10年前の今頃、わたしは中国の福建省あたりをうろうろしていた。
どの辺にいたのか、定かではないが、多分福州あたりにいたと思う。
11月26日、わたしは神戸の港から「鑑真号」という船に乗り、上海に渡った。
それから、10年。
その節目にあたり、しばし、その時間を思い返してみたいと思う。
約1日の航海。
上海には翌27日早朝に着いた。
上海の街は凍えるように寒く、わたしはその日のうちに熱を出し、浦江飯店のドミトリーで2日間程寝込んだ。
とにかく、わたしはひたすら暖かいところにすぐさま行きたかったのである。
上海を出たのは4日後のことだった。
北に行くつもりは毛頭なかった。
とにかく南へ。
香港に行けばなんとかなる。
何が何とかなるのかよく分からなかったが、香港がひとつの目標の地であった。
香港に行き着くまでわたしは約1ヵ月の時間を費やした。
中国はとても楽しい時間だったからである。
例えば、食事。とにかく、食べ物はものすごくおいしかった。例えば、言葉。
わたしは、浦江飯店の土産物屋で中日辞典を買って、言葉を覚えることに努めた。
中国は漢字の読みがひとつしかなく、その漢字を覚えては、使ってみる。
例えば、店で。
或いは旅社で。
通じれば、どんどん言葉を覚えた。いや、言葉を覚えなければ、何かを買うのにも苦労したから、楽しんだというよりは必要に迫られたというほうが正しいかもしれない。
ともあれ、福建省のアモイに着く頃には、食堂で一通りの食べ物の注文ができるようになっていた。
アモイは暖かい町だった。
南風が吹き、わたしはそれまで着ていたフリース素材の服を脱いで、初めて軽装になった。食べ物も言葉も変わった。
中国の南側に来たんだな、とそのとき思った。
アモイで5日間を過ごし、いよいよ香港に行くことになった。
船の一番安い席、船倉のチケットを買って、香港を目指した。
船倉の寝床は粗末なところだった。波が砕ける音が鉄板を通して、すぐそこに聞こえ、とにかく、寒かった。
ほぼ24時間の船旅を終え、ようやく香港に着いたのは、確か12月21日のお昼頃のことだったと思う。
香港は大都会だった。
背の高いビルディング。クルマがひっきりなしに走っている。
ビルの壁から生えたような看板があちらこちらに。
そんな、大通りを越えて、やや庶民めいた通りを目指しながら、わたしと途中から道連れに行動していたM浦さんと、安宿のLゲストハウスを目指した。
Lゲストハウスはゴミゴミした上海街の一角、魚屋となんだか分からないお店の間の通路を通り、階段を昇った2階にあった。
ベッドは15床くらいあっただろうか。
常に、日本人でいっぱいのそのゲストハウスに、なんと幸運なことか2人分のベッドが空いていて、なんとか腰を落ち着けることができた。
わたしのベッドは2段ベッドの上段。
すえたにおいのするベッドに居場所を確保して、宿のシャワーを浴びたり、中国では手に入らなかったラッキーストライクを吸ったりして、リラックスしていると、目つきの悪いやつが部屋に入ってきた。わたしのベッドの下に荷物を置いたところをみると、どうやらベッド下段の奴のようだ。
ベッドの上下段のよしみとて挨拶しようと思ったら、いきなり睨まれた。
なんだか、とっつきづらい奴だ。
まぁ、アジアを旅する奴は少し、変わった奴が多いとそのまま黙って奴の行動を見ていると、本棚に手をのばし、「沈黙の艦隊」をベッドに寝転んで読みはじめた。
それが、わたしと師の初めての出会いだったのである。
次回へ続く
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん氏と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
どの辺にいたのか、定かではないが、多分福州あたりにいたと思う。
11月26日、わたしは神戸の港から「鑑真号」という船に乗り、上海に渡った。
それから、10年。
その節目にあたり、しばし、その時間を思い返してみたいと思う。
約1日の航海。
上海には翌27日早朝に着いた。
上海の街は凍えるように寒く、わたしはその日のうちに熱を出し、浦江飯店のドミトリーで2日間程寝込んだ。
とにかく、わたしはひたすら暖かいところにすぐさま行きたかったのである。
上海を出たのは4日後のことだった。
北に行くつもりは毛頭なかった。
とにかく南へ。
香港に行けばなんとかなる。
何が何とかなるのかよく分からなかったが、香港がひとつの目標の地であった。
香港に行き着くまでわたしは約1ヵ月の時間を費やした。
中国はとても楽しい時間だったからである。
例えば、食事。とにかく、食べ物はものすごくおいしかった。例えば、言葉。
わたしは、浦江飯店の土産物屋で中日辞典を買って、言葉を覚えることに努めた。
中国は漢字の読みがひとつしかなく、その漢字を覚えては、使ってみる。
例えば、店で。
或いは旅社で。
通じれば、どんどん言葉を覚えた。いや、言葉を覚えなければ、何かを買うのにも苦労したから、楽しんだというよりは必要に迫られたというほうが正しいかもしれない。
ともあれ、福建省のアモイに着く頃には、食堂で一通りの食べ物の注文ができるようになっていた。
アモイは暖かい町だった。
南風が吹き、わたしはそれまで着ていたフリース素材の服を脱いで、初めて軽装になった。食べ物も言葉も変わった。
中国の南側に来たんだな、とそのとき思った。
アモイで5日間を過ごし、いよいよ香港に行くことになった。
船の一番安い席、船倉のチケットを買って、香港を目指した。
船倉の寝床は粗末なところだった。波が砕ける音が鉄板を通して、すぐそこに聞こえ、とにかく、寒かった。
ほぼ24時間の船旅を終え、ようやく香港に着いたのは、確か12月21日のお昼頃のことだったと思う。
香港は大都会だった。
背の高いビルディング。クルマがひっきりなしに走っている。
ビルの壁から生えたような看板があちらこちらに。
そんな、大通りを越えて、やや庶民めいた通りを目指しながら、わたしと途中から道連れに行動していたM浦さんと、安宿のLゲストハウスを目指した。
Lゲストハウスはゴミゴミした上海街の一角、魚屋となんだか分からないお店の間の通路を通り、階段を昇った2階にあった。
ベッドは15床くらいあっただろうか。
常に、日本人でいっぱいのそのゲストハウスに、なんと幸運なことか2人分のベッドが空いていて、なんとか腰を落ち着けることができた。
わたしのベッドは2段ベッドの上段。
すえたにおいのするベッドに居場所を確保して、宿のシャワーを浴びたり、中国では手に入らなかったラッキーストライクを吸ったりして、リラックスしていると、目つきの悪いやつが部屋に入ってきた。わたしのベッドの下に荷物を置いたところをみると、どうやらベッド下段の奴のようだ。
ベッドの上下段のよしみとて挨拶しようと思ったら、いきなり睨まれた。
なんだか、とっつきづらい奴だ。
まぁ、アジアを旅する奴は少し、変わった奴が多いとそのまま黙って奴の行動を見ていると、本棚に手をのばし、「沈黙の艦隊」をベッドに寝転んで読みはじめた。
それが、わたしと師の初めての出会いだったのである。
次回へ続く
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん氏と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
本当は中国、最初大嫌いだったけど
だんだんと好きになり、
今、北京に住んでいます、中国人の夫と。
ブログ開設しました。
お時間があればアクセスしてみてください。
http://blog.goo.ne.jp/apr-chinese
うちの方は既に、香港・上海・万里の長城などの検索ワードで、来てくれてる人がいるよ。残念ながらまだ、「深夜特急」ファンは来てくれてないよ。(笑)
そう言えば確かに俺ら2段ベッドの上下だったなあ。しかし、その辺については俺の中では既に記憶が消失している訳で・・・。
ところで次回はどこのネタにすんの?
何で、中国が嫌いだったのですか?
ウチの妻もダメみたいです。
わたしは大好きなのに。
次回の居酒屋ブログは中華料理の店ですj。
宣伝になりましたが、どうかよろしくです!
どうぞ、これからもよろしくお願い致します。
旅の模様を綴った私小説、インド偏は7~8年前に書いて3流の文学賞にて最終選考まで残りました。それで満足しちゃったのか、その後の旅を書かずに今日まできました。
この機会に真剣にまた書こうかなとふつふつと思っています。
シンビジュムさんのブログもなかなか面白いですね。
中国の話題で情報交換したいですね。
主人の上海出張のため、週末だけ上海に行ってきました。普段なら会いに行きませんが、16日は結婚記念日だったので少々奮発してしまいました。
なので、お返事遅れてしまいました。
今日からまた毎日更新しますので、またお時間のあるときに見てください。
北京~上海間は空路で移動ですか?
ブログ更新楽しみにしています。