インドの地図を指でなぞり、ふと気が付いた。そう、まだこの国の海を見ていなかったことに。海を見れば、気持ちは晴れるかもしれない。また新しいスタートが切れるかもしれない。そう思い、海を目指してみようと思った。
アフマダーバードの南には、カンバト湾という湾があった。その入江の町、カンバトまでは僅か100km。バスなら数時間で着いてしまう。しかし、湾の海を見たところで果たして気分は晴れるだろうか。もっと、ダイナミックな海が見たい。
更に地図の南を指でなぞるとボンベイという町があった。インド第二の都市である。今でこそ、ムンバイという呼び方が当たり前になっているが、当時はまだボンベイの方が通りが良かった。
ただ、アフマダーバードからボンベイまでは500km以上もの距離がある。インドは滞在から3週間ちょっとで1,000kmを走破してきたが、それを一足飛びに、いきなりその半分もの距離を行くのも何か勿体ないような気がした。だが、ボンベイには、アラビア海が広がっていた。
アラビア海か。
アラブ諸国までの道のりはまだまだ遠いが、東アジアから東南アジアを抜け、ようやく南アジアのインドにたどり着いた。そしてアラビアへ。そんな喜びを感じさせてくれる。
ボンベイに行ってみようかな。
一度そう思うと、いてもたってもいられなくなった。泊まっている宿のフロントに行き、今夜の宿代はキャンセルできないかと直談判してみた。今夜にもボンベイに向け、出発しようと思ったのだ。すると、宿のマスターは「全額は無理だが10ルピーなら返す」と言ってきた。意外にすんなりと話しが通り、わたしは拍子抜けした。10ルピーでも有り難い。早速、出発の準備を整え宿を出た。目指すはアフマダーバードの駅である。時刻は既に21時近くなり、都合よくボンベイ行きの列車があるかどうかは分からない。だが、わたしにはなんとかなるという楽観的な思いしかなかった。
このインドを快適に旅をするには、気持ちをリラックスするしか方法はない。いつも構えてばかりではただただ疲れるだけだ。実際、インドではあらゆる困難が降りかかるが、常にその都度、なんとかなったのだ。
アフマダーバードの駅舎に入り、切符売り場に行くと、お客はわたしの他、誰の姿もなく、がらんとしていた。列に並ぶことなく窓口に立ち、受付の男に尋ねた。
「ボンベイ行きの列車はあるかい?」
彼はわたしの顔を見ず、「約1時間後にある」と簡潔に答えた。
やはり、なんとかなるのである。いや、よしんばなんとかならなくても、駅のリタイヤリングルームで夜を過ごせばいいのだ。
「ボンベイまで一枚くれないか」と言うと、彼は一言も発することなく、レシート状の切符をわたしに放り投げた。
駅の構内に入る前に腹ごしらえをし、22時15分の列車をホームで待っていると、案の定列車は来ない。駅のホームはほとんど人の姿もなく、ただただ寂しいだけだった、南からの風は暖かく、わたしはタバコを吸いながら、気ままに列車が到着するのを気待った。ボンベイまではおよそ9時間の道のり。車内が混雑していたら難儀な旅になるだろう。いや、そういうことはもう考えないようにしよう。なんとかなるのだ。
結局、列車がホームに入線してきたのは23時30分を過ぎた頃だった。定刻から1時間余り。重厚な列車がゆっくりと滑り込む。この広いインドでは列車の遅延なんてたいしたことではない。このインドではそもそも定刻なんてものはないんだから。
列車に乗り込んで驚いた。客はほとんど乗っていなかったからである。いつも激混みの悪評高き、インドの列車。
なんとかなるという思いを胸にわたしはシートに腰掛けた。
でも、師もこの記事で書いてるように、昼よりも人が少なかったりして意外に問題なかったりするよね。
まあ、考えれば日本であっても、そりゃ深夜に、長距離移動以外で好き好んで列車に乗る人などいない訳で、インドでも、日中の屋根に乗るような列車の込み方って、あれは通勤ラッシュとかなんだろうね。
さて、インドの海辺の街、どんなとこなのか楽しみだな。
どういう訳か、列車はガラガラだった。激混みも嫌だけど、人がいないのも不安だったよ。
夜の列車も飛行機も不安だよ。あの陽朔に移動した夜中のバスも不安だった。もし、あの時師と一緒じゃなかったら野宿してたかも。
思い出に残っているのって大体夜中だね。生きているから思い出に残っているというのもあるし。
とにかくインドでは何が起きるか全く分からないからね。