キッティ宅にお世話になってから3、4日すると日本人が現れた。
大学生と名乗った彼もまた友人に聞いたとして、訪ねてきたのだった。
すると、また翌日も同じように日本人がまたひとり加わった。一人気の向くまま部屋を占領していたが、同居人が多くなるにつれ、そういう訳にもいかなくなる。話し相手がいるのはいいが、どうにも面倒臭い。それが大学生だから尚更だった。
そのまた翌日、わたしが庭先で焚き火をしながら、象印のビール「ビアチャン」を飲んでいると、炎の向こう側からバックパックを背負った痩身の男が近づいてくるのが見えた。炎の熱気にゆらゆらしながら、男の姿がはっきりするにつれ、長髪と生やし放題の髭に日に焼けた顔は見覚えがあった。
その男はK君であった。
彼はわたしの顔を見るなり驚いた表情を見せ、「何でこんなところにいるんだよ」と柔和な顔で笑った。
わたしもその笑顔につられてオウム返しに答えた。
K君と初めて会ったのは香港のLゲストハウス。わたしが香港に到着した日、彼は台湾に向けて出発する日だった。
その後、再会したのは2ヶ月後、ホーチミンのコリアンBBQの店先だった。
バックパッカー同士で頻繁に再会することは珍しくない。同じ方向を目指し、旅のペースが似ている者同士なら行く先々で顔を合わせることもしばしばだ。だが、神出鬼没にアジアを周回するK君とは行動パターンが異なっている。
ましてや、その1ヶ月後に西へ行くルートから外れ、バンコクから北上するチェンマイの、しかも日本人の常宿ではない場所で再会するとは、何か偶然では片付けられない大きな力が働いていると感じる。
「カイラスの壁に触れてきた」というこの男は辺境の地もものともせず、アジアを歩き回っているようだった。そんな男とこんな場所で再会したものだから、お互い大いに盛り上がった。
その晩は、近所のスーパーでシンハービールやウィスキーの「メコン」を買い込み、ささやかな宴会を行った。もちろん、キッティが作った料理を肴にしてだが。
しかし、心配なのはキッティ家の家計だ。僅か数日のうちに日本人がわんさと増えたことで食費は飛躍的に増えた。
しかも、K君をはじめとした彼らもわたしと同様、宿泊代は一切支払っていないようだった。
そこで、K君の提案で、晩ご飯の酒代は我々が持つことにした。だが、これがバカにならなかった。1本25バーツほどのシンハービールを10本、そして1本50バーツの「メコン」のボトルを2本買うと一人当たり80バーツの出費となった。
これは、わたしには痛かった。
キッティには悪いが、出来るだけ、出費を減らすために、彼のところへ来たのだ。1日80バーツがかかるとなれば、普通の宿と変わらなくなる。
少しずつ、わたしはチェンマイの生活が窮屈になりはじめていた。
ある日、母屋のベランダで日本人同士語らっていると、キッティが外出する支度をしている。
「どこへ行くんだい?」
とわたしが聞くと、「ライブさ」と素っ気無く返ってきた。
「ライブ?」
と皆が声を合わせて尋ねると、キッティは支度の手を止めないまま「レストランで演奏するんだ」と言った。
カラバオのバンドを務めているというキッティのことだ。どんなプレイをするのか、気になり、わたしは冗談半分で「行ってもいいか?」と聞くと、彼はあっさりと「OK」と言う。
皆で大挙してチェンマイ市街にあるというそのレストランに行くことになったのだ。
レストランに着いてみて驚いた。
瀟洒なお店だったからだ。
店頭には噴水があり、蝶ネクタイをしたウェイターがかしこまって出迎えてくれる。
もっと雑然とした店を想像していたので、わたしは少し慌ててしまった。
店内の中央には演奏が出来る小さなステージがあり、キッティはそこでギターの弾き語りをした。
キッティの唄うカラバオの曲は朴訥としたフォークカントリー風で土臭い土着の旋律のように聞こえた。
歌詞はタイ語で全く分からないのだが、何か祈りにも似た響きがひしひと伝わってくる。
それに気分が高揚してしまったのか。
わたしも急に唄いたくなった。
そこで、キッティにお願いすると、1曲だけならいいということになり、わたしもギターで弾き語りをさせてもらった。
「ポム チュー ションマオ カッ。コン イープン」
とタイ語で挨拶すると、まばらだが拍手が聞こえてきた。
唄ったのは、わたしが青臭い頃によく聞いた日本の8ビートの曲。
演奏していると不思議な気分に捉われた。
何故、わたしは今ここで唄っているのか。
そして、これを誰に向けて唄っているのか。
日本を飛び出すきっかけとなった女に対してか。
それとも、自分に向けてなのか。
日本を出て長い時間が経ったような気がする。
わたしは、唄い終わると、英語でこんなことを言った。
「ボクは勝たなきゃいけない。そして、君もね」。
ちょっと、センチメンタルになってしまったようだ。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
大学生と名乗った彼もまた友人に聞いたとして、訪ねてきたのだった。
すると、また翌日も同じように日本人がまたひとり加わった。一人気の向くまま部屋を占領していたが、同居人が多くなるにつれ、そういう訳にもいかなくなる。話し相手がいるのはいいが、どうにも面倒臭い。それが大学生だから尚更だった。
そのまた翌日、わたしが庭先で焚き火をしながら、象印のビール「ビアチャン」を飲んでいると、炎の向こう側からバックパックを背負った痩身の男が近づいてくるのが見えた。炎の熱気にゆらゆらしながら、男の姿がはっきりするにつれ、長髪と生やし放題の髭に日に焼けた顔は見覚えがあった。
その男はK君であった。
彼はわたしの顔を見るなり驚いた表情を見せ、「何でこんなところにいるんだよ」と柔和な顔で笑った。
わたしもその笑顔につられてオウム返しに答えた。
K君と初めて会ったのは香港のLゲストハウス。わたしが香港に到着した日、彼は台湾に向けて出発する日だった。
その後、再会したのは2ヶ月後、ホーチミンのコリアンBBQの店先だった。
バックパッカー同士で頻繁に再会することは珍しくない。同じ方向を目指し、旅のペースが似ている者同士なら行く先々で顔を合わせることもしばしばだ。だが、神出鬼没にアジアを周回するK君とは行動パターンが異なっている。
ましてや、その1ヶ月後に西へ行くルートから外れ、バンコクから北上するチェンマイの、しかも日本人の常宿ではない場所で再会するとは、何か偶然では片付けられない大きな力が働いていると感じる。
「カイラスの壁に触れてきた」というこの男は辺境の地もものともせず、アジアを歩き回っているようだった。そんな男とこんな場所で再会したものだから、お互い大いに盛り上がった。
その晩は、近所のスーパーでシンハービールやウィスキーの「メコン」を買い込み、ささやかな宴会を行った。もちろん、キッティが作った料理を肴にしてだが。
しかし、心配なのはキッティ家の家計だ。僅か数日のうちに日本人がわんさと増えたことで食費は飛躍的に増えた。
しかも、K君をはじめとした彼らもわたしと同様、宿泊代は一切支払っていないようだった。
そこで、K君の提案で、晩ご飯の酒代は我々が持つことにした。だが、これがバカにならなかった。1本25バーツほどのシンハービールを10本、そして1本50バーツの「メコン」のボトルを2本買うと一人当たり80バーツの出費となった。
これは、わたしには痛かった。
キッティには悪いが、出来るだけ、出費を減らすために、彼のところへ来たのだ。1日80バーツがかかるとなれば、普通の宿と変わらなくなる。
少しずつ、わたしはチェンマイの生活が窮屈になりはじめていた。
ある日、母屋のベランダで日本人同士語らっていると、キッティが外出する支度をしている。
「どこへ行くんだい?」
とわたしが聞くと、「ライブさ」と素っ気無く返ってきた。
「ライブ?」
と皆が声を合わせて尋ねると、キッティは支度の手を止めないまま「レストランで演奏するんだ」と言った。
カラバオのバンドを務めているというキッティのことだ。どんなプレイをするのか、気になり、わたしは冗談半分で「行ってもいいか?」と聞くと、彼はあっさりと「OK」と言う。
皆で大挙してチェンマイ市街にあるというそのレストランに行くことになったのだ。
レストランに着いてみて驚いた。
瀟洒なお店だったからだ。
店頭には噴水があり、蝶ネクタイをしたウェイターがかしこまって出迎えてくれる。
もっと雑然とした店を想像していたので、わたしは少し慌ててしまった。
店内の中央には演奏が出来る小さなステージがあり、キッティはそこでギターの弾き語りをした。
キッティの唄うカラバオの曲は朴訥としたフォークカントリー風で土臭い土着の旋律のように聞こえた。
歌詞はタイ語で全く分からないのだが、何か祈りにも似た響きがひしひと伝わってくる。
それに気分が高揚してしまったのか。
わたしも急に唄いたくなった。
そこで、キッティにお願いすると、1曲だけならいいということになり、わたしもギターで弾き語りをさせてもらった。
「ポム チュー ションマオ カッ。コン イープン」
とタイ語で挨拶すると、まばらだが拍手が聞こえてきた。
唄ったのは、わたしが青臭い頃によく聞いた日本の8ビートの曲。
演奏していると不思議な気分に捉われた。
何故、わたしは今ここで唄っているのか。
そして、これを誰に向けて唄っているのか。
日本を飛び出すきっかけとなった女に対してか。
それとも、自分に向けてなのか。
日本を出て長い時間が経ったような気がする。
わたしは、唄い終わると、英語でこんなことを言った。
「ボクは勝たなきゃいけない。そして、君もね」。
ちょっと、センチメンタルになってしまったようだ。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
結局、タイ編だけでももう1年以上も書いているよ。
次回、チェンマイ編は最終回。
どんな結末になるか。
ところで、師のインド編がなかなか再開しないゾ。どうしたんだ師よ。