音楽の喜び フルートとともに

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精密や機械時計師

2025-02-16 21:00:00 | 近代
ピッコロを預けて5時間。
谷六の交差点。
とっぷり日が暮れました。
梅田でいるとお金使わないと休むところもありません。
ロカボのお店でナッツの小袋でも買おうかと入りましたが、値上げし過ぎて買う気になりませんでした。

それからダイソーでシリコンのヘラ、使い過ぎてデコボコが出来てきたので代わりのヘラ。よかったまだ100円でした。
5時半。
電話ありませんが、もう谷六で待つことにしました。
6時か7時ということでしたので、連絡もらったらすぐに行けるように。 
6時 矢田工房さんの前まで来ましたが、急かしては悪いと15分待ちました。
もういいかな?と4階に上がり「すみません。中で待たせてもらってもいいですか?」 と言うと返事が無い。
あれれ?
と思ったら奥から「もうできてますよ。」とビッコロを組み立てながら出て来られました。
「試してみますか?」
鳴ります!
気になっていた高いAの音もストレスなく鳴ります。
「ありがとうございます。」
「高いCまで鳴るようになりましたよ。」
想像の上をいく出来!
繋ぎのところの管の内側にテープをはって、上がりにくかったBキーを修理。
キーのバランスも調整してくださったそうです。

見違えるように良くなるようになりました。
本当に感謝です。
「楽しんでくださいね!」
と、声をかけて頂いて帰ってきました。
後は。練習あるのみ!

モーリス ラヴェル(1875 - 1937年)フランス共和国シプール生まれ、

1913年
ラヴェルは、スペイン国境から18キロ (11 マイル) 離れたビアリッツ近郊のフランスのバスク地方の町シブールで生まれました。
父ピエール=ジョゼフ・ラヴェルは、フランスとスイスの国境に近いヴェルソワ生まれで、教育を受け、成功したエンジニア、発明家、製造業者でした。母マリー(旧姓デルワール)はバスク人ですが、マドリードで育ちました。

ジョセフ・ラヴェル(1875年)、マリー・ドゥルーアール(1870年)、4歳のモーリス・ラヴェル(1879年)

ジョセフはエンジニアで発明家でした。彼の発明品ループ・ザ・ループは人気のアトラクションでした。1903年死亡事故が起きるまでは。

ラヴェルの両親はともにローマカトリック教徒で、マリーも自由思想家で、その性格は長男モーリスに受け継がれました。

長男は生後6日後にシブール教区教会で洗礼を受けました。

家族は3か月後にパリに移り、そこで次男のエドゥアールが生まれました。(エドゥアールは父親と仲がよく、やがて父親の跡を継いでエンジニアの道に進みました。)

モーリスは特に母親を慕っていました。彼女のバスク系スペイン人の血統は彼の人生と音楽に強い影響を与えました。
彼の最も古い記憶の中には、母親が歌ってくれた民謡があります。
家庭は裕福ではありませんでしたが、家族は暖かく、2人の少年は幸せな子供時代を過ごしました。

ジョセフは息子たちを工場に連れて行って最新の機械装置を見せるのが好きでしたが、音楽や文化全般にも強い関心を持っていました。

後年、ラヴェルは「子供時代を通して私は音楽に敏感でした。父はほとんどのアマチュアよりもこの芸術の教育を受けており、幼い頃から私の趣味を育て、熱意を刺激する方法を知っていました」と回想しています。
ラヴェルが幼少期に正式な一般教育を受けたという記録はありませんが、伝記作家のロジャー・ニコルズは、ラヴェルは主に父親から教育を受けたのではないかと示唆しています。

ラヴェルは長じてその精緻なオーケストレーションから「精密な機械時計師」「オーケストラの魔術師」と呼ばれています。

機械時計という呼び名をラヴェルは嫌っていたようですが、創造的なクラフトマンの家庭に育ったラヴェルの1つの側面のような気がします。

シェヘラザードは、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルの2つの作品のタイトルです。どちらも、アラビアンナイトのヒロインであり語り手でもあるシェヘラザードに対する作曲家の強い関心に由来しています。最初の作品である序曲( 1898年)は、ラヴェルの現存する最初期の管弦楽曲ですが、初演時の評判は芳しくなく、その後も最も人気のある作品ではありませんでした。4年後、彼は同じタイトルの歌曲集で大きな成功を収め、これは今でも標準的なレパートリー作品であり、何度も録音されています。

どちらの曲もロシアの作曲家、特に1888年にシェヘラザードを基にした交響組曲を書いたリムスキー=コルサコフの影響を受けています。最初の作品はロシア音楽の影響を強く受けており、2番目の作品はリムスキー=コルサコフの交響詩に触発されたテキストを使用しています。序曲と歌曲集の音楽的な関係は希薄です。

シェヘラザード序曲
シェヘラザード、妖精序曲は、1898年に作曲されましたが作曲者の存命中には出版されず(1975年に出版されました)、同名のオペラの序曲として計画された管弦楽曲です。

この作品は、1899年5月27日に作曲者自身が指揮したフランス国立音楽協会の演奏会で初めて演奏されました。

評価は賛否両論で、観客からはブーイングと拍手が入り乱れ、批評家からは辛辣な批評が寄せられました。


エドゥアール・フレデリック・ヴィルヘルム・リヒター、1844 – 1913
シェヘラザード
その結果、ラヴェルは二度とこの曲を演奏しませんでした。

シェヘリザードとスルタン・シャリアル、1880年、フェルディナンド・ケラー
序曲シエラザード