佐賀城 本丸歴史館

2024-07-31 11:33:23 | 佐賀城 ₂₀₂₄







御玄関






御式台
おんしきだい




いきなり 新平…
彼の顔があると ちょっとドッキリ





青漆塗萌黄糸威二枚胴具足

せいしつぬりもえぎいとおどしにまいどうぐそく





初代鍋島勝茂 




なんか 島原の乱で着用した 唯一現存の甲冑
とのことですが
本品が 本物か レプリカか 未確認

だいたい オープンスペースで そんな貴重なものが
展示されているはずはないと思い
あっさり 通りすぎてしまうのよね~



鉄製 青漆塗 萌黄糸威 二枚胴




最新銃




これも 本物?

触っちゃダメ って 表示で
盗難防止用に 細~~い紐が付いてるけど
本気で 盗ろうとするやつには 無防備すぎる
今 どんなヤツがいるかわからないよ











幕末~西南の役の頃の 銃

アメリカ南北戦争 と ヨーロッパの銃
詳しくは無い

武器商人 グラバーめ!
南北戦争終わって 不要になった銃を
日本に持ち込んで 双方?に 売りつけて
人の命で 儲けて…とんでもねー!


こういう銃を見ると 田原坂を思い出す
実戦があった 坂も行った
空中で ぶつかった 弾弾も見た
こわいとこだった



では 館内 見てみましょ


          🔻



鬼太郎か

は?


45m 畳敷き 北廊下






新平さん   ドキッ






新平さんを 過ぎて…


障子





張替 大変だ!

今は 内装屋さんに外注だけど
往時は 女中さんが 襷姿でやってたのだろうか
それとも 職人さんが やってきてたのだろうか






振り返って…

長い廊下の中央
梁は 一か所だけ
普通なら もっとたくさん あるよね
しかも
橋のような 透かし彫りが イキだね~






北廊下 突き当りから 振り返って



ここに こんなのも あった


モンタージュ
スケール姫



廊下の先は




御三家座
おんさんけざ


鍋島藩関連の 御三家は

小城藩 おぎ
   蓮池藩 はすのいけ
 鹿島藩 かしま

小城は 小城羊羹の 小城ね



ここに
あれこれ 展示してあった






鍋島杏葉



ジオラマ




現在の天守閣 附櫓台











佐賀城 広し!



さが ひろし

人の名前だね





   〇 城下から 入れる 橋 門 枡形
   〇 本丸に  入れる 橋 門 枡形
  〇 よくわからない 橋 通用橋?



これ



佐賀城分間御絵図













明治四年…新國







結構 残っている




佐賀城 西南角櫓台‣御殿

2024-07-30 20:06:33 | 佐賀城 ₂₀₂₄



   南西角櫓台
    🔻


🔻 南西角櫓台

  400年もの石段か?🔺


切り石 亀甲積み 切り込み接ぎ
これは いつのモノか わからなかったので
スルー する~



櫓台の上から





南に 濠

前回ここまででした




振り返って

北側


🔻西門   天守台🔻


三之丸  空堀   犬走り    石垣       土塁    本丸


守る側から こんなもんの 石垣で大丈夫?
これまで見てきた城は 高石垣でしたから
ちょっと いや かなり 心配です
江戸初期 築城当初 佐賀城は
四方が 濠
その外側も 低湿地だった

この 左にある空堀も 古図 では 水色
と言うことは 戦になると 門を閉めると
濠になったのだと思います

空堀の左り手 西は 三の丸です
武家屋敷だったのでしょう






石垣 土塁の外の 犬走りは
攻め手が不利なように 狭いのに
この広さ
西門が 無かったときは ここを通っていた
つまり 通路だったということです

石垣の上には 多聞櫓も 矢狭間塀もなく
本丸側は 雁木でなく土塁

濠の大きさ 濠の外の低湿地
そこを考えると
ここまでは 攻め込まれない
(築城当時)
と 考えたのではないでしょうか




東側




本丸 南面



⇦ 本丸御殿                南濠 ⇨


こちらは 土塁



一見 簡単に登れそうな 土塁




なんですが
これが これが
どーして どーして
足が滑りそう



北東




本丸御殿



🔻 天守台





天守台 ズーーム











西南角櫓台 下りて 本丸散策しましょ



🔺 御小書院        御座間 🔺 堪忍所


御座間 ござのま    仕事部屋
  堪忍所 かんにんじょ  警護人の控室

天保期の 現存 となってますが
現存部材を使って 補修し保全
と言うことだと思います


御小書院  ごこしょいん  会議室
こちらは 復元のようです



中央
厨房ではなくて 接待の食事をする間
御料理間
おりょうりのま
🔻



復元された 御殿 南側広場


建物平面表示


復元されていない建物の輪郭






全部は 廻れないので 何か所か…





じょちゅうかんにんどころ

袋の緒が切れる…堪忍 
ではありません





おふろや

屋 ですが 商売じゃない…






おねしょ 

ごしんじょ 




御座間 堪忍所



逆光




御料理間の端



ここは 職員の出入り口 事務所かな?
復元された 続の間で 復元…説明なし



ここを 右に 廻りますと


本丸御殿 御玄関





佐賀城本丸歴史館








入口左 花頭窓




外通路との間だったのかな 確認忘れ


右側もあります そして 鯱の門





入ってみましょ

入館無料でした


          🔻下駄箱 あります



本丸御殿です






入る前に


入口 脇に 




腕強砲


正式は

アームストロング砲

レプリカ







佐賀城 天守‣西南角櫓台

2024-07-30 04:30:15 | 佐賀城 ₂₀₂₄








石段上がって 天守台 北東方向




天守閣 礎石 かも



氷山の一角 みたいに 大きいが埋まってる?




天守西側から 附櫓入口 見下ろす






天守北側に移動






こちらから バッチリ 狙えます




🔺 附櫓 けっこう 広いです どうなってたのでしょうね
天守といっしょに 燃えちゃったのでしょうね…




復元された りっぱな 本丸御殿




お金かかってるので 御殿のパンフは 何種類もあるのですが

天守 附櫓 に関しては 見当たりません



本丸 西側


              南西角櫓台 ⇩     🔻 西側土塁石垣

本丸西側は
内側が 土塁  外側が 石垣

雁木にするのは 大変な長さですからね



  🔻 西側土塁石垣          西門 


古い古図 には 描かれていない 門
いつできたのでしょう…
近道する もん


南西角櫓 行ってみたいので 下りましょ



ここも 櫓内 でした



城主の駕籠が 通れる幅なんでしょうか?
急な石段ですから 横担ぎでしょうから
4人担ぐだと 通れないような…


殿様 歩いて 上がったり するんでしょうかね?






ひょっとして だれか 顔 出す?





江戸時代の 石段では ないように 思うのですが…



いい石垣です





いい V です






なんですがね
やっぱり 舗装路が入ってしまうと




こんなのありました




ケムンパスでやんす 🐛



みんなのうた
ワニの歌



これも 同じですね




こっちは キチンと ? 彫れてます



これ…

逆さま




まさかさかさま



〇 ✖





彫るの 手間かかるね




天守 南西の角



築城当初の 石積みだと思います



天守から見て 南西角櫓へ行くには
西側石垣 外側犬走りを行くと
上がれそうにないので
本丸御殿側から 行ってみます



         南西角櫓台
         🔻

⇧ ここを 通って 行くしかないようです…



南側石垣土塁まで ずーっと 行きます…と


南西角櫓台




きれいに 切られた 亀甲積み ですね

なんで ここに?



いい 石段 です

規制されていないので 上がれそうです

400年もの のようです





400年の 矢穴






400年 1段 1段 踏みしめて


上がりますと






南濠

もちろん 道はなく 右の方に 続いていました
道の中央付近は 橋でしょうか
完全土橋ではなく
濠は つながっているようでもあります


それにしても…


弾は 届きませんね




佐賀城 附櫓‣天守

2024-07-29 12:41:44 | 佐賀城 ₂₀₂₄











古図から やっと 附櫓がわかってきました
虎口の入り口に 門があったと思っていたのですが
図面から 無かったのか?
ジオラマでは ありそうな?
実際 ありそうですけどね







虎口 入口から 渡櫓 だったということで







この石段も 櫓内 だったわけです
ここを通るのは こわいですよ
上からも 狙われます







この角は 長い槍は つっかえそうで
曲がるの大変
どうやって曲がるかって?

むりやり

無理槍
無理矢理






この石段 櫓の中でした…




石段上がって 左手に 附櫓




天守台に上がる 石段も 附櫓内


天守台に 上がる前に   

西側を 見てみましょ



 南西角櫓台
 🔻
🔺
西門


 石垣 内側
雁木ではなくて 斜面になってる
往時からそうなんだろうか?

     石垣 外側 
犬走りなんですが
本丸御殿から ここを ぐる~っと廻って
天守附櫓(現在地)に上がっていたらしい
        
        石垣 犬走り ⇨⇨
濠に繋がっているが 空堀っぽい






古図から 石垣の上には 塀はなかったようだ



戻って


⇦ 枡形の方 見てみましょ






⇦ 虎口 入口                   天守台 ⇨









ここから 櫓内に















    ▼      ▼



    ▲       ▲

ここ渡れる 通路 造っちゃったら どうよ?




ちょっと 福岡城と 似た感じがしたりする





天守台 上がってみましょ





天守台 上がってみましょ

石段は 新しいニオイ が します…



石段前から 本丸御殿






石段 上がって 振り向いて

附櫓跡












佐賀城天守台址




天守台 東側 南

          🔻 鯱の門
             🔺 鯱の門へ続く土塁




天守台 東側 北


🔻 鯱の門
                   🔺 土塁

🌳 真ん中 左の 垣根 

ここが 土塁 だったのでしょう



ん?





鯱の門で 着物






きゃ~~ 風~~


うまい具合に 振袖の絵柄が 見れました


履物が… 👀




佐賀城 古図参照

2024-07-29 00:11:26 | 佐賀城 ₂₀₂₄







広い 佐賀城

なんですが…元々の 佐賀城は とんでも広い

左上  が 本丸


北が 下なので 話が ややこしくなる
古い古図
北が上なので こちらで 頭の中を整理することに

ネットでの画像は 使いたくないのですが
どうにも 解せない佐賀城
おおゆるしいただきたい







① の公園図と同じ範囲で 南北が逆で 上が北

 本丸

ちょっと ごちゃごちゃ わかりづらい
本丸周囲は 濠ですね


注目点は 本丸西の堀
犬走りが ありません
西門も ないような…



こちら
博物館の中に 展示してあった図






本丸 拡大してみると

③ ´



⇧ ここが 濠 じゃない

空堀?




こんな図が

    🔺
本丸 東の石垣の外は 水路?

西の 堀 茶色の部分 は 天守台北側にまであった
その 北側の 濠 水色の部分 との間に 門がある


現在の🚌停は 北側の濠の外
たぶん 濠が道路になっている
まっすぐ 鯱の門だったから
土橋も 門も 枡形も
無くなっている…





   🔻

            🚌
また

東 西

になるが 御勘弁


この図 が 天守附櫓がわかる
多聞櫓は 南北でしたか!
ハイハイ


鯱の門 から 天守入口の間には
土塁ですかね?

 行くと 冠木門 があって 
枡形 食違い 枡形 鯱の門

なるほど


この ⑤ 図だと
本丸御殿から天守に行くのには

南濠の門🔻 から 南掘犬走りを行き
南西の 角櫓を曲がり 西掘いに走りを行き
天守附櫓を折れ 附櫓門に入る

ってことで

③ ´ ④ には 西の門 付近が 切れてる
けど 門は 描かれていない





さて 附櫓 図面 ⑥ 見ましょ





⑤ と 屋根の形が違いますが…

附櫓門  ありません!


南側に 破線で 天守入口櫓 とあります
近道用の階段が造られたのでしょうか…
天守への石段は 後世… とあります

これは 近年の調査に 櫓を描いたもの?

これだと
附櫓門 の 多聞櫓は L 型 ではなく
虎口入口から 石段から 天守石段まで
全部 附櫓内 ってことですか!



⑦ ジオラマ

             🔺

こういうことか…

こちらからは 西門は 確認できませんね


天守左に 西門が 少し見えるのが こちら



ジオラマ ⑧


西




鯱の門から 天守台までは 東西に 土塁
なんですが
天守台に 入口のようなものが…

鯱の門からの 東西の土塁の北側に 南北の土塁
その境目に 門


少し わかってきました…

けど



大手門は どこでしょ?