春の城攻め ③-17 捨曲輪

2024-01-31 20:31:31 | 石垣と城郭 ₂₀₂₃


豊後 佐伯城

冠水門
東虎口
搦手口





他の城には見られない 珍しい造りになっている
気になるのは
ちょっと どうなの? という所に木がある
石垣 崩れませんように…





冠水門跡の 石畳の坂
一番下はコンクリの段
興覚めはするが
ある意味
時代をはっきりさせる方が正解か?
違和感ある岩感よりも

ともかく これ以上崩れませんように


こちら側 から 城山を下りる道

独歩碑の道


その 道の 城側
この上は 本丸外曲輪になる



コンクリ基礎
石垣の補修というより
観光道の整備が目的だと思う






と思っていたが

全体と周辺を見ると
下にもまた同じような工法で補修されている
崩壊による補修工事がされたのかも

その間には 草が生えている個所は
手つかずのようになっている

そこの写真が無い…また外してる





ここから 上側 工事している
崩壊 もしくは 崩壊の恐れがあった
のかもしれません

それでも うまく積んでますね



つづら折れを 一回 折れますと
道の外側に 広場があります

捨曲輪

これもまた 他の城では 見ないですね
本丸曲輪が 狭いので
その下に 防御のために 設けたものでしょうね
有事の際に 兵や 馬 武器弾薬置き場とする
思惑だったのではないでしょうか

出曲輪 までもない 捨曲輪

と 考えます
財政的にも 戦乱も収まりつつあれば
と なっちゃったのかもですね
なにせ 天守も完成後 間もなく焼失したが
再建せずに 麓の三の丸御殿に 下りてきてますから



さて つづら折れを もう一回 折れ
もうちょっと 下りますと




道沿いの法面
石垣 みたいに 見えますが
岩盤ですね





この辺の 石も切って 上に持って上がったのでしょう




定期的に下刈りされてるのでしょう
歩いていて 鬱陶しくはありません
ありがたいです
夏場はどうかわかりませんが




脆くて崩れる
よくある裏山に見る地質ですね




昔は 海底だった
火成岩ではなく 堆積岩ですね




八幡山 144m 隆起


三又の 登城口まで 下りてきました

三の丸 山の手の 桜




この道の右手は 三の丸です




白漆喰の 櫓のトイレを 右に曲がると

三の丸 門櫓です




佐伯城 唯一の 現存門

どれどれ






春の城攻め ③-16 丸い角

2024-01-31 11:31:31 | 石垣と城郭 ₂₀₂₃


豊後 佐伯城


二の丸続櫓跡
石積みの土台
変な手が加わっておらず
いい具合の佇まい

先が見えない 折れている


石畳も詰まっている


西側の土台



いい石を使っていて 隙間も小さく
丁寧に積まれている

だいたい門の外側
敵に向いては こうである

  
東側

△                       
ここまで大きくなるまで…                    


通路側




かなり 詰まっている

打込み接ぎ に 近い

と言っていいのではないかと思う




二の丸側に近い方は ちょっと粗い

野面積み

なってしまってる…






さて

本丸外曲輪 冠水門まで戻ることに






二の丸から 本丸 本丸外曲輪




なかなかに 立派ではないか!






本丸石垣 南面

高石垣ではないが そこそこ高い






積み方も きちんと 丁寧だ


    いいね~
    ▽


除草もされていて 面が なめらか



△   
微妙に カーブしている

本丸曲輪は 変形5角形になってて
ここの角は 尖っていない


さらに




東面 南の角

上の 反り具合が すごい






しかもその 角は 丸い







なんなだこれは!


沖縄の方の グスク的な石積み

まさか 向こうの 石工さんが 居たのか⁉




最初 神社に造られた石段に気を取られて
気づかなかったのだが
ひと回りしてきて 驚いた


オーバーハングの角

丸い角


いいものが見れた

来て見て 良かった






石段は 時代の流れで 致し方ないとして
貴重な城址
保存努力を続けてもらいたいものだ






春の城攻め ③-15 西の丸

2024-01-30 20:30:30 | 石垣と城郭 ₂₀₂₃



豊後 佐伯城



本丸から廊下橋 渡って 二の丸

二の丸続櫓 虎口を通って 西の丸


山城 西の端です



△                      

広くなっている 端の手前に 石段がありました




けっこう 立派な石段です


西の丸 大門跡



ここは 登城の道 と つながっているようで
藩政時代からの 道です
行かなかったので 行けたのかどうか不明です
再訪あらば
北側園路と このルート行ってみたいです


          二の丸虎口      大門跡  
         ▽         ▽

大門跡から 端の方に 礎石が残っています

古図には 何も建物はないのですが…


さらに 端側に



狼煙台

と思ったのですが
戦時中の 高射砲の設置跡でした
B29 グラマンが 飛んで来たんだよな~

となると 礎石は 戦争遺跡でしょうか
はっきりしたことは わかりません



そして 西の端



二重櫓台跡

これも コンパクト



こういう標記はありがたい




西の端の角

400年もの






西の丸からの眺望

説明パネル 撮ってなかった



桜は撮った





番匠川 は 今でも橋の数が少ない
渡るのに ずーっと廻らなければならない
往時は 渡し舟 だったのだろうし
海からの船も かなり上まで
上がってきてたのではないだろうか





春の城攻め ③-14 ニの丸虎口

2024-01-30 09:39:39 | 石垣と城郭 ₂₀₂₃


豊後 佐伯城


二の丸から 西の丸へ




西の丸は 一段低くなっています

虎口でつながっていて

二の丸渡櫓 がありました






櫓台から 二の丸の方を見る

二の丸側は 狭い

通路はここも 石畳


東面 すぐ外は崖





西側の土台の上部  右手は すぐ崖



上部の土の状態からして
築城のままではないだろうか


二の丸から 虎口入口は 狭く 折れていて
中で また折れている
しかも 坂



たとえ突破されても ここで 詰まってしまう…

こわいこわい


押すなよ! 絶対 押すなよ!






東側の 櫓台上部

こちらも 丈夫





西の丸側 入口を見下ろす

けっこう詰まった石畳


↖ 西の丸          





東側 登れそうにない崖

▽    ▽ 除草されてます ありがたい


礎石跡からして 多門櫓だったのでしょうか



虎口 通ってみましょ




中で 折れてます


西の丸側は 石垣が高い


坂虎口 中折れ


西の丸




西の丸へは 狭くなっている
いい場所に 虎口がある
 西の丸から 二の丸 は 見えない

その写真が無いのは なぜか⁉







西の丸の西の端は広くなっている





行ってみましょ





春の城攻め ③-13 二の丸

2024-01-29 20:20:20 | 石垣と城郭 ₂₀₂₃



豊後 佐伯城


本丸から 二の丸へ通じる 廊下橋
から
本丸外曲輪から 二の丸へ上がる石畳のスロープ
見下ろす




スロープという言い方は不適合か…

斜道

シャドウ 秘密結社みたいだな



ここに門があった



門の扉を抜けて 右に曲がりこむと 廊下橋
そのための 石畳

     
↑ 二の丸        本丸 ↓



二の丸側から見た 斜道




400年前  一個一個  敷いた



← 北の丸        本丸                
二の丸側から見ると 本丸に行く 廊下橋 堀切

狭くなっていて 防衛上 うまく利用している


反対側の 登城の道 
きれいに石が敷かれている







本丸外曲輪 ↑ 冠水門

↓ 二の丸                  登城の道 ↓



複雑な造り…







↑ 冠水門                  


ここ 今の言い方で言うと

JCT

ジャンクション






ジャンクションから 二の丸方面へ

西側の谷 深そうです





谷側の斜面も急ですし
落ち葉が積もってますから
ここからは 足が取られて
上がってこれないでしょうね






石垣の下は さほど高くない所もある
が その先は 崖になっているようだ





この辺の石垣の除草 下刈り 枝打ち

整備がすすんでいる
なかなか 予算は 組みにくいだろうが
がんばっている

継続がんばっていただきたい








規制ロープは 作業者に対してか









二の丸

ここは 城主の居館があった



二の丸の開けた箇所からの展望




佐伯は島津との戦があった
関ケ原前のこと

土地勘がないので どこでどうなったかわからない