春の城攻め ②-12 中津城 本丸 桜

2023-09-12 12:12:12 | 中津城






ちゃちゃちゃ~~ん

暴れん坊将軍の オープニング

思い出すような…

見てた時代劇は 鬼平犯科帳 と 剣客商売 でしたが





天守閣 と 桜

つきもの みたいになってますが
明治になって ぼちぼち あったでしょうか
主に 昭和になってから 
公園整備化されてからだと思います

 今年は 昭和98年

ついでに 平成35年


明治156年になりますから
その頃からの 桜の古木が どれだけ残ってるか






戦後 78年 ですか

あちこちの 城址公園の 桜
ほとんど 戦後復興で 植えられたものじゃないでしょうかね

弘前が古いと聞いたことがあります






でも そういうことよりも
お城と桜
お花見には サイコーです


 



ってことで

本丸石垣の上から お花見であります





中津城は 3度目になります
まだ 天守に入ったことがありません
この日も 上がりません






ま~ 桜も見ごろ

こうやって 眺めるのも

よいではないか

よい よい





中が腐っている 古木

それでも 春になると 花を咲かせます








これにて 中津城 2023春 終わりとします


次からは 丸亀城 佐伯城址 がんばります




春の城攻め ②-11 中津城本丸石垣₃

2023-09-12 07:26:59 | 中津城


出角





復元修復した 本丸石垣

濠の向こう側は 三の丸





三の丸から見た 本丸石垣出角




三の丸 歴史博物館前から見た

本丸石垣と模擬天守




天守台の見える 濠のこっちは 二の丸




本丸石垣より見た 濠


明治に造られた道
👇



ここで 大失態に気づく

本丸石垣は まっすぐではなく
中央部分が 内側にカーブして
石垣の傾斜も 緩やかになって
石垣を 崩れにくくしている

輪どり

アーチダム 的な工法 と考えればいいのかな

その 写真がない






桜の枝は 光を求めて伸びる

故に 水面の反射する方へ伸びた枝

お決まりの様





水面  石垣  桜



ときたら





まんじゅう!


4日前に 丸亀城を攻めた時の 戦利品

琴平名物 名代の灸まん

丸亀城といえば 現存天守
模擬天守の 中津城が 霞んでしまったわい






春の城攻め ②-10 中津城本丸石垣₂

2023-09-11 11:11:11 | 中津城








川側の 角(すみ)

算木積み になって ますが


三層櫓の土台
鉄門側の角






ある程度 加工してあるのでしょうか

整ってる と言えば 整ってますが
角が丸いです
でも 自然石のままでも なさそうです

資料では 訳アリの 石のようです



土手 遊歩道 で 埋もれた部分
どれだけあるんでしょう
対岸から見ると アンバランスな 石垣の高さ
もっとアンバランスな 模擬天守の大きさ
仕方ないです…



川側から 本丸 城内側 入りました
どっから入ったか 覚えていない…

そんなに簡単に入れたら ダメじゃん






これって どう見ればいいのかわからない

保存補修の積み方なのか
古くても 細川時代だろうと思うが



こちらは 一見 不揃いのようでもあるが
野面積み から 布積みに進化する
途上中?






細川時代 基本は自然石だったらしい
戦国の世は過ぎている
戦の石垣では ないようにも
見えなくはないと 思うが…

天盤辺りを見ると 補修したのか…








をを~~!


合坂では ござらぬかっ!!


向こうに見えるは 歴史博物館 石垣パフェ 食べたところです


石段が 400年物 っぽい

ん?

左側は 石段になっていない?

上から見ると





いい 石段だ!

天盤は モルタルで補修されてる





ここ 補修されてるね

角石に 不自然な石が混ざってる







石垣と みごとな桜

ではあるが
そもそも 桜も 往時にはなかった


きっと こっちも 石段であったに ちがいない


同じ豊後 臼杵城にも 府内城にも
合坂が現存してある




春の城攻め ②-09 中津城本丸石垣₁

2023-09-10 14:08:07 | 中津城


なかなか 進まない 春に攻めた 中津城
ちょっと涼しくなってきたのでガンバロー

って どこまで やってたっけか…



   

    



かっこいい 模擬天守

ぐるっとまわってきました

      👇



細川時代       黒田時代


👈 天守                    
本丸 北側 なんですが
今ある 模擬天守は 細川時代の石垣






ってことは 黒田時代には 現在の位置にある天守
どころか 天守台も なかったということになりますね


石垣に見せかけた新しい堤防を越えて
河川敷の方に 降りてみます






往時は 河川敷だったはずですから
今見えてるよりも もうちょっと
埋もれてるんだと思います





防御面からして 高さが低いです
舗装された遊歩道から 川の水面までは
2mは あると思うのですが
最近は 豪雨氾濫の多い 中津 山國川
支流 中津川は どうなんでしょう
遊歩道は冠水し もっと水位が上がのだと思う






なにやら 不思議な 石垣


                👆

右側に 三層櫓があったとされる
その櫓台の脇に 鉄門が あった
石垣の上は 多門櫓だったと思う

いつごろ塞がれてしまったのだろう
鉄門も櫓と共に 競売になったのか

じーっと 目を凝らしてみてると

鉄門跡が わかる




河川公園の桜
ソメイヨシノではない
ピンクだし 葉も出てる






こっちは 白いが 花弁が 大きい





季節外れの 桜




春の城攻め ②-8 中津城天守 ₃

2023-07-21 07:21:23 | 中津城



黒田官兵衛 豊前への入国 
中津城造営開始12年ほどで 関ケ原
関ケ原の活躍で 筑前へ転封

ま~ ここが いろいろ思う所であります

豊前へは 九州制圧した秀吉の命
問題は それまで 400年収めてきた
宇都宮家 は 今治に移封
これを 宇都宮鎮房 が 拒否
黒田官兵衛が嫡男 長政と内戦となる
死闘の末 鎮房 の娘 鶴姫と長政の婚姻
ということで和睦
とみせかけて
中津城で 婚礼酒宴の席で 鎮房 謀殺
鶴姫は 長政に 山国川で 磔 殺害
鎮房 嫡男 朝房 は 官兵衛が殺害
同行した 家来は 合元寺で 討死
所領安堵と引き換えになった 鶴姫は十三
たしか 助命を拒んだのではなかったかな

という 謀 が付いてまわる 中津城
その後 十年
関ケ原では 家康方についた 長政

関ケ原以後 細川家が 入国
それから 十五年後 豊臣家滅亡

いろいろ あるのだが…






復興天守は
下見板張り 黒天守
もろ 豊臣の城

とても かっこよく 模擬されている
お手本は 萩城だとか
黒田時代の資料が残ってない






この位置には 二重櫓しかなかったようだ
本丸中央から見ると 北東の位置にあり
鬼門 となる
それもあって 濠 石垣が 角 すみ がないのかも


それを 知っていても
ここに 400年 鎮座してたかのような 佇まい





左の 二層櫓も 復興
このくらいのが あったのかと思う

戦後 復興に 尽力したのは
四代藩主だった 奥平家一族
よくぞ ここまで

もともと あったものでもないのに…




東側から












逆光と黒天守 ということもあり





400年ものの土台に 60年物の天守

最初に造営を始めた 黒田官兵衛
天守はもちろんのこと
十余年しか いなかったのに

黒田官兵衛 の 城と

勘違いしてる人も 少なくないかもしれない