『齢(よわい)82になりました。
もう人間関係はわずらわしく、これからは皆様とは一切交際を絶ちたいと…』
何日前かに、父の元に届いた父の友人の葉書に書かれていた言葉。
わたしの友人にも、そう宣言して去っていった人がいた。
今は家族と犬3匹で人とも余り付き合わず、暮らしているらしいが。
2,3年経ったころに、さすがに淋しくなったのかコンタクトをとって来た。
しかし、既に共通の話題も無く、思い出話をするにはまだ若すぎた。
人間関係は、確かに煩わしい事の方が多いかもしれない。
人はそれで悩む事が多いのだから。
だからといって、荒野や山の一軒家に住むわけにもいかない。
わたしはいっさい関係を絶つ勇気もないし、嫌いな人も多いけれど、誰もがどこかで誰かと繋がっていたいと思うのは健全な事だと思う。
父はその友人の事は語りたがらなかったが、わざわざ絶交の宣言をしなくてもまわりの人間は気がつけば哀しいかな、いなくなっていくのだ。
そして、必ずしも長生きが幸せとは言いがたいようにも思える。
長生きをすると、人を送る回数は増え、その度に寂しさは倍加する。
歳を重ねると、これが待っているから楽しみ…そんな事は無いのだ。
今日友人から電話があった。
友人の油絵の先生が急死をし、彼女は自分と同年齢だったその先生の早い死にも動揺し、アトリエを訪ねたときに見た大きな真っ白のキャンバスに絵を描く為に一番最初に引く対角線を見たことでも動揺していた。
好く死ぬ事は難しい。
そして人の死を受け入れる事も。
もう人間関係はわずらわしく、これからは皆様とは一切交際を絶ちたいと…』
何日前かに、父の元に届いた父の友人の葉書に書かれていた言葉。
わたしの友人にも、そう宣言して去っていった人がいた。
今は家族と犬3匹で人とも余り付き合わず、暮らしているらしいが。
2,3年経ったころに、さすがに淋しくなったのかコンタクトをとって来た。
しかし、既に共通の話題も無く、思い出話をするにはまだ若すぎた。
人間関係は、確かに煩わしい事の方が多いかもしれない。
人はそれで悩む事が多いのだから。
だからといって、荒野や山の一軒家に住むわけにもいかない。
わたしはいっさい関係を絶つ勇気もないし、嫌いな人も多いけれど、誰もがどこかで誰かと繋がっていたいと思うのは健全な事だと思う。
父はその友人の事は語りたがらなかったが、わざわざ絶交の宣言をしなくてもまわりの人間は気がつけば哀しいかな、いなくなっていくのだ。
そして、必ずしも長生きが幸せとは言いがたいようにも思える。
長生きをすると、人を送る回数は増え、その度に寂しさは倍加する。
歳を重ねると、これが待っているから楽しみ…そんな事は無いのだ。
今日友人から電話があった。
友人の油絵の先生が急死をし、彼女は自分と同年齢だったその先生の早い死にも動揺し、アトリエを訪ねたときに見た大きな真っ白のキャンバスに絵を描く為に一番最初に引く対角線を見たことでも動揺していた。
好く死ぬ事は難しい。
そして人の死を受け入れる事も。