声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

UFO

2012-12-21 00:29:16 | 自衛官時代の想い出
自衛隊の駐屯地には行事などで
一般人が自由に出入りできる「駐屯地開放デー」があります。

朝霞駐屯地でも、桜の咲く時期に
「春の駐屯地祭り」が開かれ、一般の見学者たちで賑わいます。

昭和53年の朝霞駐屯地春祭りでは、

その年の新入隊員24期生215名が、なんと駐屯地祭りでピンクレディの
「UFO」を全員で踊ることになったのです。

振り付けの指導はもちろん教官が行います。
30代の体育教官、H二尉は、自衛官とは思えないほど砕けた人柄で
教育隊所属の隊員たちからも人気がありました。

ご主人も自衛官で、あの国賓を迎える際の儀仗部隊302保安中隊の指揮官で、
田宮二郎ばりのハンサムという噂でした。
( 翌年、東京音楽祭りの折に、音楽隊の先輩と自宅マンションを訪ねたが噂は真実でした)

そのH二尉の指導の元、二百人もの婦人自衛官が踊る「UFO」は、
確かに楽しい練習でしたが、私はやや抵抗がありました。

自衛官になったのは、好奇心が80%
とはいえ、
制服の似合うカッコいい女性になりたかったワケで、
しかも18歳の同期たちより4つも年上、
ミーハーなことには抵抗感があったのです。(-_-)
それ以上に見世物的なイベントに出るのが嫌でした。

(なぜ自衛官がピンクレディの真似をして踊らなきゃならないんだ?)

そう思ったら、ますますイヤになり
絶対に出ない方法は、ないものかと
あれこれ策を練ったのです。

仮病を使おうか、どうしようか考えて
いると、
区隊長からの呼び出し、

(やる気がないのがバレたかも。)

…と覚悟を決めて教官室に入ると

「中央音楽隊からバンドをバックに
歌ってくれる隊員はいないかと依頼があったので、出なさい」

とのこと。

「あの、その時間はUFOを踊る
予定ですが、どうしましょうか?」

「あっ、それならUFOの方は出なくて宜しい」

「はい、承知しました!」
( や、やったぁ‼ *(^o^)/* )

こうして、私はただ一人、

同期215名の中でUFOを踊らずに済ん
だのでした。(^_-)



5年前に市ヶ谷で同期会をしましたが、
その時は、私もUFOを皆と一緒に、もちろん
踊りましたよ。(^^;;






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