと存じます。
では、また近いうちに。
近々に是非、飲みましょうU+203CU+FE0E
もしかすると、つまらない記事は弾かれてしまったりして。
近々、メールいたします。