声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

瑞巌寺

2015-08-16 18:12:53 | Diary
石巻を後にして松島へ…

松島を訪れるのは、3年ぶりです。

瑞巌寺の参道は、修復中、

拝観は可能ですが、40分はゆうにかかるとの事で

今回は周りだけ、

でも実は、この洞窟群が観たかったのです。





この三聖堂も美しい佇まい…

百日紅がよく似合います。



延命地蔵の前で、連れは何をお願いしていたのか…(。-_-。)


遊覧船の発着所には、カモメ達がノンビリと休憩中。



3年前に復興支援同期会で自衛官時代の仲間達と宿泊したホテルが見えます。

前回行けなかった五大堂も、気になる場所です。



Uターンラッシュを気にしつつ参拝。



素晴らしい桃山建築、
兎や猪、山羊など動物の木彫を撮りたかったのですが、うまく撮れませんでした。(~_~;)

制限時間60分の観光…

駐車場に戻ってきてから、
連れ合いがiPadを忘れて来た事に気づき

慌てて、五大堂まで取りに戻ると御賽銭箱の横に置いてあったようです。

ありがたい事ですね。

日本は良い国です。

今、Uターンラッシュもなく順調に走行中です。

夕焼け雲が綺麗です…


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トキワ荘

2015-08-16 17:30:45 | Diary
行きも帰りも石巻で宿泊、
当初予約で一杯かと思ったのですが

民宿やビジネスホテルなら、けっこう空いているものですね。

石巻駅に近い民宿旅館のご主人夫妻は、とても親切でした。


石巻と言えば、

あの石ノ森章太郎先生の故郷です。

3年前に自衛官時代の同期会で松島を訪れた際に見かけた派手な電車のボディに、

石ノ森章太郎先生作品が描かれていた事を思い出します。


石巻の駅から近い石ノ森章太郎先生の漫画館で






子どもの頃、憧れていたあの水野英子先生も住んでいたという

「トキワ荘」の模型を観てきました。



水野英子先生の監修だそうで

中の散らかった各部屋の様子が細部に至るまで再現されています。

ここから、手塚治虫先生、藤子不二雄先生のお二人、赤塚不二夫先生、石ノ森章太郎先生、水野英子先生など

私が心から尊敬してやまないそうそうたる漫画家の巨匠たちが巣立って行ったのですね。


その先生方を含む著名な漫画家の手形が入り口にありました。

左上が、やなせたかし先生



水野英子先生の手は私とほぼ同じ大きさ



石ノ森章太郎先生の手は意外と小さい

ハイ、握手。




最後はロボコンと記念写真

ハイ、ポーズ!




あっ、逆だった…。

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心の歌

2015-08-16 12:07:51 | Diary
盆休み残りの3日間をどう過ごそうか…と考えて
思いつきで

「とりあえず、行ける所まで行ってみよう」

と出かけたドライブ旅行でしたが
行く先々で

いろいろな事を考えさせられました。


南三陸と陸前高田では

何メートルもの見渡す限りの盛り土やベルトコンベアの吊り橋に

ふるさとの復興へのエネルギーを感じました。


一方で、

立ち入り禁止区域を警察官が取り締まる福島第二原発に近い双葉町や

津波の爪痕が残る石巻市の大川小学校跡地では
どうにもならない現実を目の当たりしました。


考えてみれば、
福島県も岩手県も昨年までは何度も仕事で訪れていたのです。

でも、そこは新幹線の止まる都市部で比較的被害の少ない場所でした。

3年前に復興支援という名目で自衛官時代の仲間達と訪れた時に

野蒜海岸を訪れて以来、今日まで現場を見る事はありませんでした。

今回の旅で印象に残ったのは、
その場所の匂いや音、空気、人々の表情…
そして暮らしです。


大川小学校に近い小さな港で
終戦記念日の黙祷中に流れていたのは

「椰子の実」でした。


陸前高田の高台移転工事現場で聴いた夕方5時を知らせるメロディーは

「ふるさと」でした。



被災地に 流れる町内放送のメロディーは、ここに住む人々の心そのものなのだ…

改めて、その思いを強くしました。














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希望のかけ橋

2015-08-16 07:34:05 | Diary
気仙沼から、陸前高田へ…

海岸線を進むと右側に

大きなベルトコンベアが空中に浮かぶ、不思議な光景が…。





山を掘削して土を運ぶための工事用の橋のようです。


地元の小学生たちから募集したと言う名称は

「希望のかけ橋」



この場所から数百メートルの所に

復興のシンボル「奇跡の一本松」がありました。




福島の南相馬で観た「一本松」と異なっているのは、

既に、こちらは仮死状態であるとです。


枝葉は造りものでした。



この一本松までの通路には、無数の周辺の町の札が付いた石が置かれていました。



中には津波で流された古い墓石も含まれているようです。


この地区の復興計画は、大がかりなベルトコンベアの架橋からも、

着実に進んでいるような印象を受けました。


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海沿いの風景

2015-08-16 06:46:20 | Diary
南三陸から気仙沼、そして陸前高田に向う三陸自動車道沿いには、海に面する小さな集落が点在していましたが


その道の低くなっているところは、ほとんどが津波浸水区域だったようで




当時の津波によって、破壊された地域の復興工事が続けられている事は

工事関係者のための仮設宿舎が至る所に建てられている事からも明らかですが、

存続できている地元企業の数より
おそらく、復興工事で働く人の就業人口の方がはるかに多い…

現場を見てみると、その思いを強くします。


気仙沼を過ぎた辺りから渋滞…
夜の花火大会の準備で賑わうパーキングエリアを横目にしながら

次の目的地、陸前高田を目指すことにしました。


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