「現実」とは、いったい何なのでしょう?
いきなり、そう突きつけられて、即答えられるでしょうか。
哲学、科学、様々な学問を駆使して、人はその謎を解明しようとする。
その謎に向き合った芸術運動が「シュルレアリスム」超現実主義だ。
埼玉県立近代美術館で開催されている「シュルレアリスム展 謎をめぐる不思議な旅」を観た。
館内は、相変わらず人もまばら。
しかし、この美術館に、マスターピースは殆ど来ないけれど、ひとつひとつの企画展が丁寧につくられている。
だからわたしは興味をひく企画展には、年に何回か足を運ぶ。
因みに、次回は「澁澤龍彦 幻想美術館」これも興味深い。
■ 現実と夢の境界は果たしてあるのでしょうか?
私たちが普段みている世界は本当の現実といえるのでしょうか?
そんな「謎をめぐる不思議な旅」へのパスポートを渡されて、シュールな世界へ入っていく。
意識を超えて
心の闇
夢の遠近法
無垢なるイメージを求めて
■そして最後は、シュルレアリスムはどこにでも存在しています。
公園のゆれる葉、石ころ、そこから何が浮かび上がって来ますか?
超現実の世界は今もあなたの身近にあるのです。
今、あなたが当たり前に見ているその景色、それは本当に現実の世界ですか?
確かに自分を取り巻く物、そして言葉などそれらを突き詰めて凝視したり思考していると、意識をしていないのにも関わらず、まぼろしのように思いもつかなかった世界があらわれてくる。
例えば、1枚の葉を見つめているだけで、その1枚が頭の中で様々に形を変えていきそのうちに別の形を形成する。
既成概念にとらわれている私たちの意識をいかに解放していくか、それがシュルレアリスムの根底に流れている。
日常や理性の束縛から心を解き放ち、様々な表現を求めたこの分野で、わたしの好きな芸術家は多い。
カメラマンのマン・レイ。シュルレアリスムといえば、マグリットやキリコ。
ダリ、デュシャン、ミロ、レオノール・フィニ。
中でマグリットが1番手かもしれない。
しかし、わたしはデルヴォーに惹かれる。
画布に流れる沈黙の世界の、それこそシュールに流れる空気そのものが好きなのだ。
キャンバスの上をさまよう謎めいた人物たちが、シュールな世界で、見えないものと交わしている秘密のやりとりを眺めていると、その前に立つわたしは、いつも知らないうちにその世界に引き込まれているのだ。
p.デルヴォー 「森」
美術館を出て公園を歩き、いつか実を拾い集めた楓(ふう)の樹を探した。
公園内の樹は殆ど葉を落としていたが、枝先にいくつか実の残った楓の樹をみつけた。
根元にまだ、実が落ちている。
思いのほか、大木だった。
この実もずっと眺めていたら、何かが浮かび上がってくるのだろうか。
何かが見えてきた時に、わたしはシュールな超現実的な世界に足を踏み入れたといえるのだろう。
シュール満載な一日だった。
いきなり、そう突きつけられて、即答えられるでしょうか。
哲学、科学、様々な学問を駆使して、人はその謎を解明しようとする。
その謎に向き合った芸術運動が「シュルレアリスム」超現実主義だ。
埼玉県立近代美術館で開催されている「シュルレアリスム展 謎をめぐる不思議な旅」を観た。
館内は、相変わらず人もまばら。
しかし、この美術館に、マスターピースは殆ど来ないけれど、ひとつひとつの企画展が丁寧につくられている。
だからわたしは興味をひく企画展には、年に何回か足を運ぶ。
因みに、次回は「澁澤龍彦 幻想美術館」これも興味深い。
■ 現実と夢の境界は果たしてあるのでしょうか?
私たちが普段みている世界は本当の現実といえるのでしょうか?
そんな「謎をめぐる不思議な旅」へのパスポートを渡されて、シュールな世界へ入っていく。
意識を超えて
心の闇
夢の遠近法
無垢なるイメージを求めて
■そして最後は、シュルレアリスムはどこにでも存在しています。
公園のゆれる葉、石ころ、そこから何が浮かび上がって来ますか?
超現実の世界は今もあなたの身近にあるのです。
今、あなたが当たり前に見ているその景色、それは本当に現実の世界ですか?
確かに自分を取り巻く物、そして言葉などそれらを突き詰めて凝視したり思考していると、意識をしていないのにも関わらず、まぼろしのように思いもつかなかった世界があらわれてくる。
例えば、1枚の葉を見つめているだけで、その1枚が頭の中で様々に形を変えていきそのうちに別の形を形成する。
既成概念にとらわれている私たちの意識をいかに解放していくか、それがシュルレアリスムの根底に流れている。
日常や理性の束縛から心を解き放ち、様々な表現を求めたこの分野で、わたしの好きな芸術家は多い。
カメラマンのマン・レイ。シュルレアリスムといえば、マグリットやキリコ。
ダリ、デュシャン、ミロ、レオノール・フィニ。
中でマグリットが1番手かもしれない。
しかし、わたしはデルヴォーに惹かれる。
画布に流れる沈黙の世界の、それこそシュールに流れる空気そのものが好きなのだ。
キャンバスの上をさまよう謎めいた人物たちが、シュールな世界で、見えないものと交わしている秘密のやりとりを眺めていると、その前に立つわたしは、いつも知らないうちにその世界に引き込まれているのだ。

p.デルヴォー 「森」
美術館を出て公園を歩き、いつか実を拾い集めた楓(ふう)の樹を探した。
公園内の樹は殆ど葉を落としていたが、枝先にいくつか実の残った楓の樹をみつけた。
根元にまだ、実が落ちている。
思いのほか、大木だった。
この実もずっと眺めていたら、何かが浮かび上がってくるのだろうか。
何かが見えてきた時に、わたしはシュールな超現実的な世界に足を踏み入れたといえるのだろう。

シュール満載な一日だった。