上野の銭湯「燕湯」を出ると、夜風が心地よかった。梅雨のただ中、湿度は高いが、それ以上に浴室内は蒸している。喉はもうカラカラだ。これだから会社帰りの銭湯通いはやめられない。
さて、銭湯を出て、オレは夜風に吹かれながら、そのまま中央通りに出た。通りを渡り、湯島方面に一本小道を行くと一軒の立ち飲み屋がある。「立ちのみどころ えどや」だ。およそ2年くらい前だろうか、突如として、この狭い路地に店が出現し、オレも随分気には留めていた。だが、とうとうこれまで、ついぞ足を運ぶ機会は訪れなかった。
中央通りを道一本隔てると、辺りは急に暗くなり、クルマの走る音も聞こえなくなるほど静かになる。この界隈にも飲食店が少なくなく、御徒町駅やアメ横の喧噪とは異なる落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「えどや」は気を付けて歩いていなければ、見過ごしてしまいそうな、そんな一角にあった。
ドアを開けて入店してみると、意外や意外、店主は女性の方だった。
立ち飲み屋で女性店主はいかにも珍しい。わたしの立ち飲み人生においてもほとんど記憶がない。
店は多くの客で賑わっていた。
わたしは、カウンターの隅っこにちょっとだけ空いているスペースを見つけ、そこに陣取った。
カウンターの仕切の上には、いくつもの大皿が並び「おばんざい」風に料理を飾っている。
オレは、ママにまず生ビール(390円)を頼んだ。
ビールはサッポロ。
当欄で何度も指摘しているが、生ビールを390円で出す居酒屋は間違いなく努力をしていると思う。それが、400円になってしまうと、急激に割高感が出てくるから不思議だ。僅か10円。されど10円。400円を割り込んだ値段でビールを提供するところに店舗努力が垣間見られるのだ。
また、その後に頼んだ酎ハイの値段290円を見ても、それは明らかだ。
つまみに煮込みを貰おうとしたが、あいにくメニューにはないという。そこで、『本日のお勧めのものを』とママに頼むと、彼女は少し思案する素振りを見せて、その大皿の中から焼き魚を選んでくれた。魚は『あこうだい』。食卓には馴染みの薄い魚だが、これが実においしかった。白身の淡白な味は特段主張することもなく、生ビールによく合う。
ママの気っ風はいい。
その張り切り方も店内の雰囲気に伝播しているようだ。やや暗がりの照明が店内を琥珀色に染め、ムードを演出する。壁に貼られたややヘタウマの品書きがなんともいい味を出している。
そうそう、この店の箸は割り箸ではない。洗って何度も使う家庭用のお箸だ。おばんざい風の食べ物、店内の装飾など全てが手作り。決して凝ってはいないが、肩肘張らず自然体の店作りが共感を呼ぶのだろう。
「立ち飲みのスタイルだけど、わたしは小料理屋を目指しているのよ」というママの一言からもそれは伝わってくる。
そうして、ビールを飲み干し、わたしは酎ハイを頼んだ。残念ながら酎ハイは自家製ではなかった。サーバーから出しているところをみると、恐らくビール会社のそれだろう。酎ハイと一緒に出てきたのは、爪楊枝に刺さった「にんにくの肉巻き」。「カウンターサービスよ」と言うママの笑顔が弾ける。嬉しい。実に嬉しい。些細だが、こんな小さな心使いがカウンターと厨房の距離を縮めるのだ。
「以前も来られましたね」。
ママがわたしにそう言う。
「いいえ。初めてです」。
これも店とお客の距離を縮める常套句か?
その後、大皿に盛られた酒肴を幾つかご馳走になって店を出た。いずれも300円から400円の低価格。しかし、手作り料理をこの値段で食べさせてくれるのだから、破格な値段といえよう。
お店にはママの他にアルバイトの女の子が一人。ほとんど日替わりで多くの女の子が働いているという。
帰り際に「坂本さんまたいらっしゃって下さいね」と声をかけ、わざわざ店の外まで出てママはお辞儀をした。
オレの名前は坂本ではない。どうやら坂本龍一氏に雰囲気が似ているからだという(似てね~=熊猫談)。
ちなみに、9月初旬、怪鳥と共に同店を再訪した。ママは、わたしのことなどすっかり忘れているようだった。本物の坂本を連れてきたというのに。
さて、銭湯を出て、オレは夜風に吹かれながら、そのまま中央通りに出た。通りを渡り、湯島方面に一本小道を行くと一軒の立ち飲み屋がある。「立ちのみどころ えどや」だ。およそ2年くらい前だろうか、突如として、この狭い路地に店が出現し、オレも随分気には留めていた。だが、とうとうこれまで、ついぞ足を運ぶ機会は訪れなかった。
中央通りを道一本隔てると、辺りは急に暗くなり、クルマの走る音も聞こえなくなるほど静かになる。この界隈にも飲食店が少なくなく、御徒町駅やアメ横の喧噪とは異なる落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「えどや」は気を付けて歩いていなければ、見過ごしてしまいそうな、そんな一角にあった。
ドアを開けて入店してみると、意外や意外、店主は女性の方だった。
立ち飲み屋で女性店主はいかにも珍しい。わたしの立ち飲み人生においてもほとんど記憶がない。
店は多くの客で賑わっていた。
わたしは、カウンターの隅っこにちょっとだけ空いているスペースを見つけ、そこに陣取った。
カウンターの仕切の上には、いくつもの大皿が並び「おばんざい」風に料理を飾っている。
オレは、ママにまず生ビール(390円)を頼んだ。
ビールはサッポロ。
当欄で何度も指摘しているが、生ビールを390円で出す居酒屋は間違いなく努力をしていると思う。それが、400円になってしまうと、急激に割高感が出てくるから不思議だ。僅か10円。されど10円。400円を割り込んだ値段でビールを提供するところに店舗努力が垣間見られるのだ。
また、その後に頼んだ酎ハイの値段290円を見ても、それは明らかだ。
つまみに煮込みを貰おうとしたが、あいにくメニューにはないという。そこで、『本日のお勧めのものを』とママに頼むと、彼女は少し思案する素振りを見せて、その大皿の中から焼き魚を選んでくれた。魚は『あこうだい』。食卓には馴染みの薄い魚だが、これが実においしかった。白身の淡白な味は特段主張することもなく、生ビールによく合う。
ママの気っ風はいい。
その張り切り方も店内の雰囲気に伝播しているようだ。やや暗がりの照明が店内を琥珀色に染め、ムードを演出する。壁に貼られたややヘタウマの品書きがなんともいい味を出している。
そうそう、この店の箸は割り箸ではない。洗って何度も使う家庭用のお箸だ。おばんざい風の食べ物、店内の装飾など全てが手作り。決して凝ってはいないが、肩肘張らず自然体の店作りが共感を呼ぶのだろう。
「立ち飲みのスタイルだけど、わたしは小料理屋を目指しているのよ」というママの一言からもそれは伝わってくる。
そうして、ビールを飲み干し、わたしは酎ハイを頼んだ。残念ながら酎ハイは自家製ではなかった。サーバーから出しているところをみると、恐らくビール会社のそれだろう。酎ハイと一緒に出てきたのは、爪楊枝に刺さった「にんにくの肉巻き」。「カウンターサービスよ」と言うママの笑顔が弾ける。嬉しい。実に嬉しい。些細だが、こんな小さな心使いがカウンターと厨房の距離を縮めるのだ。
「以前も来られましたね」。
ママがわたしにそう言う。
「いいえ。初めてです」。
これも店とお客の距離を縮める常套句か?
その後、大皿に盛られた酒肴を幾つかご馳走になって店を出た。いずれも300円から400円の低価格。しかし、手作り料理をこの値段で食べさせてくれるのだから、破格な値段といえよう。
お店にはママの他にアルバイトの女の子が一人。ほとんど日替わりで多くの女の子が働いているという。
帰り際に「坂本さんまたいらっしゃって下さいね」と声をかけ、わざわざ店の外まで出てママはお辞儀をした。
オレの名前は坂本ではない。どうやら坂本龍一氏に雰囲気が似ているからだという(似てね~=熊猫談)。
ちなみに、9月初旬、怪鳥と共に同店を再訪した。ママは、わたしのことなどすっかり忘れているようだった。本物の坂本を連れてきたというのに。
それは、明らかに違いますねぇ。
恐らく、お客への話し方も日々いろいろ研究されているのでしょうね。
こっちも勉強になります。
怪鳥!
実は坂本龍一氏に「似ている」と言われたのは今回が初めてでないんですよ。
おもいっきり、お世辞なのでしょうが、過去2回言われました。
多分、長髪と白髪がそんなイメージなのでしょう。顔は全然似ていないのにね。
「前にもいらっしゃいましたよね。」って言葉、
結構嬉しかったりしますもんね。
そこで2回目に覚えてくれてたらカンペキだったのに、
おしいっっ!!
川反にも立ち飲み屋がないですか。
立ち飲み屋は時間とコストを巡った都市部の産物。
ゆっくり、時間が流れるところには、そんな忙しない場所は必要ないかもしれませんね。
すみません。次回の当欄もまた立ち飲み屋です。
橋の袂の、昔からある店で、蕎麦のほか、うどんラーメンと多彩デス。
飲んだ後は、ここで締めの一杯(かけ蕎麦)をすすって帰るのが、定番でした。(笑)
しかし、立ち飲み屋は秋田県にあるかなぁ。川反くらいにはあるかもしれませんよ。
昭和一桁生まれの両親に、幼い時分は「立って食べたりしちゃダメでしょ」とよく怒られました。
今でも、立ち食い、立ち飲みにはまだ抵抗があります。
なんとなく、子供にも叱れません。
訊いたことがないので、きっと無いんだろうな。
秋田県人はじっくり座っての酒が好きだからなぁ…。(笑)