上野の「うさぎや」のどら焼きが、わたしの最高峰である。
細かい気泡の生地、その食感はまさに異次元。生地だけで驚かすことの出来る数少ないどら焼き。どうやったら、こんな滑らかなものになるのか、これが不思議でならない。
まさにダントツ。200円の夢心地。
一方、ボクはどら焼きのカテゴリーに分類していないけれど、草月の「黒松」も抜群に好きだ。両者とも、わたしの生活圏にある自慢すべきスイーツである。
ご承知の通り、ボクは秋葉原のカレー巡りをしている。竹隆庵岡埜の「カリーどら焼」の存在もかつてから知っていた。今般、そのカリーどら焼きを食べてみることにした。
怖いもの見たさ。それは天使か悪魔か。
いろんな形容ができるそのおぞましさは、市原悦子風に言えば「あら、やだ」(「家政婦は見た」)だ。
それでは、一体何が「カリーどら焼」なのか。
生地なのか。それとも餡なのか。あれこれと想像を試みてみるが、結論には達しない。
我々は「カレーパン」というものの存在はとっくに承知している。カレーパンは少なくともゲテモノとして認識はしていない。だが、どら焼きならば違うのか。
その問いかけから始めたい。
メイド姿の「カリーちゃん」がパッケージに納まった「カリーどら焼」。
さすが、アキバ。アキバ名物のカレーとメイドを組み合わせた苦心の労作。
だが、昭和通りはアキバのメインストリートではない。そこを敢えてアキバで売っているのはちょっと痛い。いや無理がある。
はっきり言おう。最寄りの駅は秋葉原だが、ここはアキバではないのだ。
いよいよ、パッケージを開けてみる。
でてきた、掌サイズのどら焼き。「うさぎや」と比べれば、やや小さい。外観は普通のどら焼きである。
恐る恐る、食べてみた。
ふんわりとした生地の味がする。「うさぎや」と比べて、気泡が粗い。しっとり感もない。
190円。
「うさぎや」のそれとは、僅か10円差。だけど、その差は雲泥だ。
生地は一般的なそれ。ということは、餡がカレーということか。
さらに食べ進めてみると、たどり着いたカレーの餡。
水分が少ないカレーが塊となって、わたしの口の前に立ちはだかる。
「これか?」
あんこではなく、褐色の餡は、異様だ。恐る恐るかぶりついてみる。
どら焼きとカレーの邂逅。ありえない味。
ボクはコーヒーを飲みながら、これを食べた。
これは、お菓子か、それともご飯か。いや、そのどちらでもない。
確かにカレーの味がする。まやかしではない。そうこうするうち、ぱりぱりとした食感が口の中に広がった。
福神漬けである(上写真の赤い部部がそれ)。
すごい、このリアル感。だが、この超現実感がかえって、このどら焼きを気味の悪いものにしている。
そして、もう一度自問自答する、これはお菓子なのか、それともご飯なのか。
とてもとても、コーヒーと一緒には飲めない。そのうえ、昼食としては物足りない。
なんとも、中途半端な食べ物。
遊び心は分かる。でも、福神漬けなどを入れた結果、これはもはや笑えない現実となっている。
サタジット・レイの映画がそうであるように、リアリズムを追求すればするほど、それはもはや娯楽ではなくなるのだ。
5個ほど買って、あとの4個は会社の人や家人にあげたけれど、パッケージで笑いはとれたが、彼らは食べるとその笑顔は一瞬にして消えた。
超現実的などら焼きにボクらはただただ言葉を失った。
こんなことしたら、リピーターが来るはずないのにね。
リピートは難しいね。
じゃ、どうすればいいかといえば、どら焼きの原点である、お茶菓子としての商品づくりが必要なんじゃないかと思うよ。
お茶菓子でもなく、ごはんでもない立ち位置。そのうえ、200円という価格に魅力はない。