撮影OKな 3機の 3機目
震電を見た後なんで
シーラカンスに思える
九七式
2597年式
昭和12年
九七式
唯一の 現存機
博多湾から 引き揚げられた
あえて 塗装は されなかった
そこが 異様で パッと見 九七式と 気づかないほど
記念館 2F 見学路から
九七式 というと
海軍の 艦上攻撃機を思い出すが
こちらは 陸軍の 戦闘機
中国大陸方面に飛び立った機体
この後 陸軍の名機 一式 「隼」となる
2601年 ね
私的には 三式「飛燕」が一番好きです
2603年 ね
同じく 2F から
ここに 「隼」が あればな~
こう見ると
やはり デルタ翼にすると 良かったのではないだろうか
主翼の付け根は 操縦席の前から 翼端は日の丸まで
そうすれば 抵抗も少なくなって
拘ったスピードも さらに上がったと思う
そうなれば 護衛のP51よりも 速かったかもしれない
操縦性は難しくなるだろうが
ドッグファイトは要求してなかったわけだから
B29に 撃ち尽くして 戻ってきて
慎重に着陸…これが 難関かも知れないが
垂直翼 もっと大きくてたら
F15みたいに なってたぞ
30㎜ 機関砲 4挺
弾は 60 x 4 発
ここだけみたら 現代機だよね
この 窓 すごいね
効果満点
こういう展示場は 他に無いんじゃないのかな
最後に 震電の コックピット
このあと 新設展示場に行った
何面もある壁と パネルに
びっしりと 書かれていたのは
特攻隊員の 名前 出身地 年齢…
これだけ 多くの 若者が 散って行ったのか
自分が この年齢の時に
何を考え 何をしていたか
子供を 何人も 国に取られ
多くの親が 悲しい思いをしてきた
なのに まだまだ 戦争は 絶えない
そんなことを思っていたら…
水分を摂っていなかったせいもあり
気分が悪くなり 吐き気がしてきた
幸い 休憩所に自販機もあり
座って水分を摂りながら 回復を待った
その間も 北の悪党二人の顔が出てきて
気分悪くなる
どうにかならないものかね~
なんとか 回復したので
ちょっと 短かったが 駅に向かった
甘鉄 太刀洗駅
基山行が来るまでに 🍙 食べた
爺さん 婆さんの🍙🍙 持~参
すこぶる 元気になった
⇧ ⇧
甘木鉄道 JR鹿児島本線
基山で乗り換え
もう一つ 右側の 鹿児島本線の ホームへ
博多行 快速
電車が 長いのには 毎回 驚く 田舎モン
さあ
ここから ドンドンやってくる 西鉄バスに乗る
行先と乗り場が わからねぇ~よ~
飛び乗ったけど 行き着くかどうか
どうなりますか~
つづく
秋月 甘木鉄道 これにて 終わりです