長谷川晶一の「極貧球団 波乱の福岡ライオンズ」読んだ。現在の埼玉西武ライオンズの前身球団の西鉄ライオンズが黒い霧事件で弱体化し、球団経営が立ち行かなくなり、太平洋クラブ、そしてクラウンライターへと身売り。西武ライオンズに譲渡されるまでの波乱の6年間を記録したノンフィクション作品。イイ作品だ。通勤の電車の中で昼寝もせず、むさぼるように読んだ。プロ野球の裏の歴史を紐といた本。
西鉄ライオンズから太平洋クラブライオンズに譲渡された1973年、花輪ジローは9歳。ちょうど野球に興味を持ち始めた頃。「防御率って何?打率でどうやって計算するの?」って親父に質問していた記憶ある。
1970年代はパリーグの試合はTV放送がほとんどなかったけど、カルビーの野球カード集めていたのでパリーグの選手も結構、知っていた。ちなみに小学生の頃は、ジョン・シピンがいた大洋ファンだったけ。パリーグでは個性的なユニフォームのライオンズも結構、好きだった。でも経営の内幕までは知らなかった。
本当にお金のない球団だったんおだなあ、というのが実感。選手もよく我慢した。後に大洋に移籍した基や阪神に移籍した竹ノ内、真弓、若菜のエピソードから移籍の過程を知りえることができた。太平洋クラブライオンズの監督務めた江藤真一。大洋で松原の後を打っていた五番バッターとの印象が強いけど、個性的な人物だったんだ~。
外国人選手のことも覚えている。ビューフォード。小柄だけどイイ選手だった。レポーズ、いたなあ。後にヤクルトに移籍してロジャーという登録名で活躍したな。そのビューフォードとレポーズ、40年以上経った今でも、交流があるらしい。日本でプレーして知り合ったのがきっかけで固い絆ができた。凄いことだ。嬉しくなったよ。
一時は東尾に次ぐエース各だった古賀正明の悲運。所属球団がまともなプロの球団だったら、大投手になっていたかもいたかもね。クラウンライタ-時代の事件といえば江川卓事件。万が一、クラウンライターに入っていたら日本のプロ野球史も変わっていただろうな。
ライオンズファンでなくても野球ファンなら皆、楽しめる。
昨夜は神保町で会社の飲み会。5人参加。疲れる飲み会になるかなと思ったけど、無難にお開き。帰りにスマホで野球の結果、チェックしたらマリーンズは日ハムに4対1で負けてた。やっぱり疲れた日だったな。