電車の中吊り広告。
それには「時間ない病の研究」という見出しの雑誌が。
「あ!わたしのこと」だと思いつつ、更に見ると、
「捜し物に費やすムダは1年間で6週間」…
ぐゎ~ん。
前にもここに書いた記憶があるけれど、わたしはいつもいつも、何かを探している。
そして、探し方は雑なうえせっかちなので探しているときに絶対出てこない。
ある人に、おまじないを教わった。
結局、落ち着いてゆっくり探すために、気を落ち着かせるおまじないらしい。
けれど、そのおまじない…あ!忘れた!
多分、病い(笑)
とはいえ1年間に6週間とは、言い過ぎのような気もするけれど…。
しかし確かに、あちこち探し続け、気がつけば1、2時間は優に経っていることもある。
いつも、この時間勿体無かったとひとしきり反省はするのだが。
最近、探しまくった物。
それは、わたしの先生がブログで40代で最近亡くなった文芸評論家の池田晶子について書かれていたのを思い出し、わたしは、週刊誌で連載されていた池田晶子の哲学的エッセーに、興味があった。
すべて興味を引かれたものについては、何もかもスクラップをする習慣がある。
しかし毎度の事だけれど、スクラップをすると安心して、その先がいつもうやむや(笑)
切り取りっぱなし。
池田晶子が、ターミナルケアの先駆者キューブラー・ロスについて書いたものを、確かに切り取った記憶があった。
池田晶子は亡くなるまで原稿を書き続けたというから、そのキューブラー・ロスの独自の死生観をどう捉えていたのだろうと知りたくなったのだ。
ちょっと前に、あら、こんなところにと思いながら結局は見過ごしたのは覚えている。
まだ、出てこない。
時間が勿体無いので、探すのはやめた。
いつだって探し物は忘れた頃にでてくる。
ただひとつ良いことといえば、探しながらわたしの周りは片付けれられていく。
今回も多分そう。
そして出てきたとしても、その頃には興味はすっかり薄れているはず。
それには「時間ない病の研究」という見出しの雑誌が。
「あ!わたしのこと」だと思いつつ、更に見ると、
「捜し物に費やすムダは1年間で6週間」…
ぐゎ~ん。
前にもここに書いた記憶があるけれど、わたしはいつもいつも、何かを探している。
そして、探し方は雑なうえせっかちなので探しているときに絶対出てこない。
ある人に、おまじないを教わった。
結局、落ち着いてゆっくり探すために、気を落ち着かせるおまじないらしい。
けれど、そのおまじない…あ!忘れた!
多分、病い(笑)
とはいえ1年間に6週間とは、言い過ぎのような気もするけれど…。
しかし確かに、あちこち探し続け、気がつけば1、2時間は優に経っていることもある。
いつも、この時間勿体無かったとひとしきり反省はするのだが。
最近、探しまくった物。
それは、わたしの先生がブログで40代で最近亡くなった文芸評論家の池田晶子について書かれていたのを思い出し、わたしは、週刊誌で連載されていた池田晶子の哲学的エッセーに、興味があった。
すべて興味を引かれたものについては、何もかもスクラップをする習慣がある。
しかし毎度の事だけれど、スクラップをすると安心して、その先がいつもうやむや(笑)
切り取りっぱなし。
池田晶子が、ターミナルケアの先駆者キューブラー・ロスについて書いたものを、確かに切り取った記憶があった。
池田晶子は亡くなるまで原稿を書き続けたというから、そのキューブラー・ロスの独自の死生観をどう捉えていたのだろうと知りたくなったのだ。
ちょっと前に、あら、こんなところにと思いながら結局は見過ごしたのは覚えている。
まだ、出てこない。
時間が勿体無いので、探すのはやめた。
いつだって探し物は忘れた頃にでてくる。
ただひとつ良いことといえば、探しながらわたしの周りは片付けれられていく。
今回も多分そう。
そして出てきたとしても、その頃には興味はすっかり薄れているはず。