暘谷城 寄り道 黄昏 🎉

2024-12-22 10:05:54 | 日出暘谷城









天守台 海側

西日が 反射してます


豊の海
四股名みたい







往時は 警戒するために 木は無かったでしょう

海全体が見え 府内城 中間の 高崎山城が見え

狼煙が 上がったりしてたんでしょう

そのための 望海楼 なんですが


政宗 利長 忠勝 三氏は見ることができません



仕方ないので 天守台前で 銀杏でも拾い…






利長殿は…  拾えぬの~~  はっはっは







時刻は 16:58






西日が 黄昏色に なってきました


ぼちぼち 駅に戻りましょう







天守台 東面 空堀越し

行は 天守台の下 武者走りを 通りました








空堀越し  日出中学校側から 時鐘





本丸石垣は 西日の影

イチョウの 木に 西日が射して いいタイミング









奥に 鉄筋コンクリートの小学校の校舎

日出小学校の正門は なんと 日出城大手門土橋を渡るんです
グラウンドは本丸御殿跡
プールは 堀跡

これでは 史跡指定は ちょっとムリですね








堀沿いの坂道上がります

校舎が 外れてきました

西日が当たってますね








こちら側に 橦木

これが 字が  撞木 鐘木  とあるんです

種目 じゃなことは わかります








ゆ~やけこやけで 日が暮れて…

お寺の鐘が鳴る~






ゴ~~~ン

と聞こえてきそうですが

お寺ではないので 鳴りません







シルエット カンパネラ



二の丸館の 脇道を通り… 現在の日出役場前通りへ
通りは 堀で 外大手門がありました
ここに 時鐘が あったんじゃなかったかな?
位置は 確認できません

現在の 横断歩道を渡って 役場前






🅿の紅葉
すごい 深紅だったので 思わず撮った



近道を抜け 駅に向かう




これ モミジ

こういうのも 珍しいので 思わず撮った


これにて 秋の日出暘谷城 終わりです





暘谷城 寄り道 石段 🎉

2024-12-21 12:21:24 | 日出暘谷城







これに 乗った わけではない

博多ー由布院
インバウンドで満員
博多駅で見たが 驚いた

ここでは 誰も乗らずに 出発した



さて もうひとつ 用事があり
12月6日 同日 府内城の 対岸に 向かった


用事を済ませ 帰ろうとしたら
電車 1時間待ち 仕方ない 歩く






若宮八幡宮

こういう 経緯の 八幡様


ここより 引用

日出若宮八幡神社は、千年以上の歴史をもつ日出町でも由緒ある神社です。
天徳3年(959)、八津島宮より2親を勧請して建立されました。
建久7年(1196)、豊後大友氏の始祖・大友能直(よしなお)が、豊後国7社の1社として崇敬し、
新たに社殿を築造し社領を寄進しました。
 しかし、大友氏が亡んだ後の文禄3年(1594)、
豊臣家の直轄地となった日出の代官として毛利兵橘(ひょうきつ)が入ると、
激しい性格をもったキリシタンであった彼は、
社殿をことごとく破壊し御神体を海に捨て、境内に館を建てました。
御神体は村民たちにより秘かに引き上げられ、安全な場所を転々とし祀られたそうです。
 日出藩初代藩主・木下延俊が入国すると、
慶長7年(1602)、破壊された神社を再建し、御神体を迎えて盛大な例祭を行い、復興を遂げました。
神社はその後も代々藩主の崇敬を受けました。
 
 神殿正面には重厚な趣の楼門がそびえています。
この楼門は、元禄16年(1703)三代藩主・木下俊長によって建立寄進されました。
 楼門には、矢大臣・左大臣の控えの間や花鳥の彫刻を配し、
重厚さの中にも華やかさが見受けられます。
この楼門は町有形文化財に指定されています。
 
 境内には、時の日出藩主が奉納した鳥居や石灯篭が残されています。
それらには奉納主の名が記されていますが、
いずれも「豊臣俊泰(9代藩主)」「豊臣俊敦(13代藩主)」など「豊臣」の姓が刻まれています。
これらは、「日出藩木下家は豊臣の一族である」
という思いが各代藩主に受け継がれていたことの表われです。
 ただし、初代藩主・木下延俊の奉納した鳥居には「木下右衛門太夫豊冨朝臣延俊」
とあり、「豊臣」ではなく「豊冨」が用いられています。
これは、豊臣家を滅ぼしてまだ日の浅い徳川幕府に憚ったものと考えられています。






豊後では 御神体 仏像 石仏など 多く壊された
キリスト教は 偶像崇拝禁止 ですからね







でも
聖母マリア の像がありまよね
十字架にイエスが居たりします


マリア像がある
十字架にイエスがいる
カトリック

なんですが
プロテスタントでは
マリア像も無いし 十字架だけなんですよね








ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も
一神教
ところが 日本は
八百万の神々

他の神を認めないことによる 破壊が起きる


あまりに簡単な説明ですが このくらいで…



日出暘谷城

イチョウを 見に行きましょ







時鐘
じしょう


場所は 移築されてますが

鐘は現存

元禄8(1695)年日出藩3代藩主木下俊長(としなが)の命により鋳造 

太平洋戦争の供出も 免れ…

隠したんでしょうね







現在、日出小学校児童が毎朝8時に鐘をつき、
時の知らせとともに元禄の鐘の音を響かせています。


その鐘の音は 聞いたことは ない



天守台



 
時鐘下の道

まだ こんくらい

気に残ってます



天守台前から 振り返ります




何回か来たのですが
来て見たら 魚の骨になってたり
真っ緑 だったり

今年は ま~ 良い感じ





天守台 海側



この先に 私の好きな 石段があります





奥の石段が 望海楼の石段


行ってみましょ







う~~~ん


ちょっと 早い






まだ 緑が多いから

黄色い落ち葉が 敷き詰まってませんね



望海楼          .
▽          .



楼門は埋門で 中で折れ曲がった石段

政宗 利長 通れません

忠勝殿 蜻蛉切り 置いて行かれよ ムリでござる

いや ヤリでござる




本丸入口




ここの 縄張り 考えたのは…
細川ガラシャの 旦那さん…
誰だったっけ?


石を積んだのは 穴太 長次郎 だったっけ…
長七郎 じゃなかっと思う

あのう 忘れました


上がりましょ




望海楼跡から 見下ろす

イチョウの木の向こうが天守台



望海楼 石段




ここから 振り返えると






望海楼から 本丸への石段

フェンスの向こうは 現在 日出小学校のグラウンド






これが 魚の骨になったら
石段周辺は 黄色くなるんですよね



まだ こんくらい





今年は 黄葉が遅れたので

一週間 早かったです






それでも 寄り道にしてよかったです

戻ります
もうちょっと つづきます





🍂 暘谷城 ちょっとジオラマ END

2023-11-14 22:11:49 | 日出暘谷城



                   月見櫓
                   ⇩

大手前


大手門
なんか 平城京の門みたいな
こんな色だったんだろうか?



天守

⇧           ⇧
南           東


そしてもう1つ わからなかったこと



天守 西側の 土台
本丸の上に あるのですが
天守台横の 斜めの坂

現地は

以前撮ったもの



画面中央の 右斜めに上がる坂

手前は 附け櫓との 石積み


これは 違う日 撮ったもの


天守台の上が見える



ジオラマを北から見ると



こういうことか!!


現地は


天守入口の石段



石段と 天守台下が 揃っている

(上)

石段の上は 坂になっていて
石畳になっていたようだ

ここを上がると
天守台の海側に行く



天守台の前が 一段低い
中央に石段がある


 👈 入口                      海 👉       

西側にも 一段低い部分があって
その西側に 坂がある


この一番上の 四角くなっているのが
天守土台 だとばかり 思っていた
そうではなく
坂も 天守内
海側の一段低い部分も 天守内
土間だったのだろうか

これで 石落としも 問題解決


鬼門櫓
                      大手門
              ⇩        ⇩


北東の角にあった



入隅は埋められてしまっている





石垣は 角をなくせなかったか?
積むの難しすぎる



⇧               
ここにプールが造られている              
           
入隅は新しい石垣で 角に延長されている


裏鬼門



がんこう

斜めってる  斜面か?


鬼門櫓                        
⇩                        

    ⇧
   
   この辺りが 裏鬼門 か?





この辺りも 高い石垣なのだが
木が大きく茂っていて
なかなか 見えない

雁行の下は 堀だったが 今は道路
海に出たところで 人柱の祠がある
今回は そこは 行かなかった


これで 日出暘谷城は 終わり

月末か 12月初めに イチョウを撮りに
ちょっとちょっと  行ってみようか…





🍂 暘谷城 ちょっとジオラマ

2023-11-14 09:17:01 | 日出暘谷城

ジオラマ って 何の略?

馬みたいな 首の長~い 愛嬌のある動物じゃない
それは わかってる

ジオラマはジオラマ
略されてないんだって…知らなかった 大きな字で書けない


暘谷城のジオラマが 駅ステーションビルの
中央公民館にあるというので
電車に乗る前に ちょっと 寄った

まずは イラスト

⇧                 

望海楼                 
桝形虎口石段                



これで 疑問も解決
なんで 早くここに来なかった!

望海楼 の 中で 石段は 右直角に折れて 本丸に上がる



望海楼入口


中で 折れている




ジオラマでは










うん?





ココよね



まず  ここに櫓がある

そして  門がある


縮尺が 合ってないような気がする
現地の石垣が埋まってるのかとも思ったが
石段の下と石垣の下が揃ってるので
埋まってはなさそうだ
石垣の高さは 背丈よりちょっと高いくらい
とすると
門扉は もっと 大きくないと
ジオラマのだと 跨げてしまわないか?



城内から見ると


           望海楼

            ⇧
            本丸入口

ここです








西側 上空から

                          🌊
                          🌊
                          🌊













これ 頭に入れて もう一度 行かなきゃならんわ

ちょっと~




🍂 暘谷城 ちょっとだけのはずが

2023-11-13 21:54:03 | 日出暘谷城

日出藩
藩校
致道館




まだ陽が高いので ちょっと 写真撮って…
門前で 構えてると
中から

「どーぞ どーぞ 上がって行ってください」

またまた 断り切れなくて
引っ張りこまれてしまいました
上がりこんでしまいました






ま~ね ここ 居心地 良いとこなんですよ

部屋の窓からは





昼寝がしたくなる 空気感
車の音も聞こえなくて静か
海からの微風が入ってくる


江戸時代の 小学校の教室

隣の部屋は 縁側がある





ちょっと 座らしてもらって 一休み
すると
この日の 案内係のお方が
どんどん 資料を持ってくる
あれこれ 話してると どんどん詳しい話になって
一休みどころではなくなってきた




県内唯一の 藩校
元々は 城の東側の二の丸にあったのだが
中学校を建てる時に 二ノ丸の西に移築
ま~ よくも壊さなかったものだわ
櫓じゃないから地味な建物なのに…

二ノ丸西側は 武家屋敷だった
海側は 畑だったそうだ
たが 今は文化財だから
畑にはできないし 庭にもできない
風の強い日は 埃っぽそうだ


二階へ上がってみる



同じく 勉強どころじゃない 良い眺め


子供たちが 寝泊りしてたそうだ
天井が 低い ちょっと 屋根裏っぽくて
子供心を くすぐる雰囲気
1階も 子供たちだから 天井が低かった





何があるのでしょう…



⇧          
右三つ巴          
左回転のように見えるが            

右は あまり見かけない

右回転のように見えるが
左三つ巴




鬼瓦 なんですが…


これ 何?

🌊🌊🌊
ということは… なんだろ?




日出藩 家紋入りの瓦の 型?


家紋は


抱き沢瀉
おもだか

足守藩は 沢瀉 だったかな
両側がなかったと思う



⇧       ⇧
生徒用  と  先生用

江戸時代の 本箱?



なんとか 玄関まで 降りてきて
腰掛ける
向かいも 武家屋敷





帰ろうとしたんですがね

学校の話になって…
昼間賑やかな学校…
夜も賑やかですよね~

なんて 私が言ったもんだから 盛り上がっちゃって

近くにある 人柱の話に…
公園整備中に 人柱が発見されて…
これが 普通の人柱ではなくて
棺桶に入ってて 上から蓋がされてて
兜などが 入っていたというんです
生贄 って感じじゃなくて
石垣工事中に事故で犠牲になった人夫さんたちの
責任を取る形で お偉いさんが自らなったんではないかと
という話やら

1601年からの突貫工事も進み 翌年ほとんど完成し
初代藩主延俊も城内に移った 夏頃

丑三つ時になると 妖怪が現れたそうな

鬼門櫓の前で 三日三晩 祈祷したという
また
鬼門の反対 裏鬼門 未申の方角のことやら
気が付けば



陽が 落ちかけている
イカンイカン
学校が 賑やかになるので 帰りまする

と やっとの思いで 鬼門櫓まで戻ると
夕日に照らされていた





さっさと帰るつもりだったし
昼間は暑く上着を持ってなく
陽が傾くと さすがに寒い




ま~ なんとも 長くなってしまった
私も しゃべりすぎたが
係りの人も よくしゃべってたわ