音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

ピッコロを待ちながら

2025-02-15 08:54:00 | 現代
昨夜、練習しているとビッコロのヘッドスクリューがなぜかくるくる回って5ミリ位でています。
「あれ?」と思って掃除棒で図ってみると、

真ん中に来ていない。
戻そうかと思ったけれど動かない。
今でも高いのにこれ以上高くなってもなぁ?
と思いつつ…でもずっとこの楽器高音鳴らしてはいますが、結構苦しい。

ベートーヴェン第九の最後の二分音符=132という速さで鳴らそうと思うと苦しすぎる。
根性でなんとかなるかと頑張っていたけれど、ついに矢田工房さんに電話。
ああ…こんなにぎりぎりになって!
来週土曜日本番。
顰蹙〜!
と思いながら
すると矢田さん落ち着いた声で「すぐに持ってきてください。」
ありがとうございます。と
谷六まで行ったら、
「う〜ん。この掃除簿はこのフルートのでは無いですね。」

つまり動いてなかった。
それでも
「これ高音だせますか?」
「いや苦しいです。」
「やってみますが、土日休みなので月曜日取りに来られるということではいかがですか?」
うわあ〜最短!速い!しかし「すみません。二泊三日になるとその間練習できないので月曜日にまたお持ちするということではいかがですか?」
すると少し考え込んで矢田さん「もしかして、今日6時とか7時に来られるのは可能ですか?」
「えっ!そんなことできるのですか?もちろんありがたいです。」
神様、仏様、矢田様…と不謹慎にも心の中で拝んでしまいました。

「繋ぎのところに当たらないと高音が出ないのですが、
このフルート当たってない可能性があるので、ちょっと難しいけどやってみます。」

この繋ぎ。
「ありがとうございます!」
ハンミッヒに無理やりパウエルの頭部管をつけたのでそれがきいているみたいです。
しかし、ハンミッヒのままだと444ヘルツ…オケは442ヘルツなので使えません。
安くあげたくてメルカリでポチってしまったのでこの始末。

今、梅田まで来て時間潰し中。
ユザワヤさんでフルートの管の中を拭くダブルガーゼの黒と、フルートケースの生地が少し足らなかったのでテープで補填…うまくいくかな?

ダブルガーゼは「1メートル買いだと会員割引ですよ。」と何度も勧められましたが、50センチ800円。
これで10本位作れます。
前回もこれくらい買って10年以上持ちました。まだ2本あるのだけど、水色で舞台上では目立つので…黒。
楽器屋さんで買ったら一本2000円以上だものね。なんかすごい防水機能のある特殊な布でできてるらしいけど…。
洗濯して使えば吸水性は同じ気が〜。(個人の見解です。みみっちい私。)
とにかくビッコロを待ちながら、13:00頃に矢田工房さんを出て梅田に移動してユザワヤさんによってまだ15:45。

疲れたので阪急三番街のフードコートに座って一服。
何も頼まないと悪いので、頼むものを探しに立ったら、目の前にベトナム料理のファーストフード店。ベトナムに縁があるなぁ。
ハス茶というのを頼みました。
見てると器をしっかり温めて、茶葉を入れ、熱湯機のアツアツのお湯を淹れてくれました。

紙コップだけれど、ほんのり苦味があって香ばしい。

さて、6時まで後は何をしよう。

廣瀬 量平(ひろせ りょうへい、1930 - 2008年)
北海道函館市生まれ、京都府京都市没

日魯漁業(現・マルハニチロ)に勤める父・理喜男と、レストラン五島軒店主の若山徳次郎の長女・柳の長男として生まれます。

1943年(昭和18年)市立函館中学校(現市立函館高等学校)に入学しますが、翌年父の転勤に伴い樺太豊原市へ引越し、樺太庁立豊原中学校

に転入。

1945年(昭和20年)3月函館に戻ります。

終戦後、北海道立札幌第一高等学校(現北海道札幌南高等学校)へ転校。
1948年(昭和23年)、北海道大学予科文類 
昭和9年(1934年)の北海道帝国大学正門
に入学、この頃から作曲を始めます。
教育学部へ進み、1953年(昭和28年)に卒業後、上京。1955年(昭和30年)に東京藝術大学作曲科

東京音楽学校(1926年)
に入学。1961年(昭和36年)に同専攻科を修了。

在学中、池内友次郎、島岡譲、矢代秋雄らに師事。

1977年(昭和52年)から1996年(平成8年)まで京都市立芸術大学音楽学部教授を務め、その後同大学音楽研究科長、音楽学部長を歴任。

ザルツブルク・モーツァルテウム音楽院講師(1997年)、

ドイツ・エッセン音楽大学講師(2003年)、国立音楽大学講師(1977年 - 1979年)、同志社女子大学大学院講師(1997年 - 2001年)、東京芸術大学講師(1991年 - 1998年)も務めました。

1984年(昭和59年)から1988年(昭和63年)まで日本現代音楽協会委員長。

2000年より2004年まで、京都市立芸術大学伝統音楽研究センターの提唱者にして初代所長。のち同大名誉教授となります。

2005年(平成17年)より京都コンサートホール館長となり、死去するまで務めました。

2008年11月24日、肝不全により京都市内の病院にて死去。78歳没。

フルート作品においてはフルートオーケストラという編成の創生期から、精力的に作品を発表しています。
1979年の「ブルー・トレイン」の画期的成功を皮切りに、15曲以上にのぼります。

リコーダー作品においては、「ラメンテーション」「メディテーション」をはじめ既に現代の古典としての扱いを受けています。
特にヨーロッパ地域では、音楽大学の入試に使われたり、コンクールの課題曲になったりと、スタンダードナンバーと言えるほどです。

「尺八とオーケストラのための協奏曲」は、音楽之友社の高校音楽教科書で、邦楽器をオーケストラに取り入れた画期的例として、詳しい曲紹介が掲載されています。

ブルートレイン
日本におけるブルートレイン( Blue Train)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)およびその後身のJRグループによって運行されていました、

ブルートレイン「はやぶさ」・「富士」(14系)
客車を使用した寝台列車を指す愛称です。
ただし、これは「列車愛称」とは異なり、運行する車輛の色が青だったことを由来とする包括的な列車の通称です。
20系のブルートレイン色(青15号とクリーム1号)
ブルトレとも略称されました。

一般には、国鉄時代の1958年(昭和33年)に登場した20系客車(以後「20系」と略す)以降の、青い車体色で特徴付けられた固定編成専用寝台客車を使用した特急列車を指します。

その創始は、同年10月1日のダイヤ改正で車両が旧形のものから20系に置き換えられた「あさかぜ」です。

国鉄20系客車 ナハネフ22 1
鎌倉総合車両センターにて2004年撮影(※現在は鉄道博物館にて保存・展示の車両)

老朽化や新幹線・飛行機、高速バス、ビジネスホテルの普及による需要の低下で採算の悪化で続々廃止になり、2015年(平成27年)をもってブルートレインは全廃となりました。

東京駅に到着した運転最終日の「はやぶさ」・「富士」(2009年撮影)

廣瀬量平:ブルートレイン
2本のピッコロの差音により列車の轟音を表現しています。