

その後、早い時間にやみましたが、
梅雨空に変わりありません。
気温も、それほど高くありません。
ともすれば、季節を錯覚しそう
ですが、後、数日もすれば、
8月なのですね。
つい今が・・1ヶ月前のような・・
そう、6月の終わり頃であるような
錯覚を抱いてしまいます。
ただ今日は、蝉がひとしきり。
「シー、シー、シ~~ッ・・」。
1ヶ月前でしたら、こんな事はありえませんね。
蝉の鳴き声で、俄かに現実に引き戻されたような・・そんな感じです。

第4巻(全6巻)を読み終えました。いよいよ佳境に入って来ました。
戦況は次第に深刻さを増し、旅順(りょじゅん)では、
かろうじて勝った・・のではなく、負けなかったという状態です。
一方、バルチック艦隊がやって来る・・と記したのは前回ですが、
その艦隊は、未だにマダガスカル島で足止めを食らっています。
これは、日英同盟を結んでいる英国のお陰です。
バルチック艦隊への燃料の石炭や港への停泊の拒否等など・・。
英国は、あらゆる妨害をしてくれています。
4巻と言いますと、旅順抜きには語れません。
そして旅順と言えば、乃木希典。
作者も述べていますが、この本を書くにあたって、
所謂(いわゆる)、「乃木神話」 の存在が重たかったと・・。
敢えて人物像は省き、(その人となりは『殉死』に書かれています)
この作品は事実に拘束される事が100%なので、小説としては疑わしい事も。
乃木希典は、人間性には優れていましたが、
旅順の近代要塞の攻撃についての知識も見識も全くなかったそうです。
任命後、それについて研究、努力した形跡すらも。
あるのは総帥としての 精神 だけ。
その上、参謀(伊地知幸介)にも恵まれないとあっては、到底戦争は無理です。
ここに、ただ長州閥という事だけで選ばれた悲劇があります。
(因みに伊地知幸介は薩摩。乃木が長州なので、サービスとして選んだと言います)
しかしながら、日露戦争に勝ってしまったために、
(出さなくてもいい多大な犠牲者を出してしまったのに)
検証が疎かになった事は否めません。作者は次のように書いています。


この日露戦争の勝利後、日本陸軍は確かに変質し、 別の集団になったとしか思えないが、その戦後の最初の愚行は、 官修の 「日露戦史」 に於いて全て都合の悪い事は 隠蔽 した事である。 ・・・略・・・ その理由は、戦後の 論功行賞 にあった。 伊地知幸介 にさえ男爵を与えるという戦勝国特有の総花式のそれを やったため、官修戦史に於いて作戦の当否や価値論評を行う訳に 行かなくなったのである。・・・略・・・ これによって国民は何事も知らされず、寧ろ日本が神秘的な強国で あるという事を教えられるのみであり、小学校教育によってそのように 信じさせられた世代が、やがては昭和陸軍の幹部になり、 日露戦争当時の軍人とはまるで違った質の人間群と言うか、 ともかく凶暴としか言いようのない、自己肥大の集団を作って、 昭和日本の運命を途方もない方角へ引きずって行くのである。 |

勝って甲の緒を締めなければなりませんでしたのに、
それをせず、蓋をしてしまった・・。又、国民も知ろうとしませんでした・・。
ロシアは、自らに負けた所が多く、日本はかろうじてその勝利を拾ったに過ぎません。
でも、最初から “五分五分、願わくば六分、四分・・” と言っていた戦争に勝った事が、
その後、国民をも狂気の渦に巻き込むのですから・・これが戦争の怖さなのでしょうね。