ほろ酔いの足取りで四ツ目通りを南へ向かった。
実は既に酒を飲んできたのである。
夕方、社長に呼び出されたわたしは会社近所の「村役場」(居酒屋放浪記NO.0053)でキリンラガーを空けた。その社長との打ち合わせを早々に切り上げさせてもらい、今、今pとの約束の場所、「山城屋酒場」を目指し、都営新宿線の住吉駅を出たところなのである。
右手には「山城屋本店」(居酒屋放浪記NO.0029)が見える。
今晩も大勢の酔客でごった返していることだろう。
これから訪ねる「山城屋酒場」はこの店と親戚関係にあるお店という情報。ご存知、「山城屋本店」は 昨年当ブログの「居酒屋アワード」を飾った名店だ。そうした関係のお店ともなれば、今夜もおおいに期待は膨らむ。
しばらく歩くとスーパーマーケットの「ライフ」が見えてくる。ここを左に曲がれば、東京ガスの深川グラウンドだ。JリーグのクラブFC東京がまだここで練習していた頃、よく通ったものだ。
小名木川を渡る。
川面をいく風は冷たくもなく、暖かくもない。
暦のうえではもう夏だが、今が一番いい気候だ。
清洲橋の交差点に差し掛かった。
交差点の右向こうは宇迦八幡。ここは池波正太郎氏の小説「剣客商売」で秋山小兵衛が滝久蔵という人物の敵討ちの立会人になったという地である。
しかし、このあたりがその昔、「土地の人々はこのあたりを『千田新田』とか『海辺新田』とか呼んでいるが、人家もなく、田畑も少ない。一面の葦の原に松林が点在するといった風景で、近くに木場、八幡宮の盛り場があるとは思えぬほど、景観は荒涼としていた」(池波正太郎、『剣客商売 浮沈』=新潮文庫)とは今ではまさかとても信じられない。
清洲橋通りを左に折れ、更にしばらく歩く。しかし、お目当ての「山城屋酒場」はとにかく、駅から遠い。
住吉駅から徒歩20分。ようやく、お店のぼんやりとした灯りが見えてきた。実はここ、今pんチの目の前。その今pと合流し、お店に入った。ガラリと戸を開けると、満員の店内は一斉にこちらに目を向けてくる。
恐らく、このお店はほぼ常連で固められているのだろう。馴染みの誰さんが来たんだ?そんな優しい目が一斉に我々に向けられたのだ。
我々は、その目線を掻き分け、ときには目礼しながら奥の小あがりへと通されたのであった。
カツオ刺、そして鯵フライを頼み、まずは生ビールをぐいとあおる。酒の肴は一品料理が多数。手書きの札が短冊状に壁に貼られている。
店の中は活気であふれ、客の小気味のよい笑いでさんざめく。
駅から遠いこの地で永くお店をやっていけるのは地元の人に愛されているからに他ならない。
ふと、我々の隣のテーブルが目に入った。相当年季の入った代物だ。そのテーブルに負けず劣らず年季の入ったお店のお婆ちゃんに、「このテーブル古いねぇ」と尋ねると、「お店開けたときからだから40年は使ってるね」と返ってきた。
木が反り返ったそのテーブルは店の歴史そのものだ。
ビールジョッキを干して、次に久々のホッピーに手を染めた。いやぁ、ホント久々!
生ビールと同じジョッキに氷を入れた酎に琥珀色の麦芽飲料を注ぐ。一口口に含むと甦る懐かしき味。ん?待てよ。何となくおいしく感じない。何回か飲みなおしてみたが、やはり以前飲んでいた感覚ではない。後でよくよく考えてみて分かったのだが、最近わたくし、家ではやたら本格焼酎を買い込んでは飲んでおりまして、甲類の焼酎が飲めない体質になっていうのでは、と感じた次第です、ハイ。
ともあれ、なんだかんだ言ってはこのホッピーにその後、少しずつ記憶を蝕まれていくのであった。
しかし、時が経つのは早いもんだ。
今pのウチを訪れてから、もう1年という月日が流れている(居酒屋放浪記番外編『例えば5月の風に』)。あれから、今pは退職してフリーランスとなり、わたしには子供ができた。
そして、これから我々はこの先どのように変わっていくのだろう。
帰りの記憶はほとんどない。
覚えているのは、南砂町の駅まで歩いた長く遠い道のりだけであった。
実は既に酒を飲んできたのである。
夕方、社長に呼び出されたわたしは会社近所の「村役場」(居酒屋放浪記NO.0053)でキリンラガーを空けた。その社長との打ち合わせを早々に切り上げさせてもらい、今、今pとの約束の場所、「山城屋酒場」を目指し、都営新宿線の住吉駅を出たところなのである。
右手には「山城屋本店」(居酒屋放浪記NO.0029)が見える。
今晩も大勢の酔客でごった返していることだろう。
これから訪ねる「山城屋酒場」はこの店と親戚関係にあるお店という情報。ご存知、「山城屋本店」は 昨年当ブログの「居酒屋アワード」を飾った名店だ。そうした関係のお店ともなれば、今夜もおおいに期待は膨らむ。
しばらく歩くとスーパーマーケットの「ライフ」が見えてくる。ここを左に曲がれば、東京ガスの深川グラウンドだ。JリーグのクラブFC東京がまだここで練習していた頃、よく通ったものだ。
小名木川を渡る。
川面をいく風は冷たくもなく、暖かくもない。
暦のうえではもう夏だが、今が一番いい気候だ。
清洲橋の交差点に差し掛かった。
交差点の右向こうは宇迦八幡。ここは池波正太郎氏の小説「剣客商売」で秋山小兵衛が滝久蔵という人物の敵討ちの立会人になったという地である。
しかし、このあたりがその昔、「土地の人々はこのあたりを『千田新田』とか『海辺新田』とか呼んでいるが、人家もなく、田畑も少ない。一面の葦の原に松林が点在するといった風景で、近くに木場、八幡宮の盛り場があるとは思えぬほど、景観は荒涼としていた」(池波正太郎、『剣客商売 浮沈』=新潮文庫)とは今ではまさかとても信じられない。
清洲橋通りを左に折れ、更にしばらく歩く。しかし、お目当ての「山城屋酒場」はとにかく、駅から遠い。
住吉駅から徒歩20分。ようやく、お店のぼんやりとした灯りが見えてきた。実はここ、今pんチの目の前。その今pと合流し、お店に入った。ガラリと戸を開けると、満員の店内は一斉にこちらに目を向けてくる。
恐らく、このお店はほぼ常連で固められているのだろう。馴染みの誰さんが来たんだ?そんな優しい目が一斉に我々に向けられたのだ。
我々は、その目線を掻き分け、ときには目礼しながら奥の小あがりへと通されたのであった。
カツオ刺、そして鯵フライを頼み、まずは生ビールをぐいとあおる。酒の肴は一品料理が多数。手書きの札が短冊状に壁に貼られている。
店の中は活気であふれ、客の小気味のよい笑いでさんざめく。
駅から遠いこの地で永くお店をやっていけるのは地元の人に愛されているからに他ならない。
ふと、我々の隣のテーブルが目に入った。相当年季の入った代物だ。そのテーブルに負けず劣らず年季の入ったお店のお婆ちゃんに、「このテーブル古いねぇ」と尋ねると、「お店開けたときからだから40年は使ってるね」と返ってきた。
木が反り返ったそのテーブルは店の歴史そのものだ。
ビールジョッキを干して、次に久々のホッピーに手を染めた。いやぁ、ホント久々!
生ビールと同じジョッキに氷を入れた酎に琥珀色の麦芽飲料を注ぐ。一口口に含むと甦る懐かしき味。ん?待てよ。何となくおいしく感じない。何回か飲みなおしてみたが、やはり以前飲んでいた感覚ではない。後でよくよく考えてみて分かったのだが、最近わたくし、家ではやたら本格焼酎を買い込んでは飲んでおりまして、甲類の焼酎が飲めない体質になっていうのでは、と感じた次第です、ハイ。
ともあれ、なんだかんだ言ってはこのホッピーにその後、少しずつ記憶を蝕まれていくのであった。
しかし、時が経つのは早いもんだ。
今pのウチを訪れてから、もう1年という月日が流れている(居酒屋放浪記番外編『例えば5月の風に』)。あれから、今pは退職してフリーランスとなり、わたしには子供ができた。
そして、これから我々はこの先どのように変わっていくのだろう。
帰りの記憶はほとんどない。
覚えているのは、南砂町の駅まで歩いた長く遠い道のりだけであった。
しばらく、ホピ研もなかったし、油断すると人はすぐに堕落するものです。
次回のホピ研までには間に合うでしょう。
黒いロングコートとサングラスできめた師が、酒場で酔って管を巻くたちの悪いおやじどもを、店中央の柱に手をかけ両足で蹴散らしていく想像をし、心の中でにやつく俺がいる・・・。
来週は全般的にオッケーだよ。
そして、師よ!
どうだ、調子は?
メールの返事がないし、ブログにも元気ないから心配してたぞ。
さて、師のしてきどおり、写真、マトリックスっぽいな。
こんな、絵でも、「あぁ、ここは暗いんだな」と解ってもらえるのではないかと思うよ。
臨場感アリでしょ。