太刀洗 🍙食べ甘鉄に乗る

2024-12-30 12:30:24 | 秋月城 ₂₀₂₄ +甘鉄 🆕









撮影OKな 3機の 3機目








震電を見た後なんで


シーラカンスに思える







九七式







2597年式








昭和12年







九七式


唯一の 現存機







博多湾から 引き揚げられた

あえて 塗装は されなかった


そこが 異様で パッと見 九七式と 気づかないほど









記念館 2F 見学路から






九七式 というと

海軍の 艦上攻撃機を思い出すが
こちらは 陸軍の 戦闘機

中国大陸方面に飛び立った機体


この後 陸軍の名機 一式 「隼」となる
2601年 ね
私的には 三式「飛燕」が一番好きです
2603年 ね




同じく 2F から







ここに 「隼」が あればな~






こう見ると
やはり デルタ翼にすると 良かったのではないだろうか

主翼の付け根は 操縦席の前から 翼端は日の丸まで
そうすれば 抵抗も少なくなって
拘ったスピードも さらに上がったと思う
そうなれば 護衛のP51よりも 速かったかもしれない

操縦性は難しくなるだろうが
ドッグファイトは要求してなかったわけだから
B29に 撃ち尽くして 戻ってきて
慎重に着陸…これが 難関かも知れないが








垂直翼 もっと大きくてたら

F15みたいに なってたぞ






30㎜ 機関砲 4挺
弾は 60 x 4 発






ここだけみたら 現代機だよね






この 窓 すごいね
効果満点
こういう展示場は 他に無いんじゃないのかな







最後に 震電の コックピット







このあと 新設展示場に行った

何面もある壁と パネルに 

びっしりと 書かれていたのは

特攻隊員の 名前 出身地 年齢…

これだけ 多くの 若者が 散って行ったのか

自分が この年齢の時に

何を考え 何をしていたか

子供を 何人も 国に取られ

多くの親が 悲しい思いをしてきた

なのに まだまだ 戦争は 絶えない

そんなことを思っていたら…


水分を摂っていなかったせいもあり
気分が悪くなり 吐き気がしてきた 
幸い 休憩所に自販機もあり
座って水分を摂りながら 回復を待った
その間も 北の悪党二人の顔が出てきて
気分悪くなる
どうにかならないものかね~



なんとか 回復したので
ちょっと 短かったが 駅に向かった






甘鉄 太刀洗駅


基山行が来るまでに 🍙 食べた

爺さん 婆さんの🍙🍙 持~参

すこぶる 元気になった





          ⇧          ⇧
          甘木鉄道      JR鹿児島本線

基山で乗り換え

もう一つ 右側の 鹿児島本線の ホームへ







博多行 快速

電車が 長いのには 毎回 驚く 田舎モン







さあ 
ここから ドンドンやってくる 西鉄バスに乗る

行先と乗り場が わからねぇ~よ~

飛び乗ったけど 行き着くかどうか


どうなりますか~

つづく


秋月 甘木鉄道 これにて 終わりです



太刀洗 平和記念館

2024-12-30 03:30:30 | 秋月城 ₂₀₂₄ +甘鉄 🆕








撮影OKな 3機のうちの 2機目


このシルエット







ご存じ







零式 三二型


唯一の 現存機







エンジンも 残っているようだ






どんな状態か 見てみたいな~

部品が揃ってたら すごいことだ






防錆のために塗装


きれいすぎ






現存機 って感じじゃない





機体下部は 酷かったのかな





この辺は 現存感 ありあり







80年前になるんやな~







パイロット

カッコいい





な~んて


ここで 何時間も 硬いシートに座って

トイレ ガマンしたりして

死ぬか生きるかの 戦闘までする









照準器は なんとか…

機関砲は 取り外されてますね





メーター類も 無いですね

マーシャル諸島で 発見されて 帰還

海水に浸かってた痕が ありあり







下から機体を見上げるよりも

こんなアングルの方が カッコいい







兵器を カッコいいと言うのも 不謹慎だが


日の丸







視界に入れて 飛んでたんだ

お国のために…









2機 こんな感じ で 展示

宇佐も そうだったが 見学用階段が うれしい






太刀洗 甘鉄途中下車

2024-12-29 11:18:31 | 秋月城 ₂₀₂₄ +甘鉄 🆕






あまぎ ⇒ たかた ⇒

2駅 5分ほどで 到着






構内踏切 渡って 駅舎に






駅舎の壁に 水車

2連水車ですね
この辺の水車は 米つき ではありません
水路から 田んぼに水を汲み上げるものです








駅舎の屋根に ジェット機

思わず

マグマ大使~!






練習機でしたね

子供の頃 なんとなく 記憶が…
マグマ大使 思い出しました
こんな感じじゃなかったですかね


駅舎の向かい へ 向かいます





               ⇧
当時モノ なんでしょうか?



以前から 来たかった…






やっと来たって感じ







お盆には 宇佐平和資料館 と 掩体壕 行きました





太刀洗町は 筑後になると思うのですが

記念館は 筑前町

飛行場は 太刀洗と なってますが
太刀洗と筑前にまたがる 広い陸軍飛行場だった
ってことですね






館 入り口脇
これは 初の純国産ヘリ
詳しく知りませんが
こういうのって 川崎重工でしょう

 

入館料600円

さて 館内

撮影可能なのは 展示の 3機 のみ

展示品 展示資料 映像は 撮影禁止です




まず 1機目




震電
実物大模型



子供の頃 少年漫画誌で 知ってはいたが
イラストでしか見たことが無かった





それまでに 見たことのない 機体形状






カッコいい っと 思う反面
不安定そう という第一印象
ただ
前部に 武装する それに尽きる



対 B29 ですね





エンジンとプロペラは後部に
それに伴い 主翼も 後方に


機体 一周して見てみます





プロペラ 6枚 

👈回転ですね






機首にあるのは 操縦席から見て 右回転
単純に 逆向きです

エンジンは 空冷星形18気筒
9気筒が2列







垂直尾翼が無い代わりに 主翼両側に 垂直翼









エンジン部分




プロペラが 後ろにある





離陸時 地面と接触しやすくなる




脚を 高くしなければならない




実物大模型でした




オ ス ナ


と、言われても…

押すとこ 無さそう








前に 周りましょ






エアインテーク
エンジン吸気用 と 冷却用
オイルクーラー用




こういう インテークを見ると 思い出すのが

境界層

空気が機体に貼り付いて 流速が遅くなる
機体から10㎝ほど隙間を設けた
インテークボックス形式になった
高速のジェット戦闘機になると必須
なのだが
ステルス機は 凸凹をなくすために
隙間が無い
そこで 裏技がある
インテーク機体側に ホニャララを 施してある

別に 秘密でも 何でもないが…

流体力学 おもしろいのです

ってことで この頃 日本は まだ 境界層
わかっていなかったみたいだ
P51ムスタング後期には 完全にわかっている









水平尾翼が無いが

機首に 水平翼がある










主翼はもちろん 揚力を発生させるものだが

水平翼は 下げ じゃなかったかな?
どちらも 揚力じゃなくて 相対させ
機体を安定させる って感じか?







車のハンドリングに例えると
ニュートラルだと アンダーになったりオーバーになったりする
オーバーだと オーバーと強オーバーになり 操作がシビアになる
そこで 強アンダーの方が まだ対応しやすいために
弱アンダーにプリセットし ハンドリングフィールを安定させる
アンダーは セッティングじゃなくて 走り方の問題

一般車でも そうなってます






無線用のアンテナポール

機首下部にあったんだ



長い前脚





十八試局地戦闘機 震電 実物大模型


結局 試作段階で 終戦



秋月城 眼鏡橋 甘鉄で🐸

2024-12-28 21:03:01 | 秋月城 ₂₀₂₄ +甘鉄 🆕








石橋を 叩いて 渡りました







架橋は 文化七年 1810


もともと ここには 木の橋が架かっていた
老朽するのと 洪水で 度々 流されていた






本家の代わりに 長崎警護に行った時に
眼鏡橋を 見てしまった 八代藩主
長崎の 石工を読んで 造った

崩壊を越え 完成したのは 九代藩主の時


長崎眼鏡橋は 寛永十一年 1634

もう この時期に できてたんだ
来年 ペチペチしに行ってみるか
今年 はりまや橋 行ったしね







上流に 行ってみました

せっかくなんで 川原に下りてみました





すごい 石

圧力 かかりまくってる





川に 足ツッコまないうちに 上がりましょ









アーチの石 1つに どれくらいの力が 加わっているのでしょう


1つでも ズレたり 割れたりしたら







九州北部も 時々大きな地震も ありますし


豪雨で 川底が掘れたり 流木がぶつかったり






スーツ着て お土産もって


橋の 端 渡ってます






ずーっと私の前歩いて 写真撮って
同じバスに 乗りました



こっちが 城下町側




きれいな 路面


ここ 寅さんも 渡ってましたね






川の流れも 山の川らしい



バス停近くの 説明板




⇧          .
眼鏡橋 切れてる…     .


これにて 秋月城下を 後にします
バスに乗って 甘木駅へ 行きます


甘木駅の
親切にしてもらった案内所の お土産品のなかに




秋月畳

18x18㎝

これ 探してたんですよ
こんなところで 出会うとは
迷わず買った
1100円





お茶がまた 楽しくなる





こんな感じで



お礼を言って お土産もって ホームへ




あまてつ~


来る時に 乗った色






これは 洗車機だ








これかな?





🐸で帰る





甘鉄マスコットの レビット君






向こうは 格納庫かな?

板張り






さあ 出発です

洗車機の所に停まってた車両






もう一両 ありました






秋月は これで 終わりです
けっこう 良い所でした
桜の季節にも 来て見たいです


さてと 基山に 戻る前に もう一か所 寄ります


次回に続く




秋月城 太閤腰掛と葛餅

2024-12-28 11:46:55 | 秋月城 ₂₀₂₄ +甘鉄 🆕




 🔻


↑ 城下町の入り口の方 キョロキョロ しながら

秋月街道 下りましょ


これは お店 おたな だったようで
1階の屋根の上に 看板の屋根が残ってます








こういう 2階窓… 気になる窓です





城下にしては まっすぐな 通りですが
宿場と違って 入り口に 見付、高札、
などは どうだったんでしょ
一里塚も 九州では見ませんね







ここは 私道 でしょうか





さっきの 大きな木まで 下りてきました



な~んもねぇ ばってん よらんの




あいちょるばい


な~んもねぇなら スルーする~



秋空に 白壁



なまこ壁 ではなくて 板張り




お!











この日は 同行人さん 不在
居れば 入らずにはいられない
お土産 買うのも
この後 行きたいところがあるし…






ここも 寅さんの ロケ地


ちょっとアップ





腰掛の石

九州征伐時
三日間滞在したそうです

ここにも 一夜城伝説が ありました


創業
文政二年 1819年
黒船来航前ですか









城下の 入り口が 見えてきましたよ…





白壁 蔵には 何があったんでしょう

米 塩 豆 味噌 茶 





和紙の看板





上りのバス
これが 引き返してくるのですね…


長屋門で頂いた お茶のお菓子の 懐紙
手すきの和紙は ここでしょう



この店を過ぎた 左手




水路に架かる 小さな 石橋

古い 水路が 辛うじて 残ってます






その先に





城下の 入り口に 架かる 石橋


車は 右手の方に 新しい道、橋があります

下りのバス停は ここです
バスが 戻って来るまでに
石橋 見ましょう







渡る前に アーチを 見ましょう







橋の 下流側へ







きっちりと 石が組まれてますね

それが 石橋の 肝心なとこですが





どこの石橋も すごいもんです

石の自重で 崩れない






木枠を外す時の 気持ちが 

想像するだけで ドキドキ


どうも 完成間近に 崩れてるらしい…






橋の下には 降りられない

潜って 下から 見上げてみたかった

でも 石垣の下は けっこう 怖くもある






巧みに 細工が 施されてます





石垣の  切り込み接ぎ ですね


一時は 車を通すために コンクリ舗装したんだとか
新しい道ができると 原状回復
ヨカッタヨカッタ








川底も これ 石、敷いたのでしょね







めんどくさいから 3面 コンクリにしがちですが

こういうの 貫いてほしいです






斫り 処理でしょうか
当時は ここまでしか できなかったのでしょうか

欄干は 長い方に 湾曲してるんですよね
柱との組み合わせは 凸凹でやってるんでしょうかね









眼鏡橋から 見下ろす野鳥川