オオシロカラカサタケが昨日病院の裏庭に生えていました…たぶん。
食べてはいけません。
死なないまでもお腹を壊すそうです。
ベートーヴェンは、長く梅毒で亡くなったと思われていました。
変わったのは、2000年頃。
ベートーヴェンの遺髪が20本ほどがサザビーズに出品されました。
科学者によって調べられると、ベートーヴェンの毛髪から、水銀は発見されず、代わりに鉛が通常の40倍の量が含まれていました。
当時梅毒には治療薬として水銀が処方されていました。
ベートーヴェンはドクターショッピングと言えるほど医師を変えていたので、もし、梅毒ならば処方されないはずがないのでした。
耳の神経が細く萎縮していたのは、神経性の病気。
他にもいろいろな症状から、梅毒ではないと結論付けられました。
代わりに浮上したのが鉛中毒による肝硬変。
鉛は、どこから入ったのか?
当時、鉛は危険性が知られておらず、いろいろなものに使われていました。
陶器の釉薬、塗料、銃弾、水道管、白粉、活版印刷の活字
金銀銅の精製
産業革命以後、鉛の産出了解はかつての30倍にもなっています。
そしてワインの苦味を消すために、散弾をワイン一瓶に一個入れたそうです。
その散弾は溶ける過程でワインの苦味を消し、甘みを引き出したそうです。
生前に成功したベートーヴェンは、好きなワインを取り寄せ、堪能していました。
ワインによる鉛中毒説は、説得力を持ってきました。
長期にわたる苦しみは、特に床についてからひどく、黄疸の症状とたまった腹水抜くために穿刺を何度も行い、痛みもかなりあったと思われます。
肝臓は通常の半分以下に萎縮し、固くなっていました。
しかし、ベートーヴェンの毛髪にはモルヒネの成分であるアヘンは含まれていませんでした。
死の間際まで創作を行い交響楽第10番のスケッチを残しています。
これは想像てすが、おそらく最後の最後まで創作をするためにベートーヴェン自身がモルヒネで脳を麻痺させることを拒んだのではないかと思います。
最後に与えられたのは、氷の入ったポンチ(ワインに水、砂糖などを加えたもの)に過ぎなかったと記録にあるそうです。
ベートーヴェンは「死んでから、世の人々と僕が和解できるよう病歴をこの遺書に添えるように」と医師に伝えています。
今では、鉛中毒は知られるようになり、解毒法が開発され、鉛の人体への使用は控えられるようになってきました。
深くお知りになりたい方はこの本をどうぞ。