ツーリングカー

2007-01-16 12:54:57 | Q HONDA




HONDA ヒストリー








ツーリングカー・シリーズ!




S800 RSC 
 
S600(AS285) 
64’日本GP・GT-1クラス 
1-2-3フィニッシュ 
64'ニュルブルクリンク1000km 
1200以下で優勝 
S800(AS800)
67'ニュルブルクリンク500Km
生沢徹(日本人初参戦)
クラス優勝 
68'鈴鹿12時間レース
GT-Iクラス優勝/総合3位 
時計のようなエンジン
872.8cc
100PS 以上/ 10,500rpm
RSC は HRC の前身 



1300 COUPE


70年代前半に活躍
TS1クラス・常勝マシン 
ハンドリングの悪さを
パワーでカバー
富士ではパリダカ・レンジャーの
菅原義正もドライブ
ヨシムラ・チューンも有名
レース・スペック不明



CITY TURBOⅡ


84’シティ・ブルドック・レース開催
無限仕様140PS
チョロQ
AA型初代シティ
NA・67PS
T-Ⅰ・100PS(0.75)
T-Ⅱ・110PS(0.85)
(空冷インタークーラー付き)
スクランブル・ブースト
スロットル全開+4000rpm以上
10秒間だけブースト10%アップ
瞬間的に113PS
ホンダ.ホンダ.ホンダ.ホンダ♪

↑動画




TEAM YAMATO シビック

初代シビックRS SB1

74’からTSクラスに参戦
(110サニー、KP47スターレット)
77’シリーズチャンピオン獲得
富士マイナーツーリング
81/83'シリーズチャンプ
チーム・ヤマト
和光研究所、社内クラブ
634TS・ヤマトシビック
無限チューン
1300cc 150ps/7800rpm
車両重量 約600kg
0→400m 13秒台
かる~く1万回転以上
回っていたと思われる。



FFスーパー・シビック・レース


2代目スーパー・シビックCX SR
81’よりワンメイクレース始める
黒澤元治(琢弥の父ちゃん)
高橋国光、生沢徹も走った
初代チャンプは中野常治
中野信治の父ちゃん



無限シビック Si

3代目ワンダー・シビック AT1
85’全日本ツーリングカー選手権
JTC グループA規定
ディビジョン1にエントリー
初年は中嶋悟もドライブ
87'6戦全勝でタイトル獲得

ZC 1,595cc 
DOHC(14年ぶり) 4 バルブ 
225PS以上
PGM-FI



無限シビック SiR 

4代目グランド・シビック 
88-89’ ZC  搭載  Si EF3

90-92’B16A 搭載 SiR EF9

VTEC
バルブタイミング&リフト可変機構
225PS以上
800kg
4輪Wウィシュボーン


無限シビック SiR-Ⅱ



5代目スポーツ・シビック EG6
92-93 7戦連続優勝
93'グループA終了
メイクス7連覇を達成
テンロク究極のNAエンジン

230PS / 8,750rpm 
780kg 
17インチ装着
ブレンボ6ポッド
ボディはペコペコの薄い鉄板



グループA クラス区分
85'-87’
Div.3=2.5リッター 超
Div.2=2.5リッター以下
Div.1=1.6リッター以下
88'-93'
クラス1=2.5リッター 超
クラス2=2.5リッター以下
クラス3=1.6リッター以下



N1シビック

6代目ミラクル・シビック 
SiR  EK4 
TypeR EK9 
エンジンノーマル規定のN1耐久
185PS / 8,200rpm
930kg
98’スーパー耐久CIVIC通算50
GTRの51連勝を阻止
十勝24時間レース総合優勝




JTCC FERIO


シビック・フェリオSiR EG9
B16A→B18C
インテグラDC2のエンジン
2リッターにアップ
動力性能重視
給排気効率を上げるため
前よりに搭載
(他車のエンジンと回転方向が逆)
他車は運動性能重視
エンジンを後方に搭載
94-95ベストリザルト2位
惨澹たる結果 
ブレンボ8ポッド


94-98 JTCC 
英BTCCのクラスⅡ規定参考
4ドア以上、4.2m以上のセダン
フロントエンジン搭載
6気筒までの2リッター以下NA
レブリミッター8500rpm
300馬力弱
ABS&TCS禁止
ミッション自由
(殆ど6速シーケンシャル)
120km前後で2ヒート
ウェイトハンディ制



H22A 

1995cc 
over310.0PS / 8,500rpm
(2.2リッターのスケールダウン)


JTCC ACCORD


5代目アコードSiR CD6
96'開幕戦デビュー
PP&1-2-3表彰台独占
コンパクトなフェリオでは
足回りに制約を受けた
ワイドボディで自由度が増し
圧倒的な速さ
他チームからクレームが出る
大型リアウィング
8.2JJ×19インチ装着
96-97’2年連続チャンピオン獲得
97'ホンダ、ニッサン撤退
4ドアセダンの人気低迷
98'JTCC終了
ミニバンブーム到来





優勝マシン

2006-09-02 14:15:25 | Q HONDA




HONDA ヒストリー








歴代優勝F1マシン・シリーズ!





ホンダRA272  
RA272E V12(横1500cc)

1965 R10・メキシコ 
R・ギンザー(No11)





ホンダRA300  
RA300E V12(3000cc) 

1967 R9 イタリア 
J・サーティース (No14) 





ウィリアムズFW09 
RA164E V6 ツインターボ 

1984 R9 ダラス 
K・ロズベルグ (No6) 





ウィリアムズFW10 
RA165E V6ツインターボ

1985 

R6 デトロイト R16アデレイド
 
K・ロズベルグ (No6) 

R14 ブランズ・ハッチ 
R15 南ア・キャラミ

N・マンセル (No5) 




ウィリアムズFW11 
RA166E V6ツインターボ 

1986

R1ブラジル R10ホッケンハイム
R11ハンガリー R13モンツァ

N・ピケ (No6) 

R5ベルギー R6カナダ R8フランス
R9イギリス R14ポルトガル

N・マンセル (No5)




ウィリアムズFW11B
RA167E V6ツインターボ

1987 

R8ドイツ R9ハンガリー R11イタリア 

N・ピケ (No6)

R2サンマリノ R6フランス
 
R7イギリス R10オーストリア
R13スペイン R14メキシコ

N・マンセル (No5)




ロータス99T
RA167E V6ツインターボ

1987 
R4モナコ R5デトロイト

A・セナ (No12)




マクラーレンMP4/4
RA168E ツインターボ

1988

R1ブラジル R3モナコ R4メキシコ
R7フランス R13ポルトガル
R14スペイン R16オーストラリア

A・プロスト (No11)

R2サンマリノ R5カナダ R6デトロイト
R8イギリス R9ドイツ R10ハンガリー
R11ベルギー R15日本

A・セナ (No12)




マクラーレンMP4/5
RA109E V10(NA3500cc)

1989 

R2サンマリノ R3モナコ R4メキシコ
R9ドイツ R11ベルギー R14スペイン

A・セナ (No1)
R5フェニックス R7フランス
R8イギリスR12イタリア
A・プロスト (No2)




マクラーレンMP4/5B
RA100E V10 

1990 

R1フェニックス R4モナコ Rカナダ
R9ドイツ R11ベルギー R12イタリア

A・セナ (No27)




マクラーレン4/6
RA121E V12 

1991 

R1フェニックス R2ブラジル
R3サンマリノR4モナコR10ハンガリー
 
R11ベルギー R16オーストラリア

A・セナ (No1)

R15 日本 
G・ベルガー (No2)




マクラーレンMP4/7
RA122E/B V12 

1992 

R6モナコ R11ハンガリー R13イタリア

A・セナ (No1)

R7カナダ Rオーストラリア

G・ベルガー (No2)




ホンダRA106
RA806E V8(2400cc)

2006 
R13 ハンガリー 
J・バトン (No12)

ホンダエンジン通算72勝






グランプリシリーズ

2006-07-01 18:04:21 | Q HONDA




HONDA ヒストリー





グランプリシリーズ
acing - utomobile 
伝説の名車たち


CURTISS 1924


ホンダ創設以前宗一郎が初めて製作した4輪車。
エンジンは飛行機用の8200cc。
数々のレースで優勝を重ねた。





RA271 1964 


1495cc/60°V12置き 
4バルブDOHC
12連フラットバルブキャブレター
220PS/12000rpm
525kg
ドイツGPに初出場

当時のF-1は1500ccだった。
つまりバイクの2気筒250ccのノウハウがあった。
横置きのエンジンの中央からパワーを取り出し、
デフ、ミッションも横置きレイアウトだった。
エンジンサプライヤーとしてロータスと契約しようとしたが、
うまくいかず、他のシャーシーを探すが、
横置きV12を搭載できるものはなかった。
テスト車だったRA270をベースに製作され、
白いボデイに赤い日の丸が、ニュルブルクリンクに姿を現す。


RA271Eユニット

センターパワーテイクオフ、組み立て式クランクシャフト、ボールベアリングなど、パワーは他よりずば抜けていたが、
レギュレーションの最低重量を75kgオーバーしていて、
セッティングに悩まされる。





RA272 1965 

1495cc/60°V12置き 
4バルブDOHC
メカニカルインジェクション
230PS/12000rpm
3950-1675-793mm
498kg

冷却系とブレーキの容量アップ。
モノコックにジュラルミンを多用し軽量化する。
最終戦メキシコで予選3位からリッチー・ギンサーが飛び出すと
第一コーナーまでにトップに立つ。
そのまま誰にも抜かれることなくF-Ⅰ初勝利をもたらす。
1.5リッター最後の年を有終の美で飾る。





RA273 1966 

2.992cc/90°V12縦置き
4バルブDOHC 
400PS/10.500rpm
3.955-1.688-845mm 
650kg 


3リッターになったので横置きは不可能となり縦置きとする。
ギアボックスの間ににデフを配置する。
アウトプットシャフトとエキゾーストがあるため
90°バンクとなる。
パワーは群を抜くも重量は当初720kgあった。
67年からはフェラーリを飛び出したJ・サーティーズが走らせることになる。








RA300 1967

2.992cc/90°V12縦置き
4バルブDOHC 
420PS/11.500rpm
3.955-1.788-845mm 
590kg 

273に限界があり、ローラのシャシーをベースにニューマシン投入。
しかも80kgの軽量化。
イタリアGPではJ・サーティーズがブラバムを振り切り、
2度目の優勝をする。





RA301 1968

2.992cc/90°V12縦置き
4バルブDOHC 
450PS/11.500rpm
3955-1788-845mm
530kg


最強のホンダF-1と言われた。
300で自信を付け軽量化を進める。
吸排気レイアウトを逆向きにしパワーアップする。
が、好成績は収めることができなかった。
この頃、ハイウイングが流行る。
プロトタイプにも装着されていた。





RA302 1968

2987.5cc/120°V8
4バルブDOHC
430PS/9500rpm
空冷 
3780-1796-816mm
500kg 

空冷信奉の宗一郎が主導で空冷ユニットを開発。
エンジン・シャシーにマグネシュウムを多用し軽量化。
しかし、冷却性不足により、パワー低下、オイル漏れに悩まされる。
雨のフランスGPでシュレッサーはスピン、土手にぶつかって炎上。
命を落としてしまった。
サーティーズは2位になる。
アメリカGPで3位になるも目立った成績は残せず、
68年11月F-1活動の一時休止を宣言した。






BRABHAM HONDA BT16
1965

996cc 
水冷直列4気筒 
DOHC16バルブ 
135PS 


64年からF-Ⅰに参戦したが、
65年からはエンジンサプライヤーとして、F-Ⅱにも参戦。
ブラバムに供給したユニットは、
ライバル、コスワースより20PSも高かった。
最終戦でジャック・ブラバムが2位に入る。






BRABHAM HONDA BT18
1966

150PS/11.000rpm  
3980-1620-787mm  
420kg 

3リッターF-1ユニットと同じトーションバー式バルブ・スプリングを採用。シーズンオフで150PSまでパワーアップ。
シャーシーも新設計のBT18。
2戦目のイギリス・グッドウッドから11戦連続優勝。
ほとんどが1-2フィニッシュという圧倒的な戦闘力で、
ブラバムは大差でチャンピオン獲得。
しかし翌年の67年からは1600ccに拡大されるため
当初から参戦しないことにしていた。
66年でF-Ⅱも一時休止となった。





DDAC

2006-04-06 20:46:11 | Q HONDA

              
DDACシリーズ     

1300 77 
  99 S  
COUPE 7
 COUPE 9 S





DDAC

おやっさんは、「水冷でも水を冷やすのは空気だ、
ドイツのロンメル将軍が勝ったのは、水の無い砂漠で水の要らない
フォルクスワーゲンを持っていたから」という空冷信望者だった。
欠点である冷却効率とノイズは、
DDACというシリンダーを二重にし、内側はファンで強制空冷し、
外側はグリルからの外気で冷却方式採用。
二重になるためノイズの遮断も有利となる。
とんでもないことに、ドライサンプなのだ。





1300 77 1969

角目が目印
シングルキャブレター
100PS/7200 10.5kgm/4000
3885-1465-1345 885kg 
FF1300cc空冷並列SOHC





1300 99 S 1969

丸目が目印
CV4連キャブレター
115PS/7500 11.5kgm/5000 
扱いやすく95、110PSとなる




1300 COUPE 7 1970

4140-1495-1320 900kg
リアはクロスビーム式サス
インパネは湾曲したコックピット





1300 COUPE 9 S

ドライサンプ式
フィン付きアルミ製
オイルキャッチタンク
CV4連キャブレター


(71年に、ダイナミック・シリーズとなり、ゴールデン・シリーズが加わる。
72年の秋に1433ccの水冷ユニットが積まれ、車名もホンダ145となる。
シングルキャブは80PSだが、145FIという、インジェクションは90PSだった。
ライトは丸型4灯から角型2灯になり、セダンが73年、クーペは75年まで生産。)

とんでもないシリーズ

2006-03-29 16:58:32 | Q HONDA

             とんでもないシリーズ 

S 360  S 500  T360  T360/500スノーラ  L700  P800 





とんでもないシリーズ

S600とS800は今更ごちゃごちゃ言うこともないので、他の車をやることにしました。
(遡ること40年以上)
2輪の世界では他社が2サイクルだったのに対し、4サイクルで高回転、高出力で互角以上の成績を残していた。
これを生かさない手はないと、小型スポーツカーの開発を行った。
すでに2輪ではリッター100PS、10000rpmは当たり前だった。
スバル360が18PSのころ、S360は33PS。ブルーバード1000が
34PSの時にS500は40PSだったのである。
62’の第9回・東京モーターショーにS360・S500を市販予定車として展示。訪れた人々の目を釘付けにする。






S360・S500 1962



S360 PROTOTYPE
2990-1295-1146  510kg 
AK250E
水冷直列4気筒DOHC 
356cc 4キャブレター 
33PS/9000rpm以上 
2、7kg-m/7000rpm 



(極限を目指した内容が、市販車として時期尚早という結論で市販されなかった)

S500 PROTOTYPE 
3195-1295-1146  530kg  
水冷直列4気筒DOHC  
492cc 4キャブレター 
40PS/8000rpm以上  
3、8kg-m/6000rpm  


(市販直前でパワー不足のために排気量アップされる。)

SPORTS S 500
3300-1430-1200  675kg 
AS280E
水冷直列4気筒DOHC 
531cc 4キャブレター 
44PS/8000rpm 
4、6kg-m/4500rpm 

(63年10月販売開始。64年1月からデリバリー。このころS600を発表。
同年9月で生産終了。606cc57PSのAS285E搭載のS600へと進化することになる。)





T360 1963

ホンダ初の4輪市販車(63.10) 
2990-1295-1525  700kg 
セミキャブスタイル 
ミッドシップ・マウント 

AK250E搭載 
356cc4気筒DOHC 
4キャブレター 
30PS/8500rpm 
2、7kg-m/6000rpm 
最高速度100km/h 


(途中からキャブが2基となる。64年9月にT500が追加される。S500と同じ531ccで38PS。67年8月まで生産。10万台を越えた。荷台の下を覗くとタコ足が見える。)







T360/500スノーラ

リアタイヤをキャタピラに交換
フロントにスキー板装着





L7001965


2ドア・ライトバン
3690-1485-1400  800kg 
687cc4気筒・DOHC 
シングルキャブレター 
52PS/7500rpm 
5、8kg-m/4500rpm 

(2ドア・セダンのN800というのもモーターショーに参考出品
したが、市販はされなかった。)





P800 1965

ドアから後ろを、オープンデッキ
3690-1485-1400  760kg 
791cc 4気筒・DOHC 
シングルキャブレター 
58PS/8000rpm 
6、3kg-m/4500rpm 

(L700・P700から一年後S800と同じエンジンを与えられL800・P800に進化する。)